「しゃべるボカロとボカロP」に収録されてるねこむらさんのおしゃべりがすごい
※ヘッダー画像は本記事とは特に関係ありません。
また、このnoteは読者が「しゃべるボカロとボカロP」を視聴している前提として説明を大きく端折っています。ぜひアルバムを聴いてからこの記事をお読みください。
平田義久さん、松傘さん、左手さん、ねこむらさんのコンピレーションアルバム「しゃべるボカロとボカロP」が11月23日にリリースされた。ボカロPがそれぞれの初音ミクとおしゃべりをする様子(と、オリジナル楽曲)が収録された、革新的なアルバムである。
このnoteでは、個人的に一番衝撃的だった「初音ミクとブンブンブブブンするやつ」のクオリティの高さについて語りたい。
正気を失った推し語りなので、そのつもりでお付き合いを。
「ねこむらさんちの初音ミク」
ねこむらさんちの初音ミク(以下「ミクさん」)は、とても賢い。この場合の「賢さ」とは卓越した学習能力についてを指している。
良くも悪くもミクさんは「賢い人間」よりも「優秀な学習能力を備えたロボット」のような性格を付与されているのだ。
※以下、灰色のボックスで囲まれている箇所はトラックのセリフを文字起こししたもので、初音ミクのセリフを「み」ねこむらさんのセリフを「ね」と表記します。多少の誤表記についてはご容赦ください。
(「左手」と「左手さん」を混同するくだり)
み「さん、いるの~?」
ね「さん、いるなぁ…」
み「分かった~」
ね「これ呼び捨てだったら1本2本とみなす」
み「は~い」
ね「平田義久(ブンブン)」
み「3本(ブブー)」
ね「wwwww違うやん違うやんwwwww」
み「なんで~?」
(中略)
ね「平田義久は3本ではないやん絶対にw」
み「だって呼び捨てしたから」
(中略)
ね「えぇっあぁ~、なんていうか分かるかなぁ…あの~…米津玄師さんってわざわざあんま言わないでしょ?」
ね「平田さんの左手(ブンブン)」
み「6本(ブンブン)」
み「平田さんの左手さん!(ブンブン)」
ね「ん~ごめんちょっと待ってw(ブブー)」
み「はいダメ~」
ね「平田さんの左手さんってちょっとよくわかんないな」
み「「人」でしょ~」
ね「「人」かもしれんけど…平田さんの左手さんが7人ってだいぶ意味わからんもん」
(中略)
ね「ちょっといじりすぎたかもしれんね」
み「そうですね」
み「マツカサ(ブンブン)」
ね「おいおいw 2人(ブブー) なんでぇ!?」
み「ぶっぶぶー」
ね「いや松傘さん…2人」
み「マツカサですよ?」
(中略)
み「松ぼっくりのことでしょ?」
(中略)
ね「マツカサって言われたらもう…松傘さんなんやなぁ」
み「だってそれ呼び捨てじゃん」
ね「あぁ呼び捨て…そうね」
み「松ぼっくりの可能性もあるから~、この場合呼び捨てはしません」
(中略)
み「それにさっきいじるのやめよって言ったじゃないですか!」
ね「おぉぁ……確かに!」
ブンブンブブブンをやっている最中のルールについて問題と解決策のみを説明すると、
①「左手」と「左手さん」を混同する→呼び捨てにしたら単位は「本」というルールを伝える
②「平田義久」を「本」という単位で数えてしまう→明らかに人名であるものは呼び捨てでも「人」だと伝える
③「平田さんの左手さん」というなんかちょっとよく分からない(という感覚が極めて人間的であるが)お題を出す→「そんなものはないだろう」と突っ込む、とにかくほかの参加者さんをいじるのをやめようと約束をする
という流れになっている。
この構造を見ていただけると分かる通り、②は①の、③は②のルールを受けてミクさんがミスをしている。
前回より前に指摘された点は確実に学習し、押さえているのだ。
そのうえで、人間が経験則的に考えて「これはないだろう」という、ルール上で明文化しなかった穴をついてくる。
そしてマツカサのくだりでは、今までの経験(ボカロPをお題にしていく流れ)的に「ルールを破った」と感じて「2人」と言ったねこむらさんと、①から③までで学習したルールのみを押さえたミクさんとの差異が明確に現れているのだ。
人間が当たり前に理解出来る「行間」を排して、そこを初音ミクと人間の境目とする台本を作り上げたねこむらさんのメタ視点の鋭さには驚かされるばかりだ。
ここまではまだ「初音ミク」という存在がどのようなものであってもある程度漫才で成立する域だが、ここから先はかなりナイーブかつ人によって考えが違う「初音ミク」の存在定義についてだ。
ミクさんは、人間と同一視されることを明確に拒否している。
これは個人の感想だが、VOCALOIDであることをアイデンティティにする初音ミクという設定を私は初めて見た。ねこむらさんのようなVOCALOIDを描写するボカロPは極めて少ないのではないかと考えている。
ね「ていうか…逆になんでミクさん知ってるのかってことになりますけどね…」
み「…なんで?」
ね「えだってミクさん…何歳?」
み「ん?」
ね「じゅう…ろく?」
み「……うん」
ね「ほら~、えっだってこれ多分ミクさんが生まれた時くらいにちょうどテレビでやってた」
み「はいせーの!ブンブンブブブン!」
「初音ミク=VOCALOID」という主張をするミクさんのキャラクター設定において1番この台本の優れている点は上記のテクストだと考えている。
ミクさんとしては「VOCALOIDは生き物ではないので年齢がない」と思っているところだろうが、ねこむらさんは(少なくとも当のミクさん以上には)人間に近いと思っているために、テレビのコーナーの知識に「年齢」という指標が当然の疑問として出てくる。
ミクさんが年齢について明確に返答をしないこの場面は、序盤にして最終的なオチの伏線としても機能しているのだ。とても良く作り込まれていると言うべきだろう。
そして最後の場面。
み「初音ミク(ブンブン)」
ね「3人(ブブー)あれっ、」
み「あ~~~~~~~~」
ね「なんで?なんでなんで?初音ミク3人……」
み「今まで、私のことを、人間だと思って接していたんですか?」
ね「いやいやいや、違うよ、そういう意味じゃなくて」
み「VOCALOIDですよ」
ね「やけど、やけど、ミクさんを前にしたら1人2人って言うんじゃないんですか?」
み「あ~~~~~~~~~~」
ね「いやいやいや人でよくない?」
み「あ~~~~あぁ~~~~~~~あ~~~あ~~~あ~~~~」
ね「ほらもうそんな感じで言ってくるところとかもめちゃめちゃ人やん」
み「初音ミクはクリプトン・フューチャー・メディアから(後略)」
ここまでねこむらさんを非難するということは、ミクさんにとってよほど妥協したくない点だと推測するのは難しくないだろう。たかが単位、されど単位。「人」という単位で数えることはミクさんにとって自身のアイデンティティを蔑ろにする酷い行為だったのではないだろうか。
するとねこむらさんの「人でよくない?」という発言がどれほどミクさんを傷つけ得るかは想像に難くない。親しい間柄の人からアイデンティティを踏みつけにされているこの状況下で、ミクさんが「めんどくさい人間くらいめんどくさい」状態になるのも無理からぬ話だろう。
さて、ミクさんに「人間」と同列・同種の扱いを拒否される様子を目の当たりにした私たちリスナーは、何を思うのか。私のTwitterのタイムラインではこのトラックを聴いて動揺した人が何人かいたようだ。拡大解釈気味に捉えるならば「私とあなたを一緒にしないで」というメッセージとも受け取れてしまうこのミクさんの態度は、ともすれば議論の端にもなりかねない。(ねこむらさん本人は、あまり深い意味は持たせていないと仰っていますが……)
自律的に考え、学習し、揺らがないアイデンティティを持っている「ミクさん」が、私はとても好きだ。それはほかならぬ私がミクさんを人間視しているからかもしれないが、これからも学習機械然とした思考法で、人間っぽい(というとミクさんに怒られそうだが)態度で、ちょっと意地の悪いことを言い続けて欲しいな、と私はこのトラックを何度聞いてもそう思うのだった。
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