エッセイ - 「東京で考え中」第三章:疲労と記憶の狭間で
たまに思うことがある。これはいつからこんな風になってしまったのだろうか、と。願いというか、考えがあることはその通りなのだが、やはり力が尽き、エネルギーが減ってくると、本当に困ってしまう。どうしてもネガティブな方向に考えが向かってしまうのだ。だからこそ元気でいたいのに、寝不足というのはここまで人の体を苦しめるものなのだろうか。眠い。眠いんだ。
古河のことを思い出してみる。彼女とは下北沢のライブハウスで出会った。全く関係ない打ち上げの席に座っていた。当時、彼女は20歳くらいの若い女性だった。酔っ払っていると異性が可愛く見えることがある。彼女とは10歳ほど年の差があったが、僕は彼女の頬ではなく、太ももに触れながら仲良く話していた。
昔であれば知らない人に話しかけるのは難しかったが、テレアポの仕事で月800,000円くらい稼げた時期があって、それなりに仕事ができたからこそ、新しい人と付き合うことも容易に感じられるようになった。心の中では引越しの下心が見え隠れしていたが、それを実行する勇気はなかった。
少し話を変えてみる。男には下心というものがあり、それを使うか使わないかでいつも悩んでいる。僕は下心を使うことが正しいと思っている。なぜなら、下心を使うことで前に進むことができるが、使わないとその場に留まるしかないからだ。だからこそ、下心はトレーニングが必要だ。中毒のようなものでもあるが、多くの女性は下心を嫌っているように見えるが、本質的にはそうではない。下心をしっかり持っていることが、男性たちにとって重要なことだ。
簡単なことだ。だからこそ男性が先に言葉に出して伝える必要がある。眠たいのなら、もう寝てしまえばいいのに、と思うが、それは僕の得意なことではない。ありがとうとさせて欲しい。眠い。