京都観光のエース・安倍晴明ゆかりの地
昨日、9月26日は安倍晴明の命日。この機会に安倍晴明と京都観光について、ガイド目線で述べてみたい。現状、安倍晴明の知名度、さらに晴明神社の人気は京都の観光の大きなポイントの一つとなっている。晴明神社はパワースポットとして修学旅行生から大人まで、多くの観光客が訪れる屈指の観光地となっているのだ。
なぜ安倍晴明がこれほど人気なのか、もちろん映画や漫画の影響が大きいのだが、そもそもその主人公になりうる、ポテンシャルを保持しているからだ。具体的にいうと人間離れした才能を持ち、悪(悪霊、怨霊)を取り締まる正義の味方として振舞っていたことが大きい。
安倍晴明は今でいう所の公務員という立場。具体的には陰陽寮という部署に勤めていた役人だ。前半年ははっきりしないが、陰陽道に長けた賀茂一族、賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたと考えられ、そこから陰陽寮の役人として天文道を極め、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代の天皇に仕え、85歳の長寿を全うしている。
何をしていたかというと、星の動きをつぶさに観察して、吉凶を占い、行動の助言を行っていた。例えば天変地異などを予測するわけだが、実際この天災は、当時は怨霊の仕業と考えられおり、こういった怨霊の動きを予知し、災いを未然に防いでくれる晴明には貴族から絶大な信頼が集まり、時の権力者である藤原道長も大いに頼りにした。
そういった功績から死後には一条天皇の勅命によって、早くも2年後に邸宅跡に晴明神社が創建され、神様として祀られるようになった。
よって当然ながら、安倍晴明の観光の中心は晴明神社ということになる。南側にある一条戻橋には、晴明が式神を隠していたという伝説があり、晴明神社にはその復元もされており、セットで訪れることが多い。夏場で京都観光が停滞する時にも「魔界めぐり」と題したツアーを、夏にぴったりということで企画するわけだが、その際にもコースによく採用される。
次に紹介したいのは、晴明が眠る墓だが、意外にも嵐山にある。現在、管理しているのは晴明神社なので、公式的な墓と言っていい。正確な場所は渡月橋の北東、長慶天皇陵の南側に隣接し、裏側には、角倉了以の邸宅の鎮守社であった角倉稲荷神社も祀られている。
さらに掘り下げるなら、子孫の土御門家のゆかりのスポットもある。晴明の子孫は室町時代、応仁の乱の戦乱を避けて、福井県に避難しており、また陰陽道も朝廷の衰退とともに、重要視されなくなっていた。
しかし、戦乱が収まった江戸時代には徳川家によって、再び陰陽師を統括する役割を任ぜられ、全国の陰陽師を統括する権限を得た。名前は安倍から土御門へと改名しており、その土御門家は、西寺付近に広大な土地を与えられて邸宅を構え、ここで天文観測、暦の管理、改編などを行った。
現在、屋敷跡には円光寺という寺院があり、向かい側には菩提寺である梅林寺も現存し、どちらの寺院の境内にも、土御門家が使用した天球儀、渾天儀が置かれたという台石が残っている。また梅林寺から北西に位置する稲住神社は、安倍晴明が祀られている。
屋敷の鎮守社であった鎌達(けんたつ)稲荷神社は、西寺の跡地に未だ鎮座し、土御門家の資料は大将軍八神社に良好な状態で保管されている。
晴明の実績や逸話は、こうした子孫の繁栄によってさらに大きく強調され神格化されていったと言えよう。
その他のスポットとしては、安倍晴明の坐像を安置する長仙院や、安倍晴明の活躍が描かれた『泣き不動縁起絵巻』を所蔵する清浄華院なども挙げておきたい。