「武田鉄矢の昭和は輝いていた 鶴田浩二生誕100年スペシャル」
鶴田浩二の生涯を回顧するものだったが、同時に12月8日を強く意識した番組になっていた。娘の鶴田さやかが率直に「彼」という言葉づかいで父親のことを語っているのが印象的だった。八名信夫が慕った理由もよくわかった。
鶴田浩二の師匠が「歌う映画スター」高田浩吉で、弟子として「田浩」の文字をもらったというのは知らなかった。鶴田が生涯歌にこだわったのも、師匠がいたればこそだろう。
それにしても、「弥太郎笠」の歌詞にある「「や」の字育ち」とか「一天地六」とかでてきて、もはや廃れた言葉になっていると思わされた。一六勝負とか、賽の目暮らしとか歌の世界で聞くことはない。
注目すべきは、1952年から3年にかけての『ハワイの夜』『雲ながるる果てに』「街のサンドイッチマン」をひと続きにしたときに見えてくる時代相と鶴田との関係である。
鶴田浩二がこのあと、東映の専属となって、任侠映画の主演に傾くのだが、『ハワイの夜』がマキノ雅弘監督だったことは重要かもしれない。しかも撮影は三村明(ハリー・三村)だった。