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【小説】なないろトマト2


               今秦 楽子


 前回のあらすじ

2035年、ベーシックインカムが導入され
若者達は広島で共同生活を始めた。

やりたい分野で活躍できるよう集まった者たちの中に
田舎暮らしに同じほどの熱量をもたない
裕(ゆう)と詩(うた)の姿があった。




わたしたちはキャンドルの奥に
  夕暮れなずむ瀬戸内をただただ眺めていた


〈登場人物〉
□詩(うた)…VRアイドル(18)
□裕(ゆう)…システム会社、営業(23)
□淳也(あつや)…古民家オーナー(22)
□愛莉(あいり)…サンドウィッチ店運営(20)
□百華(ももか)…歌手志望(19)
□智也(ともや)…カフェ件コワーキングスペース運営(23)
□和成(かずなり)…製パン業 運営(24)







「詩ちゃんは人に会わなくて平気なの?」

裕くんからふと投げかけられた質問。

「メタバースでちゃんと人に会ってるじゃん」

咄嗟にこう答えたけれど。
こんな回答、説明すればするほど友達がいない
みたいじゃないかと思った。




□■V Rアイドル、詩(うた)の場合

♢1


小学校の途中から学校に行けなくなった。
先生の言う事が分からなくなって、
何を勉強しているのか分からなくって。
友達と何を話せばいいのかも分からなくって。
友達は日に日にいなくなって行った。

わたしの友達は母から貰ったsmart glasses
だった。
グラスから見えるメタバースの世界は、
わたしのコミュニケーション力を強くした。
メタバースにいる大人達にわたしは
育てられたし、大人達と歩んだ。

◇◇◇

裕くんとは愛莉ちゃんのサンドウィッチが
始まってから、なんとなくお昼ご飯を食べる仲
になった。
他の仲間とは距離があるけれど、
今のところ彼らとちがって特別な存在。
例えるなら気さくに話せるお兄さんと
言ったところ。

わたしがアイドルの「花奈(はな)」を
していることを唯一打ち明けたひとで。
応援するねと優しく微笑んでくれて。
なんとなく、なんとなく。
気になる人になった。

今日のサンドウィッチはアボカドとエビの
バケットサンド。
今日も
和成くん特製のマヨネーズが入っている。
裕くんはおしぼりでこぼれ落ちそうな
マヨネーズを抑えて、
目を丸くしておいしいおいしいと食べ始めた。
昼から会議があるらしく、
今日は無地のシャツに袖を通していた。

「裕くんて、きれいだね。清潔感? 
て言うのかな。なんか透き通ってて」

「透き通ってるの? 僕? 上手に
サンドウィッチを食べることもできないのに、
でもそうだな、
淳也からも繊細だと言われるしな」

わたし裕くんを褒めたかったのだけれど
ちょっと形容する言葉が間違ったなと思った。
こうして目の前で、
面と向かって相手の息づかい感じることも
今までにない経験だった。



♢2

そう、わたしは18歳になっても
恋をした事がない。
友達ができたことも記憶にないくらい。
V Rの世界で出会いがないわけではない。
わたしを育ててくれたkonekoさんは
かけがえのない存在だし、
アイドルを始めてたくさんの大人に
育てられてきた。

けれど、
裕くんのような肌感覚で付き合えるほど
近しい人はいなかったのも事実で。
どう言うふうに処理していい感覚なのかも
不明瞭で。裕くんとのランチタイムはどこか
気持ちがカフェスーペースにおき忘れられて
いるようだった。

昼からは楽曲を聴き込む作業が残っている。
わたしたち「close eyes」は恋心を
なぞった楽曲が多い。
konekoさんは恋愛しなさいという。
特にメタバースしか知らないわたしに対して。

「昼からの作業があるから、上がるね。
会議がんばって」

「うん、詩ちゃん、、ま、いいや」

「なに?」

「また明日にでも」

わたしは一人貸り切っている8畳間で
smart glassesをかけた。
事務所から届いている楽曲データを
再生してみる。歌詞データを
追いながら楽曲の世界観を想像する。

広島の山々から聞こえるカナカナゼミのように
夏の名残を惜しむ男女がそこにいて。
季節のさかりを越したのと同じく男女は
離れてしまう。
愛しているが故とってしまう選択。

彼にとつぜん別れを切り出された彼女は
いい女として理解しようとするけれど
心の中は整理できない。
整理できないまま別れを受け入れることの
矛盾を歌う。
そんなストーリーをのせた楽曲。

事務所からは
添付イメージフォトが寄せられている。
それは想像力のため。

人との関わりは
メタバースの中だけなのだけど。
なぜ、いつも楽曲を歌いこなせるか。
想像力でカバーするから。

集中してイメージを膨らませる。
彼との蝉時雨に交わしたキス、
身をまかせた夜。彼からもらうぬくもり、
「永遠」という言葉。

そこから「別れ」への理解を
急転しなければならない女心。
苦しさ、辛さ、がわたしをまとう。
悲しすぎて涙が頬を伝うほどに。

わたしはいつもこうして楽曲に真摯に
向き合ってきた。今日もまた。
そして人の感情を学んでいるのかもしれない。



♢3


そういえば
さっき裕くんが何か言いかけていた。

「また、明日にでも」

たった一言なのに気になって気になって
仕方ない。
裕くんはまだカフェにいる時間帯だけれど、
降りていくなんてわざとらしいじゃないか。

そうだ、喉が乾いたと水を飲もう。
そしてリビングスペースで待ってみよう。
自然に自然にと暗示をかけながら
階段を降りた。

「愛莉ちゃん、
トマトを入れるタイミングはまだだよ」

厨房では愛莉ちゃんと和成くんが夕飯の準備を
している。海老や貝のいい香りがリビングまで
伝わってくる。今日も夕飯が楽しみだけど
裕くんの姿はまだカフェにあって。
常連さんと楽しく談笑しているようだった。

百華ちゃんがシャワーを済ませラフな格好で
ギター片手にやってきた。

「聞いてていい? 
百華ちゃんの声、好きなんだ、わたし」

「今日は曲づくりメインだから歌詞が
つかないけどいい?」

「ラララで歌う、
百華ちゃんの声も好きだから」

向かいのソファーで足を組んで鳴らすギターの
音色は優しく心を解いてくれる。
さっきまで楽曲と向き合い緊張していた
わたしの心もすっと解かれて、
涙が頬を伝ってしまった。

そんな、ゆったりした空気に
愛莉ちゃんと和成くんの声が入ってくる。
イタリアンパセリが多すぎると和成くんが
制しながら、愛莉ちゃんが強行突破する様が
うかがえて。

ギターの音色に身をまかせながら
クスクスと私たちは笑った。

「プロの詩ちゃんに聞くのは失礼かも
しれないけれど、5回かな? 
ライブ聞いてくれているけれど、
どうだった? 選曲とか、
音とかなんでもいい。感想を教えて」

「えーっと」

正直、完璧なライブで、
今と同じくリラックスして聴くことができて。
わたしは好きだ。
百華ちゃんの声が好きだ。
百華ちゃんが好きだ。
言い切ってしまっていいのだろうか。
言ってしまえ。

「百華ちゃんの歌が好きだよ、
百華ちゃんが好きだよ」

ギターの音を止めて真剣に聞く体制に入った
百華ちゃんはわたしの話を聞きはじめた。
メタバースの中で生きてきて、
この古民家にくるまで
リアルに友達がいなかったこと。

居なくても平気だと自分に言い聞かせていた
こと。百華ちゃんの楽曲を聞いてから慕って
暮らしていること。

「そんな、わたしなんてなんもだよ。
詩ちゃんの方がアイドル頑張ってるじゃん」

「アイドルはわたしのやりがい、わたし自身。
でも本当のわたしはアイドルのわたしとは
違うの。でも本当のわたしってなになのかな」

百華ちゃんは歌っている時の自分と
普段の自分とは線引きしていないと言った。
ありのままでありのままを受け入れてくれる人
と向き合ってるからかな。と足した。

わたしは「花奈」をしているわたしが
今まではわたし自身だと思えたのだけれど、
こうして古民家のメンバーと過ごしていて
リラックスするわたしは「花奈」ではないと
感じた。
特に裕くんとのランチタイムは。

「夕食までに髪乾かしてくるね、詩ちゃん、
気持ち伝えてくれてありがとう。
詩ちゃんの気持ち大切に受け取るから」

と言って、百華ちゃんは自室に戻った。

「詩ちゃんの気持ち大切に受け取るから……」 

ん? え? 

「どうしよう……」
裕くんを待っていられないで
顔を赤くしてわたしも自室に引っ込んだ。


♢4

いつもは自室でもsmart glassesをつけて
メタバース内で何かしているのだけれど、
今日は頭の中が整理できていない。
ただの天井の空を見つめていた、
こんな天井だっけ? と初めて気づく。

頭の中を整理する。
もちろん百華ちゃんは大好きで憧れの人。
それは間違いない。
それは人として、だけのこと。

もし百華ちゃんを傷つけることになったら。
どうしよう。大好きな百華ちゃんを
悲しませるなんてできない。
けれど、わたしには百華ちゃんを受け入れる
こともできない。       

なにも解決しないのだけれど、
頭の中がもつれていた。
愛莉ちゃんから夕飯の合図がしたので、
とりあえず厨房に行った。
百華ちゃんもいたけれど軽く会釈して
食事を囲んだ。

「今日はブイヤベースだよー」

と赤いスープに海鮮の乗ったスープ皿を
覗き込むと愛莉ちゃんのおふざけの
イタリアンパセリが散りばめられていた。


♢5

次のランチ時になって、
裕くんから話があった。
その話のためにこっちは大変になったのに、
なんて話せるわけもなくて。

裕くんからは今、
共用部の掃除やシーツの洗濯なんかを
愛莉ちゃんと百華ちゃんふたりで
担ってもらっているけれど、そこへの
感謝を伝えたいな、という提案だった。

案としては、その仕事の代行を行うとか、
淳也くんの似顔絵をプレゼントするとか、
和成くんと智希でケーキを作るとからしい。
まだ男子だけで盛り上がっているだけなんだ
けれど。と続けた。

「それだったら、勤労感謝の日がいいよ。
おおかた1ヶ月あるじゃん。淳也くんに絵を
頼むならそれぐらい時間作った方がさ」

「詩ちゃんも賛成? よかったら僕と共用部の
掃除をやって欲しいんだけれど」

裕くんはいつも仕事で、わたしも部屋に
篭りっきりで。この二人が動かなくて
どうするんだって力説してくれた。

入居した時は淳也くんの計らいの、
食事も掃除も、料金払えばメンバーがするから
っていう説明に甘えて。
いつも当たり前に感じていた。
きれいなトイレ、
きれいな洗面所、きれいなお風呂。
曜日になったら当たり前にきれいなシーツが
配られて。

裕くんからの提案は眼から鱗だった。

「裕くん、素敵な企画だよ。
わたしも役に立ちたい」

賛同をえた裕くんは、ありがとうとわたしに
答えてくれた。

裕くんの些細な企画は
わたしの中で膨らんでいた。
ただ一日仕事を代わってあげることなんだ
けれど、それを大切そうに語る裕くんは、
思いやりのとてもある優しい青年に見えた。

それに
その企画をわたしに教えてくれることで、
わたしは愛莉ちゃんや百華ちゃんに対して
改めて感謝を思う。

そう言った気持ちにさせてくれる裕くんは
手に落ちる雪のようにフワッと繊細で
レモンをかじった時のような爽快で
透き通った存在だった。
この思いはなんなのだろうか。

「詩ちゃんは1日空いてる日ってあるの?」 

意識しながらも平静を保って
淳也くんの得意料理、唐揚げを手にした時、
百華ちゃんが不意に聞いてきた。

「うん、作ればあるよ」

「詩ちゃんは人気者だから、
そんな日ないんじゃない?」

智希くんが声を挟んだ。

「なにかしらお仕事としてはいつも
あるんだけど、そうだね、
今まで丸々休んだ日なんてなかったかも」

「詩ちゃんに合わすからさ、今度、自転車
借りてプラっとサイクリング でも行かない?」

百華ちゃんの頼みは断れないよ、
と日程を調整する旨を伝えながら、
心の中のドキドキは
いつまでも止まらないでいた。



♢6

「ついたー」

コバルト色の向こうに橋のかかった島々を
白く望む海岸に百華ちゃんと腰を下ろした。
あれから気まずくて大した話もできないまま、
日程を合わせたこの日。

「なんか、詩ちゃんわたしに気を遣ってたね」

「うん、今だからいうけれど、
わたし百華ちゃんのことが好きだよ。
そう言ったことがもし誤解を与えたなら……
って考えると。ごめんなさい」

「わかってしまったよね、
わたしトランスジェンダーなんだ。
でも告白はいつも失敗で。詩ちゃんに好きだ
って言ってもらってはしゃいじゃった。
詩ちゃんのこと混乱させたならわたしの方こそ

ごめんね、人として好きって言ってもらえる
だけで嬉しいから」

目の前の海は優しく波を打って遠くに海鳥が
羽を広げて旋回する。大きく鳴きながら。
百華ちゃんはリュックから出した魔法瓶を
軽快に開け淡い黄色の飲み物を注いだ。

「詩ちゃん、ハーブティが好きでしょ。
ミントティーを淹れてきたから。アカシアの
蜂蜜も少し入れて。どうぞ」

入れてもらったハーブティーを一口飲み込む。
ミントの爽やかな香りを、花の風味があとから
追っかける。
いつもはストレートティーで智希くんに
淹れてもらうのだけれど、味わいが違っていて
面白い。また胃への負担も優しく感じる。
一杯のハーブティーからも百華ちゃんの
優しさがうかがえる。

「わたしね、今、智希くんのカフェにハーブを
おろしているんだけれど一緒に蜂蜜もやって
みたいと思って。この蜂蜜は農家さんに
いただいたものなんだけど。
カフェでいつもハーブティーをオーダー
いただいてる詩ちゃんに聞いてみたくてね。
それにせっかくこんな広い海と空が広がって
いるのだから、たまにはこういったところで
話すのもいいかなと誘ったわけ」

「ハーブティーと蜂蜜、いいと思う。
好きだわ。あ、百華ちゃん誤解しないでね」

百華ちゃんは畑に小さな蜂の巣箱を置いて
蜂蜜作りをしてみたいんだと話し、
養蜂農家に修行に行きたいなんて話した。
百華ちゃんの話をひとしきり聞いて、
あんなにドキドキが止まらなかった日々を
悶々と過ごすより、
こうして直接、誤解のないように話すことに、
今日来た意味を感じた。

「詩ちゃん、見てて思うんだけれど、
裕くんのことすきなんでしょ?」

百華ちゃんとどれだけ話しただろう、
話し尽くしたあと不意にこんなことを
百華ちゃんは口にした。

「好き? 好きなの? 百華ちゃんには好き
という感情があるよ。本当に尊敬するし、
ももかちゃんみたいになりたいっていう憧れの
好き。それと裕くんとは違うかな?」

百華ちゃんは今まで好きな人ができた事が
あるかとか、楽曲で恋愛の曲を歌う時に
思い浮かべる子はいないのかとか、
わたしの心を丸裸にしようとして話を続けた。

「からかわないで。裕くんのことは
尊敬してるしいいお兄さんだと思ってる。
それだけ」

とあやふやにこの会話を切り上げた。

秋すぎた海岸線には
海風が少し冷たく吹いていた。
ここからまた海沿いを走ると、橋が現れる。
それを少しペースを落として瀬戸内を
味わいながら、
いつものわたし達の家とつながっていることを
思い出してペダルをこいだ。


♢7


「おはよう」

階段を降りながらカフェを見渡すと、
裕くんが仕事の資料を広げながらわたしに
気づいてくれた。
昨日の百華ちゃんの言葉が引っかかる。
『裕くんのこと好きなんでしょ』

「おはようございます」 

気にすることなく返事する。今日は朝からの
活動もあってアイスハーブティーを
テイクアウトしに降りてきた。

智希くんはゆったりとコーヒーを淹れている
最中で、わたしは少しカフェスペースを
うろうろしてみた。

畑でとれた野菜やサンドウィッチがレジ横に
並んでいる。この時間は愛莉ちゃんが畑に
行っているようで、いつものハツラツとした
彼女の声はこちらに届かなかった。

テイクアウトのつもりで降りてきたけれど、
裕くんと話せたらよかったかな。
これは智希くんにも和成くんにも抱かない
気持ちだった。
どうやらわたしは
『裕くんのこと好き』 みたいだった。

そんな気持ちに気づいてみて、
今までのように裕くんと接する事ができない。
からくり人形のように動作がぎこちなくなり
ながら、智希くんからドリンクを受けとった。

「詩ちゃん、仕事頑張ってね。また後で」

ただただ微笑むだけだった。
部屋に戻ってからいつかのように天井を
にらむ。裕くんとわたし。それはギリギリの
薄さでまとわれたベールに手出しできない
ような存在で。

裕くんのこともっと知りたいな、わたしのこと
もっと知って欲しいな、
それが最大限できる手出しなのかも知れない。
ハーブティーを一口送る。
レモンを感じせるフレイバーがもやもやを
すっきりさせてくれた。

「よし、裕くんにきちんと向き合おう」

小さな声に出して、自分の気持ちを確かめた。

「今日は、リモート会議はないみたいだね」

何事もなかったように、
サンドウィッチを食べに降りた。

「うん、資料作成がメインで、あとはあそこの
常連さんたちと情報交換」

「情報交換って言いながら、噂話ばっかり
してるんじゃないの」

「噂話も情報交換だよ」

今日のサンドウィッチは和成くんの
サルサソースのグリルチキンだと愛莉ちゃんが
畑から戻って言った。

「じゃ、それふたつ、今日も」 
裕くんと声がそろった。そして目があった。
心臓の鼓動を5秒数えて、わかった。
もう彼が好きだ。

ランチはいつも瀬戸内を望む席がわたしたちの
席になりつつある。永遠に広がる空、遠くに
ひらける海の青さを眺めながら、日々、
サンドウィッチを食べる。

何気にという言葉が似合うくらい、
毎日お昼に降りてきては裕くんとふたり
世間話をして、サンドウィッチをかじる。
今まで意識することもなかった裕くんの目線や
仕草に注意してみている自分に気づく。

サンドウィッチが上手に食べられないところは
わたしも同じで。
いつも笑い合ってサンドウィッチを
かじっている。他愛ないこのランチの時間が
わたしの原動力だった事に今気づいて。
裕くんはこの時間をどう思っているの
だろうか。

目の前にいる裕くんにそんな踏み込んだ事は
聞けないでいた。



♢8


秋が深まり陽が深く差し込むカフェスペース
では今日もわたしは裕くんとサンドウィッチを
食べていた。
もうすぐくる勤労感謝の日を待って。

「詩ちゃんは家事は得意な方なの? 
僕は学生時代、一人暮らしだったから
そこそこはできるんだけど」

「掃除ならできるよ、
勤労感謝の日の話でしょ、食事作ったりは

難しいんだけど。掃除ならなんとか」

裕くんから頼まれたときにはすばらしい企画に
のって受けたけれど、
よく考えると裕くんと半日ほど一緒に過ごすの
だと今更ながら赤面する。

勤労感謝の日はわたしたちが仕事を代行し、
淳也くんが絵を描いて、智希くんと和成くんが
ケーキを作る事で決着した。

わたしは掃除も洗濯も親まかせだった点が
あったのだけれど、見栄を張ってしまった。
まぁネットで調べたから大丈夫だ。

裕くんの学生時代は、案外家庭的な暮らしを
していた事なんか聞いて。
もっと知りたいと思った。

「詩ちゃんおはよう、準備できたら教えてね」

二階から降りていると裕くんが声をかけて
くれた。
裕くんは今日のために午前休をとったらしい。

今日は朝から仕事が待っているので、
和成くんのモーニングセットを食べることに
した。時々夕食に出る和成くんのパン。
美味しくいただいていたけれど、焼き立ての
風味はまた違ってファンになりそうだった。

瀬戸内の朝日は海に浮かぶ小島を白白と
浮かべて。
考えもなくただその景色を目に収めていた。

「はい、これ」

リネン庫から新しいシーツを
裕くんから受け取って各個室前の廊下の
使い終わったシーツと交換する。
裕くんと回収したシーツを
洗濯場に持っていって。

二組ずつ洗濯機を回す。
洗濯機の回転音に合わせて渦を巻く泡たちの
リズムを合わせて眺めていると、
裕くんが珍しい光景だと笑った。

洗濯を待つ間、共用部の掃除にうつった。
裕くんが浴槽を洗って、
わたしは風呂桶と座椅子を洗って。

7人だと思ったより汚れるんだな、とか。
これを毎日してくれてる愛莉ちゃんと
百華ちゃんには頭が上がらないね、
なんて話しながら
時間はあっという間に流れて行って。

「一旦休憩。ハーブティーおごるから、
カフェに行かない?」

風呂場の鏡を磨き上げたわたしに裕くんが
提案した。

一階に降りると常連さんたちが智希くんと
立ち話していて。今日の企画について
感心しているんだと話していた。

ケーキ作りも順調なようで、
厨房では智希くんが焼き上げたスポンジケーキ
に何かしらのシロップを塗り込んでいて。
デコレーションを僕がするんだなんて
智希くんが付け加えた。

愛莉ちゃんと百華ちゃんは朝畑に向かったきり
で主人公はなかなか現れないでいた。

ローズヒップのアイスティーが
グラスを鮮やかに赤く染めて、
裕くんはいつもの水出しアイスコーヒーの氷を
くるくる混ぜていた。

「朝から、労働したって感じだよ。いつもの
仕事とは違って、体動かすって大事かも」

「そうだね、わたしたち虚の世界で
仕事してるんだもんね、
こういった実体験って必要なのかも知れない」

「もしよかったら、休みの日でも合わせて、
手伝ってみない? 一緒に」

「わたしも思ってた。こんな重労働、
毎日大変だろうな、って。
裕くんは週末が休みでしょ。わたしも週末
だったら午前中は空いているから。
今日まで愛莉ちゃんと百華ちゃんに
甘えていたね」

 また夜にでも申し出ようと話してから、
共用部の掃除に戻った。

昼いちまでにシーツを干して
裕くんは仕事に戻り、
わたしも部屋で新しい楽曲の振り付けを
確認した。



♢9


夕暮れに大きくたなびくシーツたちは
暖かい夕陽の光を受けて輝いていた。

わたしの後を追ってきたように裕くんが、
ひとりで取り込むのは大変だよとシーツの端を
洗濯竿から下ろした。

大きなシーツの両側に立って一辺、一辺を
合わせながら裕くんと作業する。
ようやく一つのシーツがたためたころふと
裕くんからこんな言葉を残した。

「僕と詩ちゃんみたいだね」

なんのことだろう、僕と詩ちゃん……言葉の
意味を探していたら裕くんが付け足した。

「僕と詩ちゃんは似ている。シーツの端と端が
ピタッと合うようにそっくりだね」

「……うん」

息ができない。

「僕、今まで異性にそんなに興味を
持たなかったんだ。けれど詩ちゃんは違う。
詩ちゃんのこともっと知りたいし、
詩ちゃんの役に立ちたい。そんな思いで
詩ちゃんのこと見ていたんだけど。
気持ち悪いね」

頬から耳から顔全体に熱がまわる。
こんなこと言われたこと一度もないし、
まして好きだと思う人から言われるなんて。

「全然気持ち悪くなんかない。
むしろうれしいよ、ありがとう」

声にならない声を絞り出してそう伝えた。

「じゃ、僕と付き合ってくれる?」

「はい……よろしくお願いします」

顔を上げると赤面していることがバレて
しまいそうで、
裕くんのことはよく見れなかった。
人生で初めてのカレシ。その人が裕くんだ
なんて、思ってもみなかった。

照れながら残りのシーツも、ぎこちない
手つきで裕くんとまとめる。
心臓がドキドキする。

これが恋なんだと今まで想像で描いていた
恋模様なんてホンモノじゃないことに
気付きながら今ある気持ちを確かめていた。

この作業が終わると裕くんとの時間が終わって
しまう。そんな錯覚に陥って、シーツを
抱きしめたまま裕くんの胸に体を預けた。
かすかに震える裕くんの腕を感じながら
わたしたちは抱擁を続けた。

「さっき言った、週末の共同作業で
また時間が合うし。
その後どこか出かけてもいいんだよ」

裕くんがわたしの気持ちを読み取ったように
耳元で囁いた。


「愛莉ちゃん百華ちゃん、いつもありがとう」

そう書かれたケーキにはぶどうやイチジク、
りんごなど旬のフルーツが並んでいた。
ろうそくが二つ立って。
和成くんがあらかじめ買っていたクラッカーを
一斉に鳴らし。誰の誕生日なんだろうと
いうぐらい盛大に感謝を伝える。
そんなつもりで勤めていたわけではないと、
嬉しさで涙腺が崩壊してしまった愛莉ちゃんに
追い討ちをかけるように、
感謝の似顔絵が淳也くんから手渡された。

愛莉ちゃんと百華ちゃんにそっくりで、
優しいタッチの肖像は暖かく気持ちが
ゆったりするような感覚を覚えた。

「今日は詩ちゃんと、ふたりで仕事を変わって
みたんだけれど、大変で、毎日、
本当にありがとう。
改めてふたりの功労に感謝しています。
差し出がましいんだけれど、
僕と詩ちゃんで週末だけでも担当させて
くれないかなと思っていて。どうだろう」

愛莉ちゃんと百華ちゃんは目を合わせた後
こう切り出した。

「実は……」

百華ちゃんが切り出した。
以前話していてた養蜂の修行に2週間出ようと
思っているということ。それでその間、誰かに
お願いしたかったと話した。

「おれで良ければ、平日やるよ」

和成くんだった。チラッと愛莉ちゃんから養蜂
の話を聞いていたし、今までの感謝の気持ちも
合わせてお返しさせて欲しいということ
だった。

「わたしたち、本当に恵まれてるよ。
こんな会、開いてもらえて」

愛莉ちゃんがこう言った。
こちらこそ愛莉ちゃんや百華ちゃんと暮らせて
幸せなんだよと伝えた。
いつまでも淳也くんの描いたふたりは
笑顔だった。



♢10


百華ちゃんに代わり
和成くんと愛莉ちゃんがシーツを干しながら
ジャレ合っている風景が自然に見える頃、
わたしは裕くんとなんとか照れずに向かい
合ってサンドウィッチ を食べていた。

わたしたちが付き合って、裕くんは仕事相手に
まごころが見えはじめたといい、
わたしはファンに対して愛情を持っていると
話した。
彼の仕事に向ける眼差しは明らかに変わって
見えた。お客様のことが手にとるようにわかる
と言ったり、
僕から仕事を取ると何も残らないとも言った。

わたしも楽曲への理解が深まった気がして、
表現の幅が広がったとkonekoさんは
称賛していた。

そうこうしていると、
百華ちゃんが巣箱を抱えて帰ってきた。
畑に持っていくらしい。お土産もあるよと、
ハニカム構造のミツバチの巣を見せながら
すごいでしょと話した。

「クリスマスライブ、キャンドルナイトを
しようと思って。ミツロウがたくさんあった
からもらってきたの。
キャンドルを作ろうと思ってね」

久しぶりの百華ちゃんの声は
新しい知識を蓄えて高揚していた。その声は
いつもより2音ほど弾ませて上ずっていた。

「キャンドル作り? 楽しそう、詩ちゃん、
手伝わない?」

アボカドソースの入った生ハムサンドのソース
をこぼさないように慎重に食べながら
裕くんが話してきた。

公言したわけではないけれど、
わたしと裕くんの仲は衆知されていて、
誰も何も言わず、
暖かく見守ってもらえていた。

それに乗じて裕くんは一緒に作業することを
提案したりして、
わたしも嬉しさが勝っていた。

「じゃ、今度の日曜日、
畑仕事が終わってから、リビングでやろうか。
愛莉と和成ペアも参加したいっていってたし、
みんなでやると楽しいかも。
詩ちゃん都合どう?」

百華ちゃんが誘ってくれた。

愛莉ちゃんたちの事はみんな知っていた。
私たちとは何かと比べられる対象だけれども、
あのふたりはいつの間にか交際していて。

日曜日だったら午前に共用部を掃除してから合流できる。
配信は作業が終わってからでも間に合うよう
都合つけられそうだから、百華ちゃんに快く、
参加の表明をした。
裕くんも笑顔で見守っていた。

シャボンを作りながら洗い場の床を磨く。寒さ
を感じるこの頃では浴場も肌寒くなってきて。
裕くんも浴槽をきれいに磨きながらこう言った。

「愛莉ちゃんたち、この共用部の掃除が
きっかけだったのかな、本当に仲がいいよね」

裕くんが話しはじめた。
今はもう百華ちゃんが蜂蜜のことと作曲が
忙しくなったことで和成くんが平日、
共用部分を担当するようになった。

あのふたりはいつでも仲がいい。
ふたりきりになりたいときには
どうしてるんだろう。
よくふたりで出かけているけれど。

わたしたちは時々海に行って、
いい雰囲気になったらキスする程度の関係。
この家では手も出してくれない裕くんが時々
意気地なしに見えた。
そんなふうにしてわたしたちは慎重に
付き合っていた。

「それじゃ、まずミツロウが溶けやすいように
砕いてくれる?」

男性陣が力仕事は僕らがと、かたっぱしから
ミツロウを叩いていく。
女性陣は型に芯を立てていった。

「いつもどこに遊びに行くの?」

裕くんが和成くんに尋ねた。

「淳也くんから教えてもらったんだけど、
古民家チームがカップルに開けた旅館を
作ったのよ。そこいいよ、
タクシーだと近いし。リーズナブルで、
お料理もあって。
温泉旅館ほど贅沢はないけれど、十分に
楽しめるよ、おれの舌を唸らすんだからね」

「いいとこだよ、
予約の時に食事がフレンチでもイタリアンでも
選べるの」

ミツロウの芯を切りながら愛莉ちゃんも
会話に加わった。
わたしは小さな声で愛莉ちゃんに、
そういうことするところなの?
なんて場違いな質問をしてしまった。
うん、やっぱりこの家ではそういう気分に
ならないしね。
なんてさらっと愛莉ちゃんが返事する。

その時、ミツロウを百華ちゃんが集めに来た。

「けっこう砕けたね、これぐらいだったら
溶けると思う。ありがとう」

大小いろんな容器に女子たちが立てた芯に
割り箸がはさまってロウが流れてくるのを
待っていた。
愛莉ちゃんにもっと話が聞きたくて。
愛莉ちゃんに質問ばかりしていた。

そこへ湯煎で溶けたミツロウを
ゆっくり百華ちゃんが流して行く。
透明の黄味がかった褐色の液体は収まるべく
容器にすっと入っていく。

50ほど数えたくらいで、
愛莉ちゃんは数えることを諦めた。
固まるまでこのままで置いておくね。
と百華ちゃんがお開きの言葉を告げた。



♢11


「明かり落として。
チェックチェック1、2、3、」

百華ちゃんの指示で暗くなったカフェスペース
では、先日のキャンドルを配置し、
うす暗いクリスマスナイトの準備が
行われていた。

わたしたちはいつもの席で揺らめくキャンドル
の灯火をうっとり眺め、
奥に広がる夕景に包まれた遠い島々を
感じていた。

「ちょっと待ってて」

裕くんが少し席をはずして自室に戻って
いった。キャンドルナイトと打ったので
今日はいつもよりお客さんが多く入っていて。
回を追うごとに
百華ちゃんのファンもついてきた。

カフェのドアの外には、百華ちゃんに
なり変わり愛莉ちゃんがお客さんに挨拶を
している。花束だったり、ぬいぐるみだったり
を受け取っていた。

愛莉ちゃんと百華ちゃんは高校生からの仲
らしく、ケンカといったケンカをしたことは
ないと言った。お互いを思いやれる関係が
成り立っているように見えて。

足りないところを補い合える仲。
今回のクリスマス配信も、愛莉ちゃんの方が
張りきって準備から力を注いでいたし、
いわば前のめりのマネージャーといったところ
だと思う。

そんなふたりを見ていると友達って
いいもんだな、なんて羨んだ。
そんなことを思っていると、
階段から裕くんが降りてきた。

「これ、詩ちゃんに似合うかと思って」

裕くんは長方形の箱をそっと出した。
見たことのあるロゴのその箱を開けると、
細いチェーンのシンプルな金のネックレスが
輝いていた。

「いつもありがとう。感謝の気持ちです」

ゴールドのそれは細いながらも
キラキラと光ってわたしを魅了した。

「わぁ、ありがとう。つけていいかな?」

うなずいた裕くんはネックレスを取り出し
わたしの後ろに回った。
ごめんね、と髪の毛をまとめる裕くんの手が
暖かい。髪の毛から伝う彼の愛情は
目の前のキャンドルの灯火のように優しい。

つけたよ、どう? なんていいながらわたしの
少しかしこまったワンピースのデコルテに
そのネックレスは美しく輝いた。

気づくと日があっという間に沈み、百華ちゃん
のアコースティックギターの弦が弾かれた。

彼女のしゃがれた低音から歌は始まった。
クリスマスナイトにふさわしいラブソング。
旋律は耳から腹に落ち、身体へ溶けてゆく。
目の前の炎はゆらゆらと低音のたびに形を
変える。

心地いい音色の中、目の前の裕くんも同じ体感
を得たのだろうか、
目が合うと瞬きを返してくる。
今日だからとわたしたちはお互いの存在を
感じあいながら心を探りあった。
まだ炎は燃えていた。
首に輝くゴールドをひからせて。



♢12

1年後。わたしの20歳の誕生日を待って、
みんながカフェスペースに集った。
ウェディングドレスに身をまとい、
愛莉ちゃんと百華ちゃんは薄いパープルの
ドレス姿で自室から降りてきた。

今日でわたしと裕くんはこの家を卒業する。
淳也くんは結婚しても一緒に住んでもらっても
構わないんだよ、と言ってくれたけれど。

みんなと暮らせないのは寂しい。
でもけじめでもあるよね、
と裕くんと相談して決めた。

同じ瀬戸内で見つかった新居は、
淳也くんのツテで見つけた
リノベーション物件。
ここから徒歩圏内の立地だった。

裕くんは定期的にコワーキングスペ―スへ
通うといい、
わたしも愛莉ちゃんのサンドウィッチを食べに
こようと考えている。永遠の別れでもない。

今日のパーティーはリアルな私たちの
ウェディングパーティーだけれど、
メタバースにも繋げて、『花奈』としてでも
お披露目しようと思っている。

Konekoさんからの提案でもあった。
女性はいろんな顔を持っている。女、妻、母。

「花奈にはいろんな可能性があって。
それをV Rアイドルだからと諦めるのは
もったいない。
すべて公にしてアイドルを続ければ
いいんだよ。
ファンもきっと分かってくれるし、
ついてきてくれるはずだから」

konekoさんはいつもわたしの味方だった。
そんなで、ドレスアプしてみたものの、
みんなでスマートグラスをかけてメタバースの
中でも結婚披露宴を執り行うのだ。
ファンにも裕くんを紹介して。
もちろんclose eyesのメンバーとステージ
もある。

「それじゃ、会場でね」

とみんなでスマートグラスを掛けた。

「みんな、
今日は集まってもらってありがとう。
告知していた通り、わたしは結婚します。
お相手はここにいるharuさんです。

彼は一般のひとでご縁あって
お付き合いさせて頂きました。
20歳で結婚なんて早いと思う方も多いかと
思いますが、わたし、幸せになりたくて。
わがまま聞いてください。
引き続きclose eyesの活動も頑張ります」

発声ののちclose eyesのメンバーが合流して
歌が始まった。
観覧席に古民家のメンバーたちが並んでいる。

いつものメタバースの空間にリアルの
メンバーを感じる。
想像でしか感じてこなかったメタバースの
人たち。さらにぐっと近くに感じる。

かつて裕くんに言い放ったコトバ。

「メタバースでちゃんと人に会ってるじゃん」

この言葉がずっしりリアルに受け止められた。
わたし瀬戸内にきて良かった。
心からそう思えた。


白々とした小島の浮かぶ水面に夕陽のゴールドが
差し掛かっていた。                         

                   (了









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