「仕事」ってそもそも何だっけ?
こんにちは。平凡サラリーマンのらくさまーです。
平凡だけどちょっとズレたライフスタイルを発信しています。
前回の投稿で、「働き方」について述べました。
この問題、実はとても根深いものを抱えている、とらくさまーは思っています。
実際にリアルの場で、単に「無駄を省き、仕事を効率化して、家庭と両立させましょう!」といった正論をぶちまけても、そう簡単に受け入れてはくれませんよね。(表面的には頷いてくれたとしても。)
「無駄を省け!」と言っても、「いや、無駄なんかねーし!」となり、「効率化しろ!」と言っても「いや、もう限界!」とかなる。。。
この水掛け論の一つの原因として、「無駄」とか「効率化」とかいったところのボタンの掛け違いがあるものと考えられます。
すなわち、仕事を進めるうえで何が「無駄」なのか、何のために「効率化」するのか。
とどのつまり、「仕事」とは何か?
「働き方」を考えるうえでは、そこから掘り下げていかないと、表層的な話のみに甘んじてしまうでしょう。
ですので本稿では、このごくシンプルな問題について、ごくシンプルに考えていきます。
「仕事」の定義
まずは、本稿で考えたい「仕事」についての定義を固めたいと思います。
試しに「仕事」というワードを辞書で調べてみると、次のように書かれています。
プロジェクトXとかで熱く語られる「仕事」は「1」、
「パパ~お仕事頑張って♡」の「仕事」は「2」でしょうか?
しかし、本稿で述べたい「仕事」の定義としては、何かが足りない気がします。
両者とも何か「一方通行」的な気がしませんか?
そう、ここでは「仕事」という行動をする「主体」のことしか述べられておらず、「仕事」を受ける「客体(=お客さん)」のことに触れられていないのです。
「仕事」は、対価をもらって成立する以上、必ず相手方(お客さん)が存在しています。
つまり、「仕事」は「双方向的」な営みなのです。
これを踏まえ、本稿では次のとおり定義したいと思います。
仕事の定義:「何かしらの行動を起こすことで、お客さんの欲求を満たし、そのお客さんがそれに見合う対価と思った報酬を受けること」
辞書上の意味とは少し異なっていますが、「仕事」の本質はこの「双方向性」にあります。
それは、「仕事」の成り立ちを考えてみても明らかです。
「仕事」の成り立ち
歴史を大きく遡ってみると、人類にとっての初仕事は「物々交換」でした。
リンゴをいっぱい持っている人と、ミカンをいっぱい持っている人との運命的出会い。
それは、それまで完全なる自給自足生活だった人類にとって、大いなるイノベーションであったに違いありません。
物々交換の世界で考えてみれば、先ほどの「仕事」の定義が解りやすくなると思います。
相手が欲しいと思っているものを欲しいと思っている分だけ持っていなければ、絶対に取引は成立しないからです。
その後「貨幣」が発明され、巨大で複雑な分業システムができあがった今日においても原理は同じ。我々がいただくお給料は、本来、どこかのお客さんを満足させた対価、であるはずなのです。
「仕事」の迷走
ところが、この分業システムがあまりに巨大で複雑となったことで、「仕事」と「お客さんの満足」との間に大きな距離が空いてしまい、結果として「バグ」が生じてしまいます。
つまり、巨大なシステムの中で、お客さんの満足に貢献していない「フリーライダー」が出てきてしまった。
いわゆる「大企業病」とか「官僚主義」とか言われるもので、「仕事のための仕事」やら「規則のための規則」とかに拘泥する人(※)が出てきてしまったのです。
※単にサボる人も(以下自粛)
結 論
以上のように考えると、本来「仕事」というのは、お客さんを喜ばせてナンボ、であり、その対価(お給料)は、お客さんが決めるものである、ということが解ります。
したがって、冒頭の水掛け論に水を差すならば、「お客さんが満足しないもの(=お金を払ってくれないもの)はすべて無駄であり、同一の満足量(効用)に対しては、できるだけコストと手間をかけないように工夫(効率化)しなさい。」ということになります。
ドラッカーほど哲学的に考えずとも、「仕事」をシンプルに捉えることで、少し頭が整理されるのではないでしょうか?
ドラッカー名著集13 マネジメント[上]―課題、責任、実践(P.F ドラッカー 著, 上田惇生訳:ダイヤモンド社)
p.s
「よし!これで「働き方改革」についての理論武装ができた。これで、ワーカホリックさんたちを次々と論破して、明日からバラ色の職場を作っていこう!!」と、思った方・・・はいませんよね?
そんなことで、簡単に人の価値観は変わりません。特に人生の太宗を占める(と思っている人が多い)「仕事」に関しては。
そこには、「理屈」をはるかにしのぐ人間の強い「感情」が存在しているからです。
だからこそ、「働き方改革」問題は根深い。。。
この人間の「感情」については、別稿で述べるとして、今回はここまで。