西成キッド A面
俺は大阪府西成生まれ。高校を暴力事件で退学になってから、あいりんで日雇い労働をしながら、花の蜜を吸い、アリの死骸をおかずに、特売の玉子を一つ食べる。そんな毎日だ。希望もくそも、生きるのに必死だ。
漫才師にはあこがれがあった。でも、こんな日雇いの俺じゃどうしようもない、と思っている。小さなころ、栄で見た、お笑い番組が忘れられない。人生で腹を抱えて笑ったのは、後にも先にもこれだけだ。
「おい、兄ちゃん」
何者かが声をかけてきた。なんだこいつは。俺は薬中でもなければ、借金をしてもいないぞ。犯罪なんてしていない、誰だ?
「”漫才” やらへんか?」
俺は無意識にうなずいていた。この日雇い生活を抜け出して、絶対売れてやる。声をかけてきた男は「水野」と名乗った。彼が買ってくれた切符で、梅田まで行った。なんだここは。
水野は「ここがお笑い、漫才の本場やで」と言った。
一通り梅田を徘徊した後、梅田のマクドナルドという店に入った。
なれたように水野は注文を済ませ、俺も同じのを、と頼んだ。
水野は言った「漫才師は見た目が一番やねん、せやから梅田のええ美容室、連れてったる。」
美容室などいったことがない俺は、動揺しながら目の前の肉入りパンにかぶりついた。
美容室についた。カットが終わると、水野が出迎えた。
「ええやないか!まずネタをつくらんとな!」
と水野は言い、ぶっきらぼうに俺に一万円札を渡した。
「梅田のネットカフェちゅうとこ、とまりゃいい。また明日な!」
この日は梅田のうるささに疲れて、俺はすぐに寝た。
翌日、待ち合わせの場所に行くと、水野はいなかった。
何時間待っても、何時間経っても、水野は来なかった。
そんな思い出を胸に抱えて、俺はひとり、運動神経の良さを買われて、喜劇の役者にさせてもらった。
いまでも、水野のことを思い出す。今どこで何を?