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ジョン・レノンは『酔生夢死』だった。   オノ・ヨーコは強力な『魔女』だった


ジョン・レノンの映画『失われた週末』を見てきた。
これから書くことはその印象に基づいている。

たぶんに語り手であるメイ・パン側の視点から見ていることになる。
オノ・ヨーコがこの時期の映画を撮ったら全然違う話になるだろう。
しかし、彼女は反論の必要を認めないし、映画を撮らないだろう。

*
『酔生夢死』という言葉が好きだ。
悪い意味なんだけど。

酔って生きて夢の中で死ぬ。
いいなと思って自分のスローガンにしようかと思っていたけど、この映画を見てやめた。

『酔生夢死』はジョン・レノンにこそふさわしい。

豪華メンバーを集めたレコーディングセッションで、メンバーの半数以上が酒とドラッグでグログロになった話が出てくる。
もったいないことである。
フィル・スペクターに至っては、ラリって拳銃をぶっぱなしたらしい。

そのようにジョンの世界においては物事は、「起こす」のではなく「起きる」。

次々に起きたことに激しく傷ついたり、上機嫌になったり、何も自分でコントロールしていないのだ。
映画を観るように物事が目の前を流れていく。
それに反応しているだけで人生は進んでいくのだ。

楽器を演奏し、歌を歌い、曲作り、アルバムを作る。
それは誰よりも立派にできる。
{それすらも酒とドラッグでグダグダになったりする)。

しかし、それ以外のことには自らの一貫した意図を通すことができない。
実際、長期的、建設的なことを何も思い描けないのだと思う。

今日では、才能がある人は「自身のプロデュースからマネジメントまで全部できる」という人は多い。
ポールだってそういう目配りはできるだろう。

ジョンは天才なんだけど、才能の部分以外では自分一人では何もできない「クズ」みたいなやつだ。
この時代にはけっこういた破滅型の天才だ。
ヨーコとジョンが別れたきっかけは、ヨーコの目の前でジョンが他の女とセックスしたことだという。
ヨーコの支配に対して不満やストレスが溜まっていたのだろう。
しかし、その感情をそういう行為でしか表せないのはかなり「壊れている」。
ジョンの弱さとヨーコの圧力の強さを表しているだろう。

ジョンの主要な欠点が、ビートルズ時代は他の3人のメンバーと、マネージャーのブライアン・エプスタインと、何よりもビートルズ現象の巨大な嵐に巻き込まれて現れていなかった。
ビートルズの解散は、ジョンには解放だったかもしれないけれども、糸の切れた凧みたいになってしまった。

*

ビートルズの結束が緩んだときに現れたのがオノ・ヨーコだ。
この映画を観るとヨーコがたいへん強く支配的な人格だったとわかる。
ジョンはグルのような人物と出会うか、強く支配されることを求めていただろう。
そして甘えたい。
ヨーコは支配的であると同時に、突出した芸術家でもあったので、ジョンが強く惹きつけられただろう。

オノ・ヨーコの芸術は即興的、直感的なものではない。
最初にインスピレーションがあるにしても、考え、意図して、それを実現するプロセスがある。
ジョンの即興的・初期衝動的な動きに対して企画的なのである。

長期的、企画的に意味や目的を与えてくるもの。
ビートルズを失ったジョンにはまさに求めているものだった。
自分を理解してくれる上に、支配し、仕切ってくれるのだ。

この映画でもヨーコは不吉な影のように見え隠れする。

ジュリアンの電話をジョンに取り継がなかったという。
たぶん本当だろう。
メイ・パンがジョンと暮らすようになってからも昼夜を問わず、1日10回も電話してきたというのも本当だろう。
ジョンと別れざるを得ないときに、メイ・パンをくっつけた。
それがヨーコの企画性である。
メイ・パンといる限り、自分の蜘蛛の糸はジョンとつながっているのだ。
少し羽根を伸ばさせて、ガス抜きして取り返せばいい。

一年半の間、ジョンとメイ・パンは「恋愛関係」にあったと言っていい。
しかし、ジョンという一人の男を巡ってメイとヨーコとシンメトリーな関係であったかといえば、それは違う。

まずヨーコは正式な結婚相手であり、メイは雇われ人に過ぎない。
ヨーコは雇用主である。
そして、ヨーコはビートルズの解散に伴うややこしい権利関係を弁護士とともに処理していたに違いない。
ジョンが自分でやっていたとは全く思えないから。
つまりジョンの財布はヨーコが握っていたのだ。
ささやかな給料をもらっていたメイとは立場が違いすぎる。

最後にジョンは洗脳によってヨーコのもとへ戻ったと、この映画は暗示している。
ジョンは喉の不調から禁煙したがっていた。
そこへヨーコから「催眠術で禁煙させてくれる人がいる」と誘われたのだ。

それ以来、ジョンはメイのもとからヨーコのもとへ戻ってしまった。
それって洗脳以外のものではないでしょう。
この映画を信じる限り、そういうことになる。

すべてはヨーコの掌の上にあった、というお話なのでした。


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