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京都の土下座像の正体は?

今日Voicyで話した高山彦九郎像

高山彦九郎は江戸後期の尊皇家で、「寛政の三奇人」として林子平蒲生君平と並び称される。そう、「奇人」だけど実は極めて優れた人という意味があるので、称されるという言い方で正しい。

高山彦九郎は上野国(栃木県)の郷士に生まれ、13歳で『太平記』を読んで、尊皇思想を持ち、18歳で国を離れて諸国を回り、多くの文士や志士と交流し、京都では公家の岩倉具選(ともかず)の知己を得て、光格天皇にも拝謁している。さらに尊号事件では、江戸幕府と交渉した中山愛親(なるちか)とも懇意であったことから、江戸幕府の老中松平定信から警戒され、幕府の監視下に置かれた。結局九州の久留米の友人宅で43歳(享年)で自刃した。

この像は、通称「土下座像」と呼ばれ、京阪電車の三条駅の上、三条大橋の東詰にあることから、京都では「待ち合わせ場所」の定番スポットだけど、正式には御所の方(北東)を向いている望拝(ぼうはい)像という。

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初代が昭和3年造られたが、戦時中に供出された。その後に、その場所には徳富蘇峰が揮毫した石碑が建てられたが、昭和36年に(その石碑を避けて少しずらして)再建された。作者は彫刻家の伊藤五百亀。

銅像は今年2021年の京都検定の3級のテーマ問題。要チェックなので、このnoteでも書いていきますね。

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