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5 セル氏の仕事 (5)

「どうぞ」

と言う編集担当者―マカトの合図と共に、セル氏が空で文章を読み上げ始めた。

それと共に、マカトの指がノートパソコンのキーボードを弾く。

これがセル氏の執筆の形式である。
6年もの間で、「遅筆」の穴を埋めるべく、2人が編み出した手法。
タイピングの早さに定評があったマカトが挑戦してみると、意外にも同時進行が可能であることが判明した。

ボイスレコーダーは万が一の時の備えでこそあれ、ほぼ必要が無いのだが、マカトにとっては最終チェックの時などに、とても重宝するので、併用を続けている。
3年程前からこの手法に切り替え、2倍弱の速さまで縮まっている。

セル氏の口頭から文章がスラスラと出てくるうちは、タイピングを続ける。
が、途絶えがちになったら、それを合図にタイピング作業を中断する。

そしてセル氏は自分の有意義な時間を過ごし、心を緩める事に専念をする。

マカトは一度編集部に戻り、再度資料文献になり得るであろう書籍をあらゆる方法で集め、屋敷へと運び入れる。

また目の前にうずたかく積まれた書籍の中から、チョイスしながらインプット作業に入るセル氏。

程無くして纏まってきた頃を見計らい、マカトが気配を感じセル氏に近づくと、アウトプットが始まるといった具合だ。

特に追い立てる訳でもなく、泣きつく訳でもない。
煽てる事すらせず、淡々粛々と作業は進められる。
それでもここのところ順調に締め切りに余裕をもって、作品が出来上がるという事は、2人にとっても精神衛生上とっても良い事と言える。

決まってセル氏が言う事がある。

「私はなんてラッキーなんだろう。この方法を君が編み出し、協力してくれるお陰で、『生みの苦しみ』からすっかり解放されてしまった。
特にアウトプットしている時の心地良さと言ったら、例えようがないね。
開放感に包まれながら、船がどんどん海面を進んで行く時のようだと言えば、伝わるだろうか。」

マカトとて同じである。
作家が苦しそうに生み出そうとしている様を、何も出来ず唯ひたすらに横で見ている事を思えば、爽快感たっぷりに作品を作り上げていく様子を見られる事の方が、編集担当者としても良いに決まっている。

マカトはこの仕事に就いて13年になるが、約半分の年月をセル氏と組んでいる。
その為他と比べるという事はあまりないが、先輩達からも羨ましがられるところをみると、稀有なパターンであることには違いないようだ。

ロダンの言葉を借りれば

「勿体ない、みんなもっと自分の勘を信じた方が良いんだよ。」

という事だろう。


(6 使用人達の私生活 (1) へ続く)


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