数日でMyGO!!!!!全話とAve Mujica第4話まで観たので感想を書く
前書き
dアニメストアに登録したゆえ、2~3日で『BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』全話と『BanG Dream! Ave Mujica』4話までを視聴した。アニメ『ガールズバンドクライ』が好きだったのでトゲアリトゲナシと対バンしていたMyGO!!!!!が気になっており、また『BanG Dream! Ave Mujica』の主題歌がDiggy-Mo’作詞作曲と知り、幼い頃よりSOUL’d OUTを聴いていた身としてはこれはチェックしなければという想いだった。
この2作(『BanG Dream! Ave Mujica』はまだ4話までしか放送されていないが)を観た際の感動というべきか、私が最近TRUMPシリーズにハマったゆえに考えていた「永遠」や「共同幻想」という概念について受けた刺激について言語化したく、ここに感想や考えたことを(特に『Ave Mujica』について)つらつらと書いていこうと思う。
※以下ネタバレを含みますのでご注意ください
本題
燈の「一生バンドしてくれる?」と祥子の「残りの人生、私にください」といった発言が『MyGO!!!!!』と『Ave Mujica』の共通点となっている。「インディーズ――メジャー」「剥き出しの自我――仮面や寸劇による世界観の構築」など対比構造が多い両作品においてこの共通点は注目に値する。
この2人に共通するのは「自分の居場所を求めている」という点に思えた。燈は剥き出しの自分でいられる場所を、祥子は自分を認めてもらえる場所を求めて。特に祥子は母の死と父の失職を機にヤングケアラーとなり、CRYCHICへの執着を断ち切り父を元気づけるためにAve Mujicaを企画したように思える。しかしその成功が逆に父を傷つけ、文字通りAve Mujicaに「居場所」という役割を求めることとなった。
バンドのように複数人で1つの作品を作る行為は、共同幻想に浸る行為と同等ではないかと私は考えている。Ave Mujicaは仮面と寸劇を用いて虚構の世界を作り、そこに観客を巻き込んでいくスタイルだ。祥子はCRYCHICから抜けるときも自身の状況について話さず、現在居候している初華にも事の詳細は話していない。まさに仮面を被って生きている祥子にはうってつけの形態であり、Ave Mujicaは「祥子のための共同幻想」という側面を強く持っている。いわば、自身を守るための心の仮面を拡張したものが祥子にとってのAve Mujicaである。睦が「祥子が壊れそうだから」とAve Mujicaに加入したのも、それを感じ取ってのことだろう。
ただし、人は共同幻想のなかで生き続けることはできない。どこかで必ず現実と向き合う必要が出てしまう。それが最も露わになったのが第4話でのにゃむ(若麦と書いてにゃむ!)の激昂だろう。にゃむはAve Mujicaを「多くのファンを抱えるメジャーバンド」として捉えており、祥子が作る共同幻想についてもあくまで舞台装置の1つとしか考えていない。また彼女にとっては自身のステップアップこそが最重要であり、仮面バンドという形態は枷であり茶番であった。第1話の時点では祥子も「メジャーバンドとしてのAve Mujica」の方向性を考えていただろうが、にゃむの仮面剥がしや睦のアドリブ(実際は精神の不調による硬直)をきっかけに「祥子のための共同幻想」としてのAve Mujicaへの執着を強めることとなる。これが第2話~第4話で描かれたわだかまりの原因だ。
「元の睦に戻ってほしい」と語る祥子に、にゃむは「バカらしか!」と激昂する。これはリーダーである祥子、そして睦≒モーティスが「多くのファンを抱えるメジャーバンド」としてのAve Mujicaという"現実"から目を背けたことへの怒りだろう。モーティスは「祥子のための共同幻想」としてのAve Mujicaさえ守れればよく、祥子はバンドのリーダーでありながら現状の問題を解決するための話をしない。常にユーザー目線を意識しているにゃむからしたら当然の怒りである。あたたかな家族に愛されているにゃむが家族を失い居場所を求める祥子に現実を説く構図はグロテスクではあるが、祥子の状況を知らない以上この展開は不可避であっただろう。
MyGO!!!!!でも思ったが、このアニメの登場人物は驚くほど対話をしない。高校生だから仕方ないといえば仕方ないし、対話せざるを得ない状況まで追い込まれてはじめて対話をはじめるのがリアルで良いのだが。MyGO!!!!!では自分の目的のために他人をコントロールしようとする3人の熱い攻防から燈のポエトリーリーディングをきっかけに対話に繋がっていく流れが非常に美しかった。バンドという形を通してしか自分の言葉を語れなかった燈が1人(楽奈もいたが)でも語れるようになり、その上で愛音たちを求めたという点に心打たれた視聴者も多いだろう。
ここで、MyGO!!!!!という共同体の在り方に注目したい。
一緒に泣きたいよ
一緒に笑いたいよ
僕らの道が平行線だとしても
共同幻想に浸る上での問題は、先にも書いたように現実から逃れられないことである。その現実の1つは「人はそれぞれが別の存在であり同一化することはできない」というものだ。これは人間の根源的な絶望でもあり、同時に、そこを超えて「1つになれた」と錯覚する瞬間、私――あなたが繋がることを諦めずにいられるか、という問いでもある。上記の歌詞はこの問いに応えたものであり、Ave Mujicaという共同体が脆弱であったのは祥子のなかで「私――あなた」の境界が曖昧だったからだと私は考える(それは「残りの人生、私にください」という言葉からも伺える)。
第3話で「どうして味方になってくれないの!?」と怒鳴る祥子は睦と自分との境界線が引けていない。ゆえに、「元の睦に戻ってほしい」という言葉はあの場面では甘えた台詞だったかもしれないが、ここが対話の始まりになることを期待できるとも思った(ならないかもな。まだ4話だし)。なんにせよ「祥子のための共同幻想」としてのAve Mujicaは(海鈴の予測通りに)崩壊したわけだが、『MyGO!!!!!』が名作だったゆえに本作も丸く収まることを期待し、ここから先も楽しみに視聴したいと思う。
以下、書きたかったけど文章の流れに乗らなかったので箇条書きにします。
初華がコピーロボット呼ばわりされていることにウケつつ、自分の言葉を持たないながらも祥子を元気づけようとする姿がいじらしくて好き。
海鈴の掘り下げがものすごく楽しみ。様々なバンドを兼任しているのは彼女も自身の居場所を探しているから? MyGO!!!!!でもあったけど「バンドにとって何が最善か」を常に見ている姿が素敵。推し。表情が崩れるところを早く見たい。
このアニメ、演奏中のカメラワークがめちゃくちゃカッコいい。何度でも観れる。
ギスギスはしつつ暴力は絶対にふるわないところに制作陣の愛を感じて素敵。
また何かあったら書きます。