【感想記録】「嘘が怖い?」/舞台「ト音」
すごく観に行ってよかったし、友達に全力で「お願いだから観に来て!」と頼み込んだ作品でした。来てくれた友達ありがとう。もう一回観たいって言ってくれてありがとう。ほんまに。
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概要
ストーリー
劇団5454(ランドリー)さんが制作している作品で、今回は4回目の再演だそう。
脚本が本当に今自分に必要だと思える内容だった。
黒板を使った演出、場面の変換がとっても自然で、暗転して装置を変えていく作業でもキャラクターがずっとキャラクターとして生きていて舞台の「都合」を全く感じず2時間一瞬も飽きがこない舞台。
伏線の張り方も秀逸で、1回目に観た時の「今の何?」という違和感が終盤で一気に解決する気持ちよさよ…!!
バカな私は五味先生の「秋生はお前なんだよ」までずっと「なんだ!?どういうことだ!?」を繰り返していた。
でも2回目観ると最初っから役者さんは藤か秋生片方にしか喋りかけていない(千葉は藤と秋生が言い合いするときに階段で上下に目線をやるところが一回だけあるが)し、違和感を感じていた意味に全部気付ける。この体験が楽しすぎる。
劇場に行けて本当によかった作品だった!
嘘の定義
物語が進む中で秋生には「嘘が見える」とわかる。
視覚的に嘘をついている人にもやがかかるが、嘘の内容によってもやのかかる場所が変わる。
内容の分類は下記の通り
・見栄
・保身
・冗談
・謙遜
・情
嘘って悪意が透けているときに嫌になるものだと思いがちだしそれで言うとみんな「嘘ついていない」って自称するけど、こうみると「嘘をつく」がめちゃくちゃ軽く行えてしまうことだなあと感じる。
ラストシーンで「体は大丈夫か?」って坂内先生が心配するだけでも嘘判定されちゃうけど、情は全て藤秋生にとっては嘘なのかな?
嘘のない情ってないのかな〜
事実に準拠しない⇨嘘が言葉元来の意味だと思うが、「こう言ったら相手にこんな変化が生まれるかも」という期待によって出てくる言葉は事実ではないよねって捉え方なのかな〜
つまりは他人からの見え方を気にした言葉=嘘ということで使用した作品?
ここではそういうことにして進めます。
各キャラクターと嘘
この定義だと嘘の判定範囲がめちゃくちゃ広くなってしまう中で、ずっと正直でいる千葉と長谷川さんが印象的だった。
千葉は誰に対しても「嘘偽りなく接する人」。
こんな人と一緒に過ごしたい!一番楽!!勘繰らないでいられる相手がほしい!!!
藤秋生が幼少期から千葉に出会っていたら秋生くん人格は生まれなかったのかなぁ?曇って見える人たちが怖い中で信じられる相手がほしい。
相手からのリアクションを気にした発信ではなくてあくまで自分の感性で動いているから信頼できる。ただ、千葉は友達ちゃんといるのかな〜?その日その日で興味のある人と一緒にいそう。固定で何か縛るみたいな本心と少しでもずれることをしないと人と一緒にいるのって無理なのかも。
そんな人にも一途に思ってもらえたらどれだけ理想的か…って話だな……
長谷川さんは「情報に価値を感じる人」
感情によって嘘が生まれるからこのアプローチは確かに出るよね、と思った。情報はある側面から見たら嘘になることはあり得るものの、情報に意図は無くて、発信者に意図があり嘘ができあがるものね。
「嘘がない」を分解すると「自分の感情に正直」と「情報に価値を感じる」になるのなるほど〜〜
坂内を筆頭に大人たちは嘘まみれである(そこに大人になりきれない土井先生が切り込む)という話だけど、
足立が「社会の平穏を保とうとする人」と紹介されるように、組織の中で動くにはそうならざるを得ないんだなあ
自分を守るためでも他人を守るためでもあり…
学生は一人で自分に向き合えるけど社会の中の大人には役割が生まれるから誰かに影響を与える必要が出てくるし、図らずとも影響を与えられてしまうこともある。
本心で社会の中にいたら自分の本体が誰かに影響したり強制的に矯正されたりしちゃうから他人からの見られ方を意識した嘘で鎧を作る必要があるなぁ、と思った。理想的ではないから戸井先生の発言にはとても共感した。
でも、五味先生はその嘘を纏いながら子供の正直さを丁寧に扱ってくれるというか、現実や事実を大事にして向き合おうとしてくれる。嘘の笑顔も練習する歩み寄りや、本気で「自分を偽って接されるのはつらいだろう」と藤を理解するところで大好きになった。叱る場面でもだけど、一番子供に嘘をつかせないようにしてくれるキャラだったのではないか。
「言葉が鋭利で怖いけど、真っ直ぐに向き合ってくれた人」
この人の前だと嘘をつかないでいられる、っていう相手は必要だなー
嘘の例
上記定義に沿っていけば「嘘」に分類され得ることがいろいろと出てくる。
・アフタートーク回で残ったこと
アフタートーク回で、作品自体に興味を持った私は当たり前のようにその場に残ってアフタートークを待っていた。しかし、出てきた劇団5454の皆さんは「こんなに残ってくれるなんてありがとうございます」と口にしていたことで、もしかしてこれも嘘に分類されるのか?と思った。
言葉の意味として「目当ての役者が出てくるわけではないのに残ってくれるなんて」が含まれることは想像がついた。
正直劇団5454さんのことは今まで一切知らずにいたのに、劇場に残った自分の姿をこの発言から初めて俯瞰して、「せっかくこの作品について知れる機会が与えられるのに残らないはずがない」の他に「せっかくこんな機会を用意したのに席を離れられたら、価値がないのだと感じて悲しくなるだろう」もあるなと気づいた。
前述の嘘の定義に従えば、自発的な感情の他に他者からの見え方が行動の動機にあるという点で嘘にあたると思った。
・舞台やソシャゲ
戸井先生が好きな舞台やソシャゲも全部嘘になる。きまったシナリオがあって、役者はそれに沿って発言しなくてはいけない。ソシャゲはいわずもがな仮想世界。
両者とも消費者の受け取り方を考えて、感情の変化を生むために作られるものである。
戸井先生は嘘だらけの現実の大人の世界で「正直」をぶっこむ「大人になりきれない人」であるが、同時に非現実に向けて正直に愛を注いでいる。
私は嘘がすごく苦手だと思う。
でも嘘について整理し始めると自分も嘘つきで、嘘に支えられていて、嘘の役割も理解できて、何より嘘の世界を愛しているじゃないかと感じた。
自語り総括
この先、作品を見たことで出てきた自語りです。
めっちゃ自我です。
noteタイトルにはいろんな意味で一番残ったテーマを載せているので今回は「嘘が怖い?」にあたるのですが、私は真っ先に怖い!!と答える。
今回事前知識ゼロで行ったのでテーマが嘘だと知らなくて、行ってタイムリーすぎてびっくりした。
本当にちょうど観劇の前日に自己分析をしていて、自分は自分にも他人にも嘘が許せないから、会社に属するのが向いていない、仕事と関係なくみんなが自分を正直に曝け出せる組織づくりがしたい、とか考えていたので…
また、秋生と重ねられるようなことではないけど、自分の不調からすごく周りに気を遣わせた経験がある。いろんな大人が動いてくれたが、「どこまで聞いていいのか」「踏み込んでいいのか」「何もない体裁でいた方がいいんじゃないか」みたいな空気をとにかく感じた。
だから先生たちの反応が本当にリアルで、初見のときは居心地の悪さがすっごかった。
五味先生の言うように自分を偽って接されるのが本当に辛いんだよなあ。
自分の存在によって周りが正直でいられない、気を遣わせている、迷惑をかけている、めんどくさいよなあこんな人、みたいな 被害者意識よりも加害者意識が強まる感じ。
自分の場合世の中の全ての人は自分の考えを持っていて、それに蓋をしなくてはならない瞬間があって、それが健全じゃないって考えが常に頭にあるからこういう感覚になってしまう。(自分のせいで人の考え方と言いたいことに蓋をさせている〜のような)
私が喜びそうな言葉を探して喋ってくれる相手に対しては大体疲れさせているなと感じて距離を置いていつの間にか疎遠になる。
でも、今回作品を通して「良い悪いじゃなくて、そんなもんなんだよ」を伝えてもらった気がしていて。
(長谷川の「良い悪いの話はしてないし」もそうだし、ど頭の秋生の「そんなもんなんだよ」に全て集約される話だった。)
今後この考え方からは逃れられないし、自分の頭の中の「みんなが正直に生きられる環境」の理想は叶わないけど、別にそれが悪いことじゃなくてこのままでも大丈夫だと思わないといけない、そうしないともう生きていけなくなる、と思った。
また、最近私にとって推しの存在価値も変化したと思った。
昔の自分は「この人がいるからこんな自分でいよう」のように、推しの虚像をできる限り自分の近くに寄せてピッタリ貼り付けていないと立っていられないペラッペラだった。でも、いろんな諦めを理解して、自分にとって大事な人を特定に断定せずに興味があることに気分が向いたときにだけ自分の意思で楽しめるようになってきつつある。秋生(イマジナリーフレンド)との別れは自分の味方の虚像と別れて自分だけで生きていく、ということだと思うが私もお守りのような考え方や絶対的な味方を頭の中に常備して依存するのは避けたい。そうした結果何かと人生に彩りはないけど別に一般人の人生なんてこんなもんなんだと思う。
嘘に対してもう少し寛容になれたらいいなあ。
と思いつつ、藤秋生もラストまでずっと「嘘が見える」症状は変わらないままだったからきっと嘘に対する考え方は変わっていないんだろうと思う。
だから私も、理想を追いかけるより現状を肯定できるように、嘘に厳しい自分も「他の人との違いがあって面白い」ぐらい思えるように、脱力しながら生きていきたいなぁ。
あと、自分もできる限り他人に正直に誠実に向き合っていける人でありたい。
普段からかなり利己的な考え方をしているから難しい。
ある種諦めではあるが、嘘の肯定に繋がる希望とも言える、暗くて明るい舞台だった。