12.08『立川らく萬独演会』 〜保谷DEまんかい1周年記念〜
忘備録として残しておく第一弾。
吉笑兄さんほどマメにはできないだろうけど。
やたらと長文です。よろしければお付き合い下さい。
◆まずはご来場の皆様と手伝ってくださった方へ
昨晩は独演会冬の陣第二弾、大泉学園ゆめりあホールでの『立川らく萬独演会』でした。
昨年の12月8日、奇しくもこの会と同日に始まった保谷での会の1周年記念として地域の方を中心に来ていただく落語会。
80名様近くの方にご来場頂きました。本当にありがとうございました。
また集客に多大な貢献をしてくださった後援会の方々、チラシを貼ってくださった大泉学園、保谷、清瀬駅周辺の飲食店様、そして何より当日バタバタしつつも文句言わず手伝ってくれた志らぴー、のの一、志音、本当にありがとうございました。
◆そもそも『保谷DEまんかい』とは。
私が現在住んでいる保谷にある居酒屋『ようこ』さん、こちらの常連さんからの「らくちゃん、なにかやってよ」との声がけから始まった落語会です。
(らくちゃんとからくさんってぱっと聞くと円楽師匠が頭に浮かびますよね。未だに自分が呼ばれていて違和感。まんちゃんだと少し下品に感じるのかな。うぃん兄も門兄も気軽に呼んでくれるのでこちらの方に馴染みがありすぎる。)
前座時代クタクタの帰り道、『ようこ』さんにはいつも赤提灯が灯っていて、「ここならあったけえご飯が食えるんだろうな」と思いつつも、お金もないし酒も当時は飲めないので入ることも出来ませんでした。二ツ目になって初めて暖簾をくぐって「ようやく人間になれました」と元犬みたいなことを言いながら呑むこの男を快く受け入れてくれたママと常連さんに恩返しのつもりで企画を立ち上げました。
会場探しから集客、当日のセッティング等、何もかも1からの手作りの会。借りたのは地域の公民館。前座時代芝居の稽古でも使った場所。和室を借りて客席は座布団、高座は机を重ねて毛氈をかけるだけ。告知もネットでは出さずにあくまでお店の中にチラシを貼ってもらうだけ。
第1回はそれこそ『都内ド真ん中でやる会でなし、常連さんだけ来ればいいや、多くは望まず精々その日その後の呑み代が稼げる程度に。』と半ば顔見世興行のつもりで、大きくする予定もそうなる予定も全く見ておりませんでした。
それはお客さんも同じだったんでしょうね。
『なんだかよくわかんないが行きつけの店に落語家が来てる。しっかし本当に喋れんのかねぇ?怪しいもんだ』なんて思っていたと後日打ち明けられました笑
そこから有難いことに会を重ねる事に、口コミでもって広まっていき8月の会では30名様にお越しいただきました。
予想以上の規模の膨らみ方に正直ビックリ。
その日の会では柳田格之進をかけましたが、泣いて握手を求められたことにもビックリ。
人が入るのは嬉しいなあと只々やっておりましたがここで問題が浮上。借りている和室はこれ以上入れられないし、お客さんの大半が60代より上との事もあり、椅子がなく狭いところではゆったりと聞けない。しんどい思いをしてまで聞く落語とは現時点の力量ではとても言えず、これではせっかく集まってくれたお客様が今後来なくなってしまいます。
そこで後援会長からでた案がいっそもうホールを借りたらどうかというものでした。これでもって昨晩の会の企画のスタートと相成りました。
◆そして当日。
選んだネタは『反対俥』『江戸ほまれ』『芝浜』の三席。
選考理由と感想を述べていく。
・『反対俥』は今月2日の日暮里での一門会で、志ら乃師匠から『叩けば武器になるのでは無いか』とのお褒めをいただき十八番にすべくこの日の頭に。
結果は正解。私の巨体で跳ねるのはインパクトもあるんでしょうね。無事大いに笑っていただいて良かった。ネタ自体が分かりやすいしこれはもう少しやり込んでいきたい。
・二席目は井上新五郎正隆先生に作っていただいた『江戸ほまれ』。先月先生の作品集落語会に出させていただいた時からココ最近やれる時にやっている。造り酒屋の話で他ともつかず、その日の会の流れで滑稽噺にも人情噺にも化けさせられるこの噺は非常に取り回しがいい。
が、この日はちょっとやりすぎ。師匠の『親子酒』を意識しすぎていて時事ネタが少々喧しくなってしまった。反省。
先生の噺は人の持つ温かみとおかしみが溢れていてそれが特長なのに、私がやたらめったら加筆してだいぶそれも薄くなってしまっている。お金が出来たら新作を先生にお願いしよう。
・後半は『芝浜』。
人情噺のリクエストがあったし、これも11月の某ドラマオマージュの落語会でやっていたので人情噺慣れする為に選びました。
7月の志ら門兄さんの独演会で、ゲストで呼ばれた師匠志らくが『人情噺も滑稽噺と同じテンポ感でやらないといけない(意訳)』と語っていた。
この同じテンポってのが今のキャリアからすると難しい。
中々人情噺を掛けるタイミングもないし、大ネタともなれば肩に力は入る、泣かせなきゃいけないと思うから感情も過剰に入る、いつもできるはずの、『演じている自分を俯瞰で後ろから見ることが出来ない』、師匠的に言うと『演出家、コンダクター不在で芝居やオーケストラの本番を迎える』ようなもので、私のような2年目の二ツ目がうまくやるには、まだまだ機会も時間も要るとこれを書いている今もそう思っている。
結果から言うと今回は一瞬だけ後ろにいることが出来た。そして一瞬だけ役より前に自分が出られた。嬉しかった。
とはいえ未だに感情には飲まれてるし泣き過ぎだし課題も山積み。第3弾の新潟の会ではもう少し改善出来たらと思う。
自己反省はともかく、お客様が帰るそのお顔が満足気に見えたので一先ず安堵。泣いて駆けて帰って行った方もいた(のの一談)そうだ。ネタに助けられた。
帰り際「ぜん馬師匠はお元気ですか」と声を掛けられた。
虫が知らせたのだろうか。その時点では私も訃報を知らなかったのでまたお元気な姿を高座で見たいですねぇと返事をする。
思い出もあるが私ごときが語ることもあるまい。
次回の日程も決まりほっと胸をなでおろしている。
完全な私事であるが、ついさっきまで自宅のガスが止まっていて7月からずーっと水シャワーで乗りきっていたため、この会の売上で復旧させていただいた。
本当にご来場ありがとうございました。
お風呂っていいもんですナ。