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6 使用人達の私生活 (5)

担当編集者―マカトは35歳で、これまた独身である。
バーンズ家にかかわる人々の独身率の高さは、主であるセル氏の影響からくるものなのだろうか。
いやはや、単なる偶然からくるものであろうか、ここでは敢えて謎という事にしておこう。
そんな事はお構いなしに、マカトは今一番仕事が楽しくなってきている。
まだ彼の頭の中には『結婚』という文字はない。
普段はアパートで独り暮らしを謳歌していて、思い立った時直ぐに、担当作家への対応が出来るという点でも、今の生活は捨て難い。

大学時代から一人暮らしをしている身としては、最早家事全般に於いて拘りさえ持ちながら楽しく熟している。

アパートに居る時も、バーンズ邸に居る時も、仕事を終えると共に、透かさず音楽を聴くことがマカトの楽しみである。
通勤の行き帰り、ヘッドフォンから流れてくる音楽でまず疲れを癒す。
部屋に戻った後は決まって、ステレオで音楽を流し、部屋中をその音楽で浸す時の気分は、この上ない極上の時間である。
なんといっても、アパート探しの第1条件が防音設備の整った部屋であったのだから、心置きなく音楽を充満させることが出来る。

かと言って、インドア派かというとそういう訳でもない。
散歩をするのがとても好きで、晴れた日には少し離れた公園まで足を延ばし、道すがら聞こえてくる小鳥のさえずりにも耳を傾けながら歩いて行く。
公園に到着すると、その季節ごとの木から聞こえてくる葉の擦れる音や、落ち葉が踏みしめられる音を聴いては、心をほっとさせるのであった。
噴水のある公園では、抑揚が付いた音楽を聴くかの如く、眼を閉じて、ただ時を過ごす事もしばしばである。

あらゆる音を愛でるように過ごす時間は、マカトにとって至福のひとときだ。
本人曰く、音楽は一番好きな事だから趣味としてとっておきたかったというのが本音らしい。
だが本当の本音は、紙の本の紙擦れの音が堪らなく好きだった為に、出版社への就職を決めたのであった。
結局一番好きな事を仕事にしたという事になる。
実際、初めて担当した作家がパソコンではなく、原稿用紙と万年筆を使って作品を仕上げていく様を見た瞬間から、その紙の上をすべる万年筆の音に、すっかり心を奪われてしまったのだった。
今ではタイピングの音も、彼にとってはリズムを刻む小気味良い音となってしまっている。

マカトのバカンスは、汽車の旅と決まっている。
なるべくレールの上を走る音が聴こえる、ローカル列車を探して乗る。
カタンコトン、カタンコトン。
少し武骨なくらいの音の方が良い。
一日中列車に揺られながら、本を読んだり、食事を摂ったりして過ごし、夕方辿り着いた先で宿を探し、次の日も列車に乗り込み一日を過ごす。
それが彼にとっては、贅沢な時間の過ごし方なのであった。


(6 使用人達の私生活 (6) へ続く)

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