夙川教会から
教会におもむくことが好きだ。
そこに何があるのだろう。
建物がまずすきだ。
ステンドグラスがすきだ。
厳かさがすきだ。
ではわたしはそこで何をするのだろう。
祈り
神社や寺で願う祈りとはまたちがっている。
教会には椅子がある。
じっくりと時間をかけて祈る。
イエス様はなぜそこにおられるのか。
こう見えてミサには行ったことがない。
神父の説教は結婚式に聞いた程度。
神の存在を
大まかな意味で認めているぐらい。
ただ、
どうしようもない悲しみに襲われたときに
わたしは教会にたっている。
そして、
どうしようもない悲しみに襲われたときに
その教会はひらかれている。
わたしにとっての教会は
「悲しみのうつわ」なのである。