エーデルガルトを見た、私の所感
私は、その女の容姿を三度、見たことがある。
一度目は、その女の、幼年時代とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の容姿である。茶髪を所謂ツインテールにまとめ上げ、リボンで留めている。全てを受け入れそうな、奥深く広い、大きな眼をしている。それでいて、どこか物憂げな様子を見せている。何か辛い過去を抱えているが、それを吐き出せない、逃げ出せない環境にいて、酒で酔っていて気持ちが悪いのに、シラフであるかのように振る舞う様子にすら見える。(当然、子どもは飲酒できないのでそうはなりえないのではあるが。)
それを見抜けない人たちは初めて見たときに「かわいい女の子」と言うだろうし、私もそう言うのであろう。(それぐらいには、私は、周囲から何も考えていないね。と言われます。)
しかし、少しでも物わかりのいい人たちは、その境遇に同情し、その少女の周囲にある得体の知れぬ、黒い雰囲気をまるで溝鼠を追い払うかのように、取り払いたくなるのであろう。
その証拠として、私は、その少女が私に一つも笑顔を見せていないことを知っている。(いや、どこかで見せているかもしれないが、それを知らないだけかもしれない。)
その少女の表情を垣間見えたのは、ある金髪の少年との会話が大半だった。(余談ではあるのだが、金髪の少年は男の子にしては髪がやや長く、引っ込み思案であるかのようにも見え、常にリードされている。一緒にいる様子を見ると、まるで性別が真反対のようにも見える。)
それを見ると、強気に前に出る姿勢か、予想だにしない贈り物に困惑している顔のどちらかであった。
形而上的にその少女を評するとすれば、他の同年代の人と比べて抜きんでた凛々しさと、その周囲にある汚らわしい溝鼠が餌に覆いかぶさるように、直視したくない、目を潰してでも視ぬふりをしたい過去がつくる黒い雰囲気を感ぜざるにはいられない、そんな容姿であった。
つまるところ、私はこれほどまでに矛盾を抱えた少女を見たことが無かった。
二度目は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌している。学生の姿であるにもかかわらず、白髪になっている。老けるには早すぎるどころか、何かしらの病を抱えているのではないかと思わされるくらいの病的な髪の色をしている。しかし、不思議なのは、周囲はそれを気にも留めない、人によってはそれを美しいと評するほどである。
変わっているのはそこだけではない。眼は先の十歳前後の時よりも、大きさこそ変わらないが、鋭くなっていることが、ひと目でわかる。その目で見られていると、病院の精密検査で、皮膚の中にある血管に絶えず動くヘモグロビン一つ一つの動きが把握されているかのように、自分の思考や振る舞いを試されているかのように感じるのだ。
不気味。言ってしまえばそうなるであろうが、しかし、不思議と近づき、何か物事を言われたくなるような声をしていることも事実ではある。
そう言えば、今度こそ笑っている姿を拝むことができたのではあるが、直感的に人間の笑いと違うと言わざるを得ない。心の底から笑っている様子はなく、むしろ、その笑顔の裏に何か硬くて重い岩で本心への入り口を閉ざしているかのように見える。
しかし、私を含めた所謂センスのない人はこれが本当の笑顔だと思うのであろう。本当の笑顔に見える、巧妙な愛想笑いだ。それと、その顔には迷いも見られた。何か大きな、フォドラ全体を動かしてやらんとばかりの心意気と共に、それをいつやろうか、そして、それをやった時にどうなるのか不安が同居している。
ある坊主の言葉を借りて、言うとすれば、こうなるだろうか。
「悪い顔になったが、まだ救いはある。常に悩んでいる顔をしている。己の生き方に迷いがある。その迷いが救いである。悪い顔だが、いい顔でもある。」
つまるところ、私は、こんな矛盾を抱えた美貌の少女を見た事が無かった。
三度目は、髪型や服装こそ変わっているが、基本的な顔の構造は変わっていない。強いて言えば、目つきがより鋭く、(人によっては悪く、と言うであろう)視線だけで突き刺せそうになっている。値踏みをするどころか、己の物差しで決め切らんとばかりに、レイピアのように尖った眼になっている。より怒り眉に近づいた眉毛がそれに拍車をかけている。 しかし、そうまで言っても、概ね変わっていない。その顔の構造を見ても、額、眉、眼、髪の色、鼻口顎、エトセトラエトセトラエトセトラ……、どのようにその構造を分析しても、その顔には表情が無くなっているとしか感じられない。
たとえば、学生時代の頃の姿を並べたとしよう、どちらがより印象的かと言われたら、十中八九、学生時代の方と言うであろう。何度見ても、そういえばそんな顔だったな、程度の感想しか思い浮かばないし、むしろ、今の顔をどうやって論ずるかに、苦しむかも知れない。考えるだけ、腹が立ってくることさえあるかも知れない。
それでも強いて言えば、信念しか感じられなくなっている。それどころかその信念をやり切ったという顔もおそらくは拝めないだろう。 やはり、ある坊主の言葉を借りるとして、「迷いのない顔。つまらん顔だ。」
つまるところ、私は、矛盾が全くなくなった女の顔を見た事が無かった。