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5 セル氏の仕事 (1)

ある日、バーンズ邸へ編集担当者―マカトが、スーツケースを引き摺りながらやって来た。
セル氏が作家活動を始めた、6年前からの付き合いになる。
と言っても、それ以前カメラマンとして何冊もの写真集を出していたので、初めて出会ったのは15年も前の事である。
セル氏がカメラマンをしていたのは10年前までで、4年間の休養を終えた後に作家に転身したという、逸材である。

しかしその仕事ぶりは相反するものである。
カメラマンだった頃の彼はとてもアグレッシブで、エネルギッシュ。
フットワークの軽さも相まって、ファッション誌では引っ張りだこの人気カメラマンであった。
更にその合間に世界の美しい風景を撮るために、世界中を飛び回る。
彼の作品は透明感に満ち溢れ、その場所が一番輝く一瞬を逃さず、フレームの中に収めてしまう。
美しい風景を撮らせたら右に出るもの無しとまで言わせた、敏腕カメラマンと言ったところだろうか。

全て順風満帆だと思われていた彼が10年前過労で突然倒れてしまった。
時同じくして離婚をし、3人の子供達と離れて暮らす事になってしまった。
心身共に疲れ果て、廃人同然のような状態になってしまったセル氏。

そんな彼を使用人達は、その全てに於いて見守り続けていた。

ある日の事であった。
現在の編集担当者―マカトが訪ねて来た。
カメラマンとして名を馳せたセル氏だったが、このマカトという男の目には、セル氏は「作家」としてやっていけるだけの要素を充分に兼ね備えている、という確信があった。
最初こそ寝耳に水のセル氏であったが、マカトと他愛もない会話をしているうちに、半信半疑ながらも、書いてみる気になっていったのだった。

そして半年程で書き上げた小説は書籍化され、まずまずの売れ行きとなった。
が、働き振りが相反するものというのはここからの話である。

彼は「遅筆」そのものであった。
スピーディーでエネルギッシュだったカメラマン時代とはまるで正反対。
これはマカトが意図的にしたといっても過言ではない。
セル氏は作品に取り掛かる前に、様々な文献や資料を片っ端から自分の中に染み込ませていく。そして今まで彼が目で見た、耳で聞いた、鼻から吸い込んだ、口にした、そして触れた全ての体感を搔き集めて融合させる。
そうして彼の作品は作られていくのだった。

こんな調子なので、この6年間に出版したのは8冊がやっとであった。
幸いな事に、どの作品も何らかの賞を受賞することで話題に上り、知名度もどんどん上がって来ていた。
勿論重版も後を絶たず、収入面で苦労するなどという事は全く無縁であったことは言うまでもない。

そして今取り掛かっているのが、9冊目の作品となる。
マカトが現れたという事は、締め切りが間近だからかというと、そういう訳でもない。
マカリなりの判断がそこには存在する。


(5 セル氏の仕事 (2) へ続く)


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