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祇園祭の山鉾町散策で案内している場所
今日は祇園祭の散策ガイドをしてきたので、その内容をご紹介。基本的には、祭りが始まってしまうと、散策ガイドは極めて困難になるので、その前にすることも多い。ルートはほぼ決まっていて、山と鉾の説明の下に、よく歩くルートを書いておいた。以下、参考程度に。このガイドはいつ行っても基本的にめっちゃ喜ばれる。地元感が出せるのが大きい。
<祇園祭概要>
祇園祭は疫神怨霊を鎮める例祭「御霊会(ごりょうえ)」が起源で、もともと「祇園御霊会」、「祇園会(ぎおんえ)」などと呼ばれていた。貞観11(869)年、全国的に疫病が流行した際、平安京の庭園である「神泉苑」に66本の矛(ほこ)を立て、神輿を送って疫病退散を祈ったのが、祇園祭の始まりとされている。
◆元御旅所◆ もとおたびしょ
大政所御旅所(烏丸高辻)・・・かつては、中御座と西御座が渡御しており、現在も還幸祭で3基の神輿を下ろすポイント。
◆山と鉾◆ やまとほこ
33基の山鉾が都大路を絢爛豪華な姿で巡行し、祇園祭の1つのハイライトを演出する。山鉾の形態は、「鉾」「傘鉾」「曳山」「舁山」に大別することができる。
これらを散策ガイドでご案内する時は、四条駅南改札から岩戸山、船鉾、大船鉾、伯牙山(杉本家住宅)、膏薬図子、郭巨山、螳螂山、放下鉾、霰天神(今年2021年の山一番)、山伏山(特別見学)のルートで回ることが多い。これにプラスするとしたら、祇園祭企画展をしている京都文化博物館か、くじ取り式をかつてしていた六角堂か。
◆町会所◆ ちょうかいしょ
町家(ちょういえ)とも呼ばれ、町内寄り合いや囃子の練習、宵山期間には御神体や懸装品を飾る会所飾りが行われる。最近ではビルに立て替えている町もある。(下記は山伏山の町家、ふだんは「とみひろ」さんという呉服屋さん)
◆休み山◆
鷹山・・・鷹匠と犬飼い、樽を背負い隠れて粽を食べる従者という3体の人形を乗せ、従者の粽を持つ手が口元まで動いた。元治の大火で焼失し、現在は会所飾りで3体の人形を見ることができる。近年は2階囃子も披露、2022年に巡行復帰へ。
<菅大臣神社>(かんだいじんじんじゃ)(※祭りと直接関係ないけど)
菅原道真が幼少を過ごした邸宅跡とされ、本殿は下鴨神社から移されてきたもの。飛び梅伝説の梅の木も境内にある。こちらのポイントは、右大臣時代の自宅であること。父や祖父の邸宅は現在の菅原院天満宮になるので注意。
◎膏薬図子(こうやくずし)
膏薬図子は西洞院通と新町通の間にあり、四条通から綾小路通までを南北につないでいる。幅2mほどで狭く、長さは約160mで途中鉤形に曲がっていて、四条通からわずかに入っただけで静かな佇まいを見せている。かつて関東で反乱を起こした平将門の首が晒された場所とも伝えられ、その供養のために道場を建てた空也上の逸話から、空也供養(くうやくよう)が転訛して膏薬となったとされている。そのため現在も途中に小さく平将門が祭神である神田明神の祠がひっそりと佇んでいる。
<京都文化博物館> (きょうとぶんかはくぶつかん)
近代建築が多い三条通の中でもひときわ存在感を放つ建物は、重要文化財に指定されている旧日本銀行京都支店で、現在京都文化博物館の別館として利用されている。京都文化博物館は、常設展と特別展に分かれており、一階は江戸時代末期の京の町家の表構えを復元した「ろうじ店舗」が展開中。祇園祭期間中は、祇園祭企画展を開催していることが多い。
<六角堂>(ろっかくどう)
聖徳太子が建立した古刹で、西国三十三所第18番札所。本尊は如意輪観音で、本堂が六角形を成していることから六角堂といわれている。現在の建物は明治10(1877)年の再建。京都の中心と言われる「 へそ石 」は本堂前にある。
祇園祭のくじ取り式は今は市役所だが、その前はこの六角堂で行われていた。
■ 縁結びの柳
嵯峨天皇が、素敵な后(きさき)を求めて六角堂に祈願したところ、境内の柳の下で美しい女性と出会い、その女性を后にしたと伝えられている。それ以来、六角堂の柳は「 縁結びの柳 」とも呼ばれ、おみくじを引いて柳の枝2本をおみくじで結ぶと、良縁が結ばれるという信仰を集めている。枝1本では効果がなさそうだし、3本結ぶのはまた違う問題も。。。要注意。