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鮎が跳ねる

 台風が通り過ぎた後の街を抜け、手に吟醸酒を提げておなじみの鮎の店の暖簾をくぐる。大将と飲んで、と女将さんに酒瓶を渡した。以前持参した銘柄も仕入れてあると明るい笑顔で言われ、何となく嬉しい。 カウンターの中の水槽には産卵期を迎えた大きい型の鮎が多い。よく日に灼けた大将が出てきて今日釣り上げた一番の大物を披露してくれた。30cm近い。力に満ち堂々たるその姿に圧倒されたが、さすがに色もくすみがちで特有の香りが薄くなっており、季節の終わりを感じる。夏前なら水面で鮎がピシャッと跳ねただけで、あたり一面にスイカのような鮎独特の香りが広がるんだ、という話を思うと、川面を渡っているであろう風に秋を思う。

 ピシャッ…

 宴会の参加者が集まってきたので座敷に上がると、背ごしを浮かべた半田そうめん、鮎の姿鮨、ウルカミソ、胡瓜などが美しく並べられており、みんな口々に歓声を上げる。早速ビールで乾杯。これはサービス、と言いながら件の大鮎が刺身で出された。ガラスの大平皿に敷き詰めた氷の上に、僅かに銀色に光り淡い透明な赤みを帯びた切り身が活き造りにされている。そのまま清流の音が聞こえるような見事な逸品だ。それぞれにため息をつきながら味わっているうちに、串に刺された鮎の塩焼きが出てきた。こうなると日本酒が欲しくなる。有り難いことに子持ちの鮎だったが、串に刺してあるためうまくそれぞれを味わえない。しかし日本酒を口に含むとやはり素晴らしい味わいが広がる。いつものようにウルカを頼んだが、店に出す分はもう底をついてしまったとのこと。残念がると少しして、今年仕込んだウルカを特別に出してくれた。そっと箸で取るとまだ肝が崩れておらず香りがより強い。酒を含んだ時の感動に引きずられるように次々とグラスを空けてしまう。次第に酔いがまわり、全身が脈打ち始めた。

 ピシャッ…

 串刺しの味噌焼き独特の芳醇な味と香りを口一杯に楽しみながら、ふと自分が今年食べた鮎は何匹になるんだろう、と考えた。6月に初めてここへ来てからもう4回目。少なくとも毎回5~6匹は食べているはずだ。今日はそれ以上の鮎が使われることになるだろう。おまけに、鮎の肝の塩辛であるウルカや肝の味噌付けのウルカミソには、一皿で8~10匹の肝が使われているはず。自分では汗一つ流さず清流に除ねる清冽な生命を貪り喰らう己が身の醜さに、急に背筋が寒くなった。鮎に呪われても仕方ないな、と思った。
 そのとたん、急に身体が重くなってきた。酔ったのか。たまらず横になる。目をつぶると周囲がゆっくり廻っているようだ。自分が酒に弱いのは分かっているはずなのに何で今日はこんなに飲んでしまったんだろう。と思いながら意識が遠くなっていった。

 ピシャッ…

 意識が少し戻ってきた。ふらふらと立ち上がってトイレに行き、しこたま吐いた。少し座り込んでから、口を清めて座敷に戻る。他のメンバーは奥の茶室を見せてもらっているようだ。青竹を削った器に入れた鮎雑炊にももう手がつかない。同じく細い青竹の湯呑みに入れてくれたお茶を飲む。良い香りに胸がすくようだ。縁側に座って目を閉じる。吹き渡る台風の名残りの秋風が火照った身体に心地よい。少し目を開けると、その風に揺れる見事な庭園の木の葉が見える。暗い夜の青白い水銀灯に止まった羽虫、澄み切った虫の声、少しの肌寒さ…。
 再び横になって目を閉じる。あいかわらず身体が重く脈打っている。その血流の轟音の向こうでピシャッという澄み切った音を聞いた。闇の中で銀色に光った鮎が跳ねていた。
 そうか、やっぱりこれは鮎のたたりだったんだ。のたうちながら、仕方がない、それだけのことをしている、と思いながら、意識が途切れていった。

 ピシャッ…

                         (1995/9/16)

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楽水
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