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「消費されるWeb広告から抜け出したい病」のその後

以前、このようなnoteを書いた。

これをきっかけに新しい出会いや意見に触れる機会があった。まずはそれらのことに感謝。本当に私は運だけで生きている!

その後、人と話したり自分なりに考えを深める中で気づきがあったので、再度、自分の考えをまとめておく。
※毎月実施している社内セミナーで話した内容を文章でまとめ直した。

広告=悪者?

 広告って、なんだろう。
 基本的に広告は、企業がメディアにお金を払ってそのメディアに商品やサービスを掲載し、世の中に知ってもらう活動と考えている。とは言え、SNSなどの普及により、これまで企業側から一方通行だった広告の在り方が変わってきている。
 一方的にメディアに掲載さえしていればよかったものが、インターネット上で反応したり、コミュニケーションが可能になったことで、双方向でのやりとりを意識したものへ。と同時にWeb広告はユーザーにとって「邪魔者」「悪者」へ。
 広告は本当に悪者になってしまったのだろうか。

 広告=悪者と感じる理由として
「見たくないものを無理やり見せられる」
「何度も同じ広告が出てきてウザい」
などなど、社内セミナーの中でも様々な意見が出た。
つまりは、企業の一方通行がいまだに横行している状態だ。頭では一方通行の広告ではいけないと分かりながら、実際には一方通行を継続してしまっている企業、代理店が多いのではないか。
 私も例外ではないかもしれない。一部、某TV番組で取り上げられたような悪徳業者の存在はあるのかもしれないが、少なくとも、私たちは真剣にお客様と向き合って仕事をしている。ただ、お客様とのつながりがより強いために、この一方通行の状態に疑問を待ちえないまま広告を出し、結果として「広告=悪者」を成り立たせる一端を担ってしまったと。
しかし、本来は悪者ではない。広告はよいものだ。これまで世間が気づいていなかった価値を提案することができる。その価値が時に人の人生をも変えることがある。

自分たちの仕事を振り返る

 運用型のWeb広告はメディアの広告管理画面を使って、ターゲティングの細かい設定やオークションの入札額の調整ができるため、技術的なテクニックで一定の成果を上げることが可能だ。技術的な要素が結果に影響すると、本来の広告そのものの影響力が見えにくくなる。またダイレクトレスポンスの結果を見て広告の良し悪しを判断することが多いために結果に繋がらない広告は切り捨てられ、ただ消費されていくものになってしまっている。体にはよくないと分かっていても、気軽に買えて空腹を満たせるスナック菓子のようなものだ。
 私自身の話をすると、この仕事を始めてから広告に携わるようになったことで、どちらかというと技術的な部分を拠り所としていた。正直、広告そのものについて深く考えたことがなかった。ただ、日々の運用の中で技術だけでは超えられない壁のようなものを感じるようにもなっていた。そして、広告そのものに興味が湧くようになった。過去の有名な広告コピーを書き写してみたり、コピーライターと言われる人たちの著書を読んだり、流行したTVCMをYouTubeで探してみたり。自分のこれまでの仕事を振り返り、全然、足りてないわと実感した。

「Web広告は消費になっていないか問題」について

 広告に興味を持つようになってから、「Web広告は消費になっていないか問題」は私の中でいつも大きなテーマだった。言葉にすることはなくても、心のどこかで「このままでいいのだろうか」と疑問と不安をずっと持っていた。その疑問と不安から一歩行動できたのは2018年に企画したSEMイベントのみ。仕事の中では毎日押し寄せてくる目の前の業務で手がいっぱいだった。後ろめたい気持ちがどこかにありながら。

 「Web広告は消費になっていないか問題」を初めて人に話した時、このもやもやした気持ちを言葉にしておこうと以前のnoteを書いた。その後もこの問題について人と話す機会に恵まれた。
 今行きついているところは「資本主義、経済がある以上、生産は続く。生産がある以上、消費は続く。だから広告も消費から抜け出すことはできない。」だ。
 消費から抜け出したかったのに…とがっかりしたかというとそうでもない。むしろすっきりと清々しい気持ちだ。

これからのこと

 私はこれからどうしていこうか。
 Web広告が消費されていくことに変わりはなくとも、その中身はもっと変えられると思っている。支援会社としてお客様の商品やサービスにもう一歩踏み込んでいくことが必要だし、ターゲットとなり得る人々の文脈を理解することも必要だ。ユーザーが認識していない課題に気がつく力も、企業が気づいていない商品やサービスの価値を見つける力もいる。すぐにそんな力が付くはずもない。ただ、そこに近づけるように日々を積み重ねることはできる。

 これまでのように「気が付いたら全部スナック菓子でした。」からは抜け出せる。スナック菓子からコンビニスイーツ、ホルン(うちの近所のケーキ屋)のケーキ、笹屋伊織のどら焼まで、メディアやユーザーの特性に応じて今はどのお菓子が最適か見極め、意図的に届けられるようになりたい。
 そのためにはデータも技術もクリエイティビティもどれも不可欠。どこまでも広がるので収拾がつかなくなりそうだ。まずは自分の興味のあるところを深く掘り下げたい。自分ができないところは、誰かと協力していけばいい。
 広告を出すということは社会的な責任の一部を負っている。人によろこばれる仕事をどこにいても実践し続けよう。

P.S 例えにお菓子を使ったのは今甘いものを欲していたため。ホルンのケーキが頭に浮かんでた。。。

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