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「ノスタルジックドリームガール」に学ぶ愛情 #ボカロリスナーアドベントカレンダー2021

まえがき


初めましての方は初めまして。そうでない人たちはよく来たな。
この記事は「ボカロリスナー presents Advent Calendar 2021」の20日目の記事になります。
obscure.さん、企画の立案と運営ありがとうございます。アドカレ参加したかったんよ~!

普段は毎月第二土曜日の昼or夜(奇数月が昼、偶数月が夜)に開催されている「VOCALOID FREAK」通称 #ボカフリ で合成音声のDJをしているほか、Chill やPopsを中心にオールジャンルのイベントにも遊びに行っています。オファーください。
最近ハマっているものはSnow Manというアイドルグループです。実力派でメンバー同士のエピソードも無限にあるので関係性のオタクは是非チェックしてください。

以上、敬語で自己紹介をするコーナーでした。ここからは論文風お気持ちです。

本題

以下の曲は、6年間変わらずに私のVOCALOID一選となっている曲である。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm16203010

ノスタルジックドリームガール」はトーマ氏の記念すべき10作目にして染香氏とのコラボ作である。美麗なアニメーションと物語性の強い歌詞は普段のトーマ楽曲とは一線を画した曲として独立した存在感を高めている。考察が楽しい楽曲としても知られているのではないだろうか。

今回のnoteでは、私が好きな歌詞をいくつか紹介して、この曲のロマンチックさを少しでも感じてもらいたいと考えている。トーマ楽曲を取り扱いながらほとんど染香氏が作ったものについて言及していく形になるが、ご容赦いただきたい。

まず、タイトルに含まれる「ノスタルジック」とはどういう意味なのか。Weblio内の実用日本語表現辞典には、以下のように書かれている。

「ノスタルジック(英: nostalgic)」とは遠い懐かしさを感じさせる、得がたいもの、失われたものなどに対して、心惹かれ、思いを馳せ、憧れや恋しさを抱くさまなどを意味する語。 主に「郷愁」と訳される。 かつて過ごした故郷をしみじみと懐かしむ気持ち(懐郷の念、望郷の念)として想起されることが多い。

MVの随所でぬいぐるみが出てきたり、天蓋付きベッドがイラストの真ん中に鎮座していたり、タイトル通りこの曲のMVは女の子が誰もが憧れる「夢」を象徴しているものだと考えられる。
それが「ノスタルジック」、すなわち「得がたいもの」であるとタイトルで宣言している。この時点で既にハッピーエンドは望めなさそうな空気だ。

好きな歌詞①

最初に紹介するのは、2番冒頭のこの部分。

きっと少女はブレーキを踏まないだろう 
見得さえ切れない東に走るから 

「見得を切る」とは、「自分を誇示するような態度をとる。ことさらに外観を飾る」という意味で使われる言葉である。端的に言えば「誤魔化す」という意味で取れそうだ。
また当然のことだが、「東」は「西」の反対方向に位置する。東の方角に特別な意味はあまりないが(東本願寺くらいだろうか)、西の方角には「西方浄土」があると長い間信じられている。
そもそもこの世は苦しみに満ちた世界であり、その苦しみの根源である輪廻転生から逃れる事が出来るのが「浄土」である。「浄土」とは仏教における安楽の世界、要するに天国みたいな場所だ。

この二行目の歌詞を以上の背景を踏まえて読み直すと
誤魔化せないほど天国から遠ざかるから」
という、ひどく救いのない言葉であることが分かるだろう。

しかし、天国から遠ざかる先にあるのは現実。見得さえ切れないほどに苦しい現実を進んでいく主人公の様子が、比喩を巧みに用いて表現されている。

この歌詞はnoteタイトルの「愛」との関係はこれといって無いのだが、様々な事柄が踏まえられていてお洒落だと思ったので紹介することにした。

好きな歌詞②

紹介するのは2番のサビのフレーズ。

ブーケを投げ捨てて 神様に指名されたいの 
Mellowly 午前0時の約束は守れないから 
夜の帳を飲み干して 奥歯も凍るキスをしてよ 
ガラスの靴は捨てちゃえば

ガラスの靴」は、シンデレラが王子様と結婚するに至ったキーアイテムである。
シンデレラを見初めた王子様は、彼女が魔法によって手に入れて帰りがけに落としたガラスの靴がピッタリ入る人物を探して結婚を申し込んだ。

要するに「ガラスの靴」とは誰かに選ばれて幸せになるためのアイテムであり、救済の象徴であり、我慢が報われる象徴でもある。

逆の解釈をすれば、ガラスの靴が無いうちは我慢が足りていないとも読める。「努力は必ず報われる」という神話を扱う時によく言われていた逆説だ。

それを「捨てちゃえば」と言い放っているということは、我慢して報われる権利、つまり正当に幸せになる権利を放棄するということだ。

午前0時の約束」も、客とキャストという線引きを表していて、それを「守れない」と言っているのではないだろうか。

MVでは、扉の向こうの王子様を主人公が裸足で追いかけるシーンが描かれている。いくつものぬいぐるみを踏みつけながら。
それは彼女、あるいは彼女に縁深い人が踏みつけにした人の象徴かも知れない。


それが不道徳であっても不誠実であっても自分の手と足で幸福になりに行くという行為は案外難しい。当然何もせず善良に幸せになることの方に皆憧れがあり、人はそれを「玉の輿」と呼んだりしている。

2番サビの歌詞には一人の少女の大いなる諦めと大いなる決意が籠っていると言えるだろう。

この歌詞と共に裸足で走り出す少女のアニメーションは、さながら決意に目覚めたヒーローが走り出すような高揚感を私にもたらしてくれた。

余談だが「奥歯も凍るキス」という表現は既出表現である。
これはサザンオールスターズの「エロティカセブン」という楽曲に「奥歯も凍るようなキスをしたいだけさ」という表現の引用(多分)で、エロティカセブンの文脈を踏まえるなら「体ありきの関係性」という示唆になるのかもしれない。
気付いた時あまりにもびっくりしたので灰枠にこの気づきを捻じ込んでおいた。

好きな歌詞③

私のいっとう好きな歌詞は、最後のサビプラスアルファの部分だ。

ねえ ダーリン ダーリン
ドレスを舞い上げて とびきりの浮気をするの
Slowly 嘘でいいから本当のこと教えてね
あたしに寄り添うメロディを 空翔ける電線に並べてよ
あなたの顔が見えないわ
僕はとある独裁者 今からお前を攫いに向かう

「嘘でいいから本当のこと教えてね」という言葉は、一見すると矛盾している意味不明な歌詞にも思えるが、これほどまでに恋する乙女の要求を的確に表している歌詞を私は知らない。

人間だれしも愛する人に隠し事をしないでほしいと思うことだろう。しかし実際はそうもいかない。
飲み会が合コンだったとか、職場の人に告白されたとか、マフラーが元恋人のプレゼントだとか。

私たちは別に言わなくてもいい些細なことを隠すために愛する人に「なんにもないよ」と嘘を吐くのだ。
正直でいることは美徳かも知れないが、知らなくていいことを相手に知らせるという点でかなりエゴイスティックな美徳であると言わざるを得ない。

それらをすべて踏まえたうえでの「嘘でいいから」という言葉である。
大切なのは、彼女を安心させる綺麗事が嘘であっても「本当のことだよ」と言ってあげる誠実さなのだ。
「していない」ことを証明するのは非常に困難なので、何かを疑いだしたらきりがない。「嘘でいいから本当のこと教えてね」という歌詞は、その疑いから抜けられない気持ちと、それを踏まえてなお誠実であってほしいというありったけの願いとの折り合いを絶妙に表現している。
あなたの顔が見えないわ」という言葉も、彼が嘘を吐いていないのか計りかねて不安になる乙女心を如実に表していると思う。

こんな彼女の願いに対する答えが
「僕はとある独裁者 今からお前を攫いに向かう」
である。

1億点!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

こんなに正しくて素敵な返しはないと思う。だって嘘でも構わないのだから。

言うまでもなく人攫いは犯罪だ。見つかったらとんでもないことになるが、それをやってのけようと宣言している。平たく言えば「君のためならすべて捨てられる」という宣言だ。愛する人にこんなこと言われた日には幸福で空も飛べそう。

「君のためならすべて捨てられる」と直接言うとなんだか有難みも薄いが、「攫いに向かう」という具体的な行動が入ったことで説得力も高まり、何よりMVの王子様のイラストにマッチしている。

先ほどの好きな歌詞②の高揚感を引き継いでのシーンなので、16歳の私は二人の恋路にうっとりし、そんなお子様マインドを引きずっているので未だにこの歌詞が大好きだ。私は正直こそ美徳と思っていたタイプだったので、その価値観がひっくり返ったのも、この曲が1選として忘れられないものになることを助けたのだと思う。

まとめ

今考えると、水商売という場所、浄土から遠ざかるという表現、踏まれるぬいぐるみや「ブーケを投げ捨てて」という言葉、「奥歯も凍るキス」という恋愛を伴わない体の関係を容認する桑田佳祐イズムがあふれた歌詞の引用、そして最後の「噓でいいから本当のこと教えてね」という諦めとも取れる言葉は、すべて浮気の恋模様を表現していたのかもしれないと思う。

どんな甘言を言われても絶対に手に入らないと分かっている、だからこの曲のタイトルは「ノスタルジックドリームガール」なのかもしれない。

浮気というテーマだとしても、それらは幾重もの隠喩とロマンチックなMVによっておとぎ話のような物語へと昇華された。

精神科医の名越先生曰く「人は自分に降りかかった出来事を物語として落とし込んで納得することがある」という。
この浮気も、少女が罪悪感と止まない恋慕との板挟みになる苦しみを通じて、一冊のおとぎ話と成ったのかもしれない。

私はこの曲を聞くたびに、近所の女の子とベルのドレスを着てプリンセスごっこをしていた日に連れ戻され、あの日には想像できなかった二人の哀しい恋の末路を思い、胸を痛めてしまう。
そしてきっと、これからも。

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