見出し画像

欠陥プログラム「スマートアプリコントロール」をオフにしました。ついでに1993年の書籍で予言されたコンピューターの未来について

スマートアプリコントロールに散々振り回されてきましたが、Google Chromeで表示されているWebページをPDFファイルとして保存するため、印刷の送信先を「PDFに保存」にして保存したのですが、そのファイルをAdobe Acrobat(Readerではないです)で開こうとしたら、スマートアプリコントロールがAdobe Acrobatのプログラム名ではなく、保存したPDFファイルの名前を示してブロックしたため、「あ、これは人間で言ったら近づいてはいけない人だ」と思い、それまでなんだかんだと粘っていたスマートアプリコントロールですが、オフにする決心がつき、先ほど念のためAcronis Cyber Protect Home Office(旧称Acronis True Image)でバックアップを取ってからスマートアプリコントロールをオフにしました。

「オフ」のラジオボタンをクリックしたとき「オフにすると永続的なものとなり、オンにするには再インストールがうんぬん」と言ってきましたが(スクリーンショットを撮り忘れた!)、そのまま「オフ」にしたらWindowsを再起動することもなくそれで終わり。

スマートアプリコントロールによってインストーラーがブロックされたプログラムも問題なくインストールでき、PDFファイルが「こいつは狂ってやがる」と教えてくれたことに感謝するとともに、オフにするまでの欠陥プログラムに時間を取られたことに対しては「ゲイツ、バルマーからナデラに変わってマイクロソフトも変わったなーなんて思っていたけど、ソフトウェアは『がんばれ!ゲイツくん』の頃から変わってないんだな」とちょっとでもマイクロソフトを信用するようになっていた自分が馬鹿だったと深く反省しています。

とりあえずがんばれ!ゲイツくん関連の記事を以下に記しておきます。

暗黒の帝国マイクロソフト
https://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/msisdirty.html

マイクロソフトの言論弾圧とやりすぎの事例
https://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ms-cs.html

マイクロソフトの言論弾圧とやりすぎの事例(その1)
https://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ms-cs1.html

MS Watch
https://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/mswatch.html

また、当時のコンピューター業界がどうだったかはロバート・X・クリンジリーの「コンピュータ帝国の興亡 - 覇者たちの神話と内幕」という本に詳しく記されています。「ハッカーズ」という有名な本もありますが、こちらはパソコン以前の話しが中心なので、パソコンをめぐってどんな人物や企業が関わってどうなったかを知りたいのならこちらの方がいいです。

コンピュータ帝国の興亡 - 覇者たちの神話と内幕 上下巻

コンピュータ帝国の興亡 - 覇者たちの神話と内幕 上巻

コンピュータ帝国の興亡 - 覇者たちの神話と内幕 下巻

ハッカーズ

一例として、モニターのことを「モニター」と呼んだり「ディスプレイ」と呼んだりするのは以下の理由によるものです(大和証券出身者が「このところ」と言えばいいものを「ここもと」と言うようなもので、インターネットバブルの頃、大和証券出身者が書いた記事で「ここもと」というのを初めて見たとき「なんだこれは!?」となって、しばらくして大和証券で使われている言葉だと知り、「ここ最近って意味なのか?」と思っていましたが、今、広辞苑で調べたら「このところ」の意味と知った状態です)。

 IBMの社員は独自の言語を持ち、それに固執している。たとえば、ミニコンピュータは「中間帯(ミッドレンジ)システム」と呼ばれる。モニタは「ディスプレイ」だ。さらに、一枚ないし数枚の磁気円盤が毎分三六○○回転する外部記憶装置であるハードディスクは、固定されているわけでもないのに、なぜか「固定ディスク」と呼ばれている。IBMの八〇〇ドルのディスプレイは、サムスンの三四九ドルのモニタとはモノが違うという幻想がある。また、シーゲートが生産を請け負っているIBMの固定ディスクは、シーゲートブランドでは半値で売られているまったく同じドライブよりどこか優れているという幻想がある。IBM独自の言葉にこだわることによって、こうした幻想が保たれているのだ。
 ロレックスやグッチと同じで、IBMの社員たちは自分たちが売っているのはコンピュータではなく、IBMの名前だということを知っている。

コンピュータ帝国の興亡 - 覇者たちの神話と内幕(1993年)第七章 IBMの噂と真相 197ページ - ロバート・X・クリンジリー

最後の一行は投資の世界でも同じで、「IBMを買って首になった奴はいない」と言われるほど鉄板で、他にもメインフレーム(大型コンピューター)を作っている会社はあるけど、そこを買って損をすれば首になってもIBMなら首にならないというくらい神聖化された存在でした。

他にも当時のパソコンは完成品として売られることはほとんどなく、パソコンを作るためのICやらなにやらが送られてきて自分でハンダ付けして、それを納めるケースも自分で作るなり何かしらの箱を流用したりといった状態で、今言われている「自作PC」なんてオーディオ機器と同じで完成された部品を組み合わせているだけですから、この頃の人から見たら「どこが自作なんだ?」と言われると思います。

で、そのパソコン愛好家の間でコミュニティが作られていって、情報交換やソフトウェアを無料でコピーさせたりといったところに各社のパソコン用にBASICを移植していたビル・ゲイツが「ソフトウェアを売る」というビジネスを始めたことや、アップルのパソコンの成功を見てIBMでもパソコンを作ることになったけど(これが今のWindows PCへとつながっていくわけですが)、OSをどうするかという話しになって、当時CP/MというOSを作っていたデジタル・リサーチとマイクロソフトに相談しに行くことになり、最初にデジタル・リサーチを訪問するのだが・・・といった話しや、コンピュータ・リテラシーについては以下のように記しています。

 「コンピュータ・リテラシー」という言葉を覚えているだろうか。かつて、私たち全員がコンピューター・リタレイトにならないと、アメリカに何かしら災難が降りかかると思われていたのだ。コンピュータ・リテラシーとは、コンピュータをプログラムする方法を知っていることを意味した。だが、それはパーソナルコンピュータをどんなことに使ったらいいのか誰もわかっていなかった時代の話だ。ところが、コンピュータにはコンピュータの使い方を覚えること以外にも使い道があることを知ったとたん、人々はコンピュータ・リテラシーのことを考えてくよくよするのはやめ、スプレッドシートに夢中になったのである。

コンピュータ帝国の興亡 - 覇者たちの神話と内幕(1993年)第十五章 未来のコンピューティング 226~227ページ - ロバート・X・クリンジリー

興味のある方は読まれることをお勧めします。

この本の最後に以下のような未来予測をしており、それが当たっているかどうか、各人で判断していただきたいと思います(1993年の本で、原著は1992年です)。

 未来のコンピュータに対する、私の処方箋はこんな具合になる。アメリカはコンピュータ技術のほとんどあらゆる分野で退却を始めているが、ソフトウェアとマイクロプロセッサだけはその例外だ。それがどうしたって??これからの一〇年間で実質的成長を達成できるコンピュータ技術は、ソフトウェアとマイクロプロセッサだけなのだ!残りのコンピュータ産業は、すべて縮小へと向かう運命にある。
 日本はソフトウェア面での優位を何も持っていないし、国としての性格を全面的に変更しないかぎりその状況を大きく変えることはできないだろう。日本に関して注目に値することは、その職人たちの成し遂げた業績だ。だが彼らは実は職人ではなく、芸術家だ。時間や費用という要素を度外視して、完璧な製品を作ろうとしているのだ。たとえば第五世代コンピュータ・プロジェクトのような大規模なコンピュータプログラミング・プロジェクトでも、多くの場合にそうした現象が見られる。プロジェクトチームは壮大なコンセプトにのめり込むあまり、プログラムを完成させることを忘れてしまうのだ。彼らがアメリカの映画スタジオを買収した理由は、そこにある。自分の力では、競争力のある組織を作れないのだ。そしてアメリカがなぜスタジオを売り払うかといえば、そうすることで真の財産を売らなくてすむからだ。真の財産は、ソフトウェアを作ったクリエイティブな人間のなかにとどまるのである。
 ハードウェア・ビジネスは瀕死の状態にある。それは、このまま放っておこう。それが未来を買うことになるからと、日本人と韓国人はそのハードウェア・ビジネスを独占したがっている。しかし、彼らは、単なる過去を買おうとしているのである。

コンピュータ帝国の興亡 - 覇者たちの神話と内幕(1993年)第十五章 未来のコンピューティング 255~256ページ - ロバート・X・クリンジリー

就職してIPA(独立行政法人 情報処理推進機構)の人と仕事をする機会があったのですが、第五世代コンピュータ・プロジェクトの話になると指を口に当てて「しーっ」と言っていたのは今でも覚えています。



いいなと思ったら応援しよう!