もし、荻野真『孔雀王 退魔聖伝』が、継続していたなら…。

 「これは、面白い」

「一種の、美を感じさせる」

「作品の、独特の雰囲気が、好きだ」

読者に、こういう、熱烈な思いを抱かせ、
ずっと、続いて欲しいのに、
なぜか、突然、連載中止という、憂き目に遭う漫画がある。

その中に、かなり、昔の作品になるのだが、
『孔雀王 退魔聖伝』などがある。

これは、漫画家、荻野真(おぎのまこと)による
『孔雀王』の続編だ。

(この荻野は、既に、逝去している)

『孔雀王』に至っては、OVA化もされ、
ゲーム化もされた。

才能と共に、絶賛され、好評でありながら、
なぜか、その続編の『退魔聖伝』は、不本意な結末を迎えた。

そのような作品について、
私は、気紛れに語りたい、という気持ちになった。

長い話となったので、
興味があれば、読んでいただきたい。

(上記、下記ともに、敬称略)

文中の略称
・『孔雀王』…『孔雀王』
・『孔雀王 退魔聖伝』…『退魔聖伝』
・『孔雀王 曲神紀』…『曲神紀』
・『孔雀王 ライジング』…『ライジング』
・『孔雀王 戦国転生』…『戦国転生』
・『聖闘士星矢』…『星矢』
・『聖闘士星矢 Next Dimension 冥王神話』…『星矢ND』
・『天空戦記シュラト』…『シュラト』



 01.黎明期の『孔雀王』

 1985年 (昭和 60)。

この年に、週刊ヤングジャンプにて、連載が開始された、『孔雀王』は、
荻野真にとって、処女作である。

若い頃の彼にとっての、垢抜けない、習作(エチュード)でありながら、
そのまま、輝かしい、傑作(マスターピース)となった。

この点で、まず、驚かされる。

ストーリーは、日本の、高野山の、真言密教をテーマとしている。

(私事であるが、
私の、母方の祖父は、真言宗の信徒である。
もう、この世にはいないのだが。

この点でも、私は、自ずと、『孔雀王』に興味を惹かれる所があった)

その中でも、妖怪退治も請け負うという、裏高野の存在。

(これは、飽くまで、漫画の設定である)

その中で、得体の知れない、修行僧が、いた。

それが主人公である、通称、拝み屋、高野孔雀だ。

孔雀の活躍を、徹底して、現実的に、
時に、それを、逸脱して、幻想的に描いたのが、『孔雀王』である。

 時間や、金といったものに急かされ、齷齪とした、現代社会に生きる、人間達。

彼らが、ふとした、きっかけで、

(嫉妬や、憎悪など)

憑かれてしまう、憑き物の類。

それを、孔雀は、裏高野の秘術、
梵字で書かれた、光明真言の読経、もしくは、詠唱によって、引導を渡し、祓う。

それが、初めの頃の、主な描き方だった。

要するに、漫画でいえば、
『ゲゲゲの鬼太郎』や、『エコエコアザラク』、

映画でいえば、
『エクソシスト』、『ゴーストバスターズ』のようなもの、

これらの、オカルトもの、
悪霊や、妖怪などの、退治ものの要素が、『孔雀王』にはあり、
それを、当時の青年誌で描くのは、画期的であった。

 それが、次第に、対象が、寓話や、伝承に登場する、妖怪や、魔性の類、
果ては、神といったものとの対決に、スケールアップされていった。

学校で起きる、いじめなど、社会的な問題に迫る、ジャーナリズムの側面や、
歴史における、第二次世界大戦の空白の部分に迫る、学術的な側面もある。

単なる、空想の産物に終わらせていない所も、特筆すべき点であった。

『孔雀王』は、もともと、民俗学、宗教学といった学究的な色彩を帯びていたが、
バトルものの側面も、兼ね備えていた。

男女を問わず、どのような年齢層の読者をも退屈させない工夫が、随所に見られた。

 もはや、漫画の枠を超えた作品となった頃、
世間の注目が集まり出した。

宗教的なテーマを、作品の中に取り入れながら、
その上、作画も、非常に、描き込まれ、
その迫真の描写に、思わず、唸らされる…。

このような作品は、未だ、かつて、存在し得ただろうか。

まさに、神憑りの状態で描かれたとしか思えない作品。

それこそが、『孔雀王』の魅力だった。

 1989年 (昭和 64・平成 元)。

『孔雀王』は、この年で、幕を閉じている。


 02.荻野真にとっての、親から受けた、薫陶

 Wikipediaにおいて、
荻野真を解説するページには、
荻野の親についての言及がある。

荻野の親は、教育者であり、
荻野が、漫画家の道を選んだ事について、
彼の親は、非常に嘆いていた、という。

しかし、荻野の作品の内容を見ると、
設定や、ストーリー展開など、非常に考えられており、
絵しか描けない人間というイメージはない。

荻野は、世界史、日本史、民俗学、宗教学、
文学、ファンタジー、映画など、
多方面に渡る、いろいろな知識を動員させて、
『孔雀王』を制作していたように感じる。

これは、ある程度の、教養のある人間でなければ、不可能だ。

やはり、さまざまな分野において、学識があり、
かつ、厳格な親の、薫陶があってこそ、『孔雀王』が生まれたのではないだろうか。


 03.荻野真『孔雀王』と、車田正美『聖闘士星矢』のシャカ

 荻野真の『孔雀王』は、そのヒットにより、
様々な業界や、人間に、影響を与えた。

その中で、彼の作品が、おそらく、影響を与えたのでは…と思われる、
ある作品における、あるキャラクターがいる。

 1985年 (昭和 60)。

それは、この年の終わり頃から、週刊少年ジャンプに連載が開始された、
車田正美の『聖闘士星矢』に登場する、
乙女座(バルゴ)のシャカである。

シャカは、仏教を思わせる、東洋的な思想をや、雰囲気を漂わせている

そもそも、シャカという名前自体が、仏教の要素を表している。

シャカが登場するまでは、『星矢』には、どこにも、仏教的な要素は、なかった。

(強いて、言えば、フェニックス一輝の、不死鳥伝説くらいだろうか)

シャカが使う必殺技、天魔降伏などには、
時折、「オウム」という発音の、光明真言が描かれる場合がある。

これは、何を元にして、車田が思いついたものだと考えられるだろうか。

私が連想するのは、荻野の『孔雀王』である。

『孔雀王』の、未だ、かつてない、描写に、
車田が、感銘を受けたとしか思えないのである。


 04.荻野真『孔雀王』と、タツノコプロ『天空戦記シュラト』

 荻野真の『孔雀王』は、そのヒットから、
様々な業界や、人間に、影響を与えた事を、前項で述べた。

この作品が、おそらく影響を与えたのでは…と感じる作品が、もう一つ、ある。

 1989年 (昭和 64・平成 元)。

それは、この年、タツノコプロから制作された、アニメ作品、
『天空戦記シュラト』である。

『シュラト』もまた、仏教の世界、
特に、真言密教をテーマとしていた。

主人公の、修羅王シュラトが、戦闘の時に持つ武器は、仏教の修行僧がもつような、独鈷杵である。

そのライバルとして、
夜叉王ガイという、名のキャラクターが登場したりする。

戦いの、さなか、
それぞれの、光明真言を唱える、独特な、読経、もしくは、詠唱のシーンが登場する。

これは、まさしく、『孔雀王』そのものだ。

 しかし、『シュラト』は、『孔雀王』とは、つながりは、ない。

それなのに、この類似性は、何なのだろうか。

なぜ、このような現象が起きたのだろうか。

 1988年 (昭和 63) - 1991年 (平成 3)。

考えられるのは、この期間に制作された、
OVA版の『孔雀王』の影響である。

ここで、『孔雀王』のノウハウを得た、監督、脚本家、演出家、アニメーターが、いたとする。

「このアイディアを、単に、『孔雀王』だけにしておくのは、勿体無い…」

更に、その中で、このように考えた人間がいたとする。

それを元に、換骨奪胎して、作られた、アニメ作品。

それが、『シュラト』だったのではないだろうか。

(声優についても、何か、感じるものがある。

『孔雀王』の高野孔雀役も、
『シュラト』の修羅王シュラト役も、
なんと、関俊彦である。

これは、何を示しているだろうか)


 05.更なる高みを目指した『退魔聖伝』

 1990年 (平成 2)。

『孔雀王』の続編に当たるのが、
この年に制作が開始された、
『孔雀王 退魔聖伝』である。

昔、私の姉が、この作品の単行本を、購読していた。

その関係で、私は、この作品の、アステカの邪神テスカトリポカ編まで、読んだ記憶がある。

(私の姉は、別に、『退魔聖伝』に限らず、
あの世とか、幽霊だとかの話が出て来る、心霊現象、
ホラーを描いた作品が、非常に好きな性格だった)

テスカトリポカ編は、ヨーロッパの吸血鬼の伝説をテーマとしていて、
それが、意外や、意外、
遠く離れた、アステカの、古代における、生贄の文化に、結びつく、という内容だった。

一見、ケレン味を含みながら、非常に、まとまっていた。

そして、官能的であった。

(青年誌に連載されていた事もあり、
作品の内容は、子供向けではなく、刺激が、かなり強かった)

 荻野真という漫画家は、それこそ、
何十年に一人という、天才ではないだろうか。

この作品は、きっと、今後も、面白い展開が続くだろう…。

そう、私は、安心しきっていた。


 06.突然の連載中止となった『退魔聖伝』

 しかし、その後、『孔雀王 退魔聖伝』は、突然の連載中止に見舞われた。

日本神話を元にしたエピソードが描かれていた頃である。

(後々、私の姉は、『退魔聖伝』を買わなくなったので、
作品の続きが、どうなっていたのかは、私は知らなかった)

 原因として、考えられるのは、荻野の体調不良である。

前作の『孔雀王』が、彼にとっての、大きな成功であったとしても、
同時に、著しい、肉体的、精神的な疲労をも、彼に、齎していた事は、察せられる。

そのような状態にありながら、
『退魔聖伝』を強行して、描いている時、
登場キャラクターの数や、話を広げ過ぎて、収拾がつかなくなった…

それに加えて、毎回の、作画における、高い水準の維持への負担の大きさが、仇となった…

というのが、おそらく、原因に思われる。

荻野の作画が、かなり変わり始めていたのも、この頃である。

孔雀の、髪型などが、非常に、鋭角的になり、
どこか、デッサンが、別物に、なり始めていた。

 私が、『退魔聖伝』で、明らかな、荻野の異変を感じたのは、以下のシーンである。

日本神話編の、ラストに出てくる、あるキャラクターの変身後の姿の醜悪さ、
その攻撃方法の不潔さである。

その部分に、「時間的にも、心理的にも、余裕がない」という、疲弊した、制作の雰囲気が感じられた。

 1992年 (平成 4)。

『退魔聖伝』は、この年に、幕を閉じている。


 07.荻野真『孔雀王 退魔聖伝』と、車田正美『聖闘士星矢 Next Dimension 冥王神話』を比較して

 ここで、私が、個人的に、連想するものがある。

荻野とは、別の漫画家が、後世に描いた、ある漫画だ。

 2006年 (平成 18)。

それは、この年に、制作が開始された、
車田正美の
『聖闘士星矢 Next Dimension 冥王神話』である。

『星矢ND』でも、ある時期、長期の連載中止となっていた。

理由は、不明だが、
心理的に余裕がなく、まともに描けない、という状態は、
荻野の『退魔聖伝』と、相通じる状況だったのではないだろうか。

 2024年 (令和 6)。

車田の『星矢ND』が、
荻野の『退魔聖伝』と違うのは、
この年に、どうにか、完結した事である。

しかし、ややもすれば、『星矢ND』も、『退魔聖伝』と、同じ運命を辿っていたかも知れない。


 08.『退魔聖伝』の続編、『曲神紀』

 2006年 (平成 18)。

後年の、荻野によって、『孔雀王 退魔聖伝』の続編として、この年に、
『孔雀王 曲神紀』という作品が描かれた。

しかし、『退魔聖伝』からの、歳月の、かなりの経過を見れば、分かるように、
『曲神紀』には、もはや、『孔雀王』や、『退魔聖伝』の面影は、なかった。

(どうにか、感覚を取り戻そうとする努力は感じられたが、
完璧ではなかった)

 それは、時代の変化が影響している。

2000年代に入ると、日本における、
1990年代に流行していた文化は、次第に影を潜めていき、
その代わりに、新たな文化が、芽吹いていった。

たとえば、
携帯電話が、一般へ普及し始めたり、
漫画、アニメの制作における、デジタル化の導入などである。

その中で、荻野の『曲神紀』も、例に洩れず、変化が起きていた。

『曲神紀』には、やたらと、当世の、萌え、つまり、可愛いの要素が入っていた。

この点で、私は、非常に、戸惑いを感じた。

本来の、差し迫った、恐怖感や、シリアスな感じが、薄れてしまっていたのは、
『孔雀王』や『退魔聖伝』への、冒瀆ではないか、と感じたのである。

『曲神紀』の、ラストの展開に至っては、
何と、音楽バンド対決…。

よって、私の中では、この『曲神紀』は、『孔雀王』シリーズとは見做していない。

荻野そのものが、以前の荻野ではなくなって、しまっていた。

 『曲神紀』を描いていた頃の、荻野は、健康体ではなかった。

腎臓などの病気で、緊急入院するという事態があった後である。

その後遺症が、本来の彼の制作を、不可能にしていたに、相違ない。

 2010年 (平成 22)。

『曲神紀』は、この年に、幕を閉じている。


 09.漫画家として、再起を懸けていたが…

 2012年 (平成 24)。

その後も、荻野真によって、
『孔雀王 ライジング』、
『孔雀王 戦国転生』といった作品が描かれていた。

いずれも、制作が開始されたのは、同じ年の事であった。

文字通り、この時の、荻野は、
再度の、ライジングや、
もしくは、転生を、作品と共に、目指していたに違いない。

しかし、それを達成する前に、
荻野における、人生の最終的な節目が訪れた。

 2019年 (平成 31・令和 元)。

それは、『ライジング』、『戦国転生』の両作品について、
最終原稿を描き終えた年でもあった。

この年、荻野は、人間としての命を全うし、
この世を去ったのであった。


 10.良い漫画を描き続ける事への難しさ

 荻野真における、その、波瀾に富んだ、一生を眺めてみると、浮かんで来る事がある。

漫画家が、よい作品を維持し続ける事の難しさと、
後年の、あまりの変貌ぶりへの、やり切れなさを、
強く、感じる。

荻野は、『孔雀王』の成功により、
漫画家として、名声や富を恣にし、
手に入れたいものを手に入れ、
楽しんだ部分もあったのではないだろうか。

漫画家として、酸いも、甘いも味わった。

その、なれの果てが、『ライジング』や『戦国転生』という形で、残った。

荻野が、『孔雀王』を描いていた頃に較べれば、
後年の荻野への、世間からの注目は、
ひどく薄れてしまっていた。

それを思えば、荻野は、常に、不甲斐ない気持ちで、制作に向かっていたに違いない。

だが、荻野は、漫画家として、精一杯の務めは果たした。

それに対して、私は、敬意を払いたい、と思う。


 11.もし、『孔雀王 退魔聖伝』が継続していたら…

 時折、私は、荻野真の『孔雀王 退魔聖伝』が、もし、継続していたなら…と思う事がある。

もう一度、繰り返すが、
車田正美の『聖闘士星矢 Next Dimension 冥王神話』との比較をしてしまうのである。

車田の『星矢ND』にあって、
荻野の『退魔聖伝』に、足りなかったものというのは、何だろうか。

それは、読者の思いではないだろうか。

「いつも、作品を読んでいる」

「作品の、もしくは、
キャラクターの、こういう所が好き」

「この先、ストーリーは、こうなるのでは?」

有益か、無益かに関わらず、
もう少し、読者から、荻野に対して、
このような意見を、出していれば、展開は、また別のものとなっていたかも知れない。

もしくは、一旦、荻野を、漫画の制作から遠ざけて、
長期間、休ませればよかったのかも知れない。

そう思っても、既に、荻野自身は、鬼籍に入り、この世にはいない。

もはや、叶わぬ夢である。

しかし、『孔雀王』もしくは、『退魔聖伝』の魅力は、今でも、強く、私の中に、生き続けている。


 12.漫画とは繊細で、儚いもの

 こう考えると、漫画というのは、
どんなに人気があった作品でも、結局は、読者の思い次第、という感じがするのである。

それが失われてしまったら、
どんな作品も、アンデルセンの童話の『漁夫と人魚』のように、
海の泡沫となって、消えてなくなってしまうのだろう。

そう考えると、漫画というものは、非常に、繊細で、儚いものである。

それをなくさないように、読者が、漫画家や、作品を支えてゆくのが、大事ではないか、と思う。

引いては、それは、人がもつ、優しさである。

いいなと思ったら応援しよう!