くまちゃんのことば
年末なので、今年出逢った私の心を救ってくれたひとのことをnoteに残しておきたいと思う。
私は4月から社会人になった。
学校とは違う環境や人間関係に揉まれ、私なりに随分しんどい思いをした。
私には同期がいない。
同い年の人が職場に1人もいないのだ。
最初は別にそんなこと気にもしていなかったが、後になって同期の存在が大切だと思い知った。
年齢的にも経験的にもいちばんひよっこな私は上司や先輩方の“成熟した正論パンチ”を真正面から受けてダウンすることが多々ある。
そんな時に励まし合うとか、「あれは言い方キツすぎだろ!!」とか、発散する相手がいないというのはとても辛かった。
そんな時、うちの職場にアルバイトで来てくれている同い年の女の子に出逢った。
彼女はとても綺麗な人なので、初めて会った時はもうめちゃくちゃに緊張した。
いつぞや友人が「美人は良い匂いがする」と神妙な面持ちで言っていたが、これは本当で桜のような花の香りがしていた。
そして彼女は美人すぎるあまり頻繁にナンパに遭うみたいで、本名を知られたくないからとLINEの名前をくまちゃんの絵文字にしていた。
美人には美人の苦労があるんだなぁと、心から思った。
というわけで、彼女のことはこのnoteにおいて「くまちゃん」とする。
くまちゃんは大学院生で、詳しいことはよく分からないけど研究とか論文執筆とかで忙しいらしい。が、いつも飄々としていてバイトには「研究室から逃げてきているんだよね〜」と、あっけらかんと笑って言う。
仕事に関しては、なんかゆるっとしていて「ちゃんとやってる?」と最初の頃は不安になることもあった。仕上がりは「ちゃんとやってよ!」と注意するほど悪いものではなく、かと言って「完璧だね!」と褒められるほどでもなかった。
テキトーすぎず頑張りすぎず、正にちょうどいい塩梅の仕事加減なのである。
しかもその感じがくまちゃんのキャラクターと合っているというか、くまちゃんに頼んだらこうなるよね、という期待値通りの仕事をきちっとこなしてくれるのだ。
くまちゃんは私にはない器用さと力の抜き方を身につけているため、話すといつも新鮮な気持ちになる。そして同い年というだけで親しみやすく、人間関係で悩んでいた私は彼女と雑談をできた時には何だか救われる気になった。
そして先日そんなくまちゃんとランチに行った。
くまちゃんの言葉はどれもくまちゃんらしいもので、腹に落ちることが多かった。
自分からは出ない発想や考え方を浴びまくって、
それらを覚えておきたくなり別れた後に走り書きをした。
そう、くまちゃんは風のような水のような軽やかな人なのだ。たぶん私とは限りなく正反対。
ここで今までの私であれば、自分と全く異なる考え方に対し無意識にも否定し拒否反応を起こしていたと思う。あるいは、そのような自由な考え方を持てない“私自身”が嫌になり自己否定から「自分を変えなきゃ」とあらぬ方向に努力を始めていたんじゃないかな。
でも最近になって(以前のnoteにもちょこっと書いたが)、ようやく自分の性格を受け入れられるようになった。
良いも悪いもなく、ただ「そうである」と受け入れそれでOKと思えるようになったのだ。
だからくまちゃんの言葉をフラットにキャッチすることができたし、自分との違いが面白いと思ったからメモを残した。
そして私の人生にエッセンスとして足せそうなら足してみようという気持ちで、心の本棚にしまうことができた。
(余談だが、私は身内以外の人に対して「やれたらやる」とか「行けたら行く」とか言えたことがなく、それを思うことすら厳禁だと感じていた。なので人の考え方(アドバイス)に対して「実行します!!!」ではなく「できたらやりま〜す」というスタンスで向き合えたこと自体に己の成長を感じる。)
まだまだ生真面目ゆえに頭でっかちになることがあるし、この先もあるだろうなー。
そうなった時はこのnoteを読み返すことにする。
そうしてくまちゃんのことばを思い出し、ココロに桜のそよ風でも吹かしてもらおうっと。