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愛のものがたり⑨
今秦 楽子
♢1
12月の末、彼女は長崎駅の待合所に大きな荷物を足元に置いて座っていた。耳にはAirpotをはめて携帯を凝視している。LINEで駅に着いたと連絡があってからわたしの胸は踊っていた。けれどこんな遠くまで彼女が足を運んで登場するなんて想像できない。待合所の黒い身なりの彼女を見つけては、沙都が来た! 沙都がきた! と更に高鳴る胸を抑えるには深呼吸する事がせいぜいだった。中学生なのに新幹線を乗り継いで遠路はるばるやってきた沙都と再会する。そこには黒い革ジャンにブラックジーンズ、ブーツを履いてひと回り大人になった少女が居た。
「沙都ちゃん」
「あ、ママ」
再会はあっけない言葉を掛け合ったものだった。
「文生さん、クリスマスは街のホテルに2泊ぐらいして来ようかと思って。観光もできるし。家あけても構わないかな」
「うん言っといで、せっかく親子水らず楽しんできなよ」
そう言って文生はポンと留守番すると言った。文生はひとりで過ごすのも久しぶりだし、ゆっくりできるからと、わたしの背中を押した。
「じゃ沙都のとこ行ってくるね、ポンくんのことよろしく」
軽やかにドアを出た。
♢2
沙都と駅前を歩く。長崎の駅はもう新しい顔を見せていた。新幹線の乗り口、観光案内所、カフェ。住民たちは胸を張って長崎の顔だと誇っているかのようにクリスマスにこの街を歩みゆく。路線バスのターミナルを横に新しく建った新アミュプラザ。そには煌びやかなイルミネーションとそそり立つ大きなクリスマスツリーが白いライトを輝かせている。
「沙都ちゃんの言ってる炉端? 一応それに近い居酒屋を予約したんやけど」
「うん、そこでいいよ。貝が食べたい」
「多分あると思う」
ファミリーレストランだのバーガーショプだので喜んでいた沙都はもういない。歩道橋を渡り横断歩道を渡ると、目的地の大庄水産の大きな看板がアップライトに反射する。暖簾をくぐり予約した者だと告げると奥の席に通されるた。そこは4人でかけれるテーブルに焼き物ができるコンロが備え付けてあった。店員からおしぼりを受け取り両手を一生懸命拭きながら沙都はメニューに釘づけになる。昔なら、コーラーがいいオレンジジュースがいい、とすぐにドリンクを決める沙都は大人びた飲み物を注文した。
「わたし生で」
「わたしノンアルコールのカシスソーダーください」
一つ一つの沙都の挙動が大人びていて、落ち着いていてわたしは沙都をひとりの大人として扱わざるを得なかった。
もうわたしの小説の中の沙都ではない。支配しようとして、コントロールしようとした愚かなわたしの「所有物」ではない。沙都が自分の意思で、自分に会いたいとやって来たことに「親」としてではなく、ただ単純に人間として嬉しかった。
「ドリンクでーす」
声の通る女性の声で振り返ると沙都には大人のカクテルにストローがささった飲み物が、わたしの目の前にはキメの細かい泡のついた黄色いビールが揃えられた。
「遠路はるばありがとうね」
「いいえ、どういたしまして」
いちいちやりとりも大人だった。
「サラダと盛り合わせですー」
同じ女性が澄んだ声で頼んだものを持ってくる。長崎だから特に青魚は美味しいよ、九州の醤油は甘いけれど合うんだ、なんてウンチクを並べながら沙都に進めた。
沙都はパクパクと食べては美味しいと感嘆する。その様子を見ながらこみ上げる涙を堪える。沙都は元夫のもとで沙都らしく愛情を受けて育っている。わたしの手から離れて2年弱。たくましく育っている。
「ところで沙都ちゃん、今度は高校やけどどうするん?」
「高校は通信制に行こうと思うねん。パパも応援してくれてて行きたいとこ
ろの見学会についてきてくれてさ。いいんじゃない?って言ってる」
「そっか、沙都ちゃんもリスタートやな。新しい環境やし」
「うん」
「朝起きるのとか大丈夫なん?」
「ほとんど学校は昼かららしいよ。それに登校日も週に何回かみたいやし」
「沙都ちゃんにうってつけやん」
「そうやねん」
「快く行かせてくれるパパにも感謝しなな」
そう言って偏りながら刺身を選ぶ沙都の箸先を眺めた。
♢3
「お待たせしましたー」
皿にはエビやサザエやハマグリが並んだ海鮮を今度は男の店員が、沙都とつまむ皿たちを避けてテーブルの余白に詰めた。爛々とした目でトングを扱い、網焼きコンロに好きなものを並べた。もうこの宴の主導権は沙都にある。ママも食べや、と取り皿に焼けた海鮮を置く沙都。もう、わたしたちの関係は親でも子でもなく親友の様な域にあるほどに感じざるを得なかった。
「沙都な、高校行ったらバイトすんねん。それで欲しいもの買うねん」
「いいね、ママも高校の時バイトして欲しいもん買ってたし」
沙都の欲しいものが、もうおもちゃやゲームの類ではなく、自分を表現するギターやベースという楽器になり変わったのも驚きだった。また中型免許を取得したいとか、最終的にはバイクが欲しいと言った。
「バイクって転けたら痛いで」
「そうやな、でも遠くに行けるやん。安全運転するし交通量の少ない道選ぶよ。念には念を重ねるよ。沙都は石橋たたいて渡る人種やから」
「石橋たたくなら自動車やけどな」
「いいねん、早く乗りたいねんもん」
「パパがいいって言ってくれてるんやったら、挑戦し。ママも応援してるから」
幼い沙都の陰影が遥か遠くに霞んでいた。沙都は自立しひとりのヒトとして歩いている。またそれを助けたのは元夫の家族の存在が大きく、有難い存在として改めて感謝するのだった。
「しめにパンナコッタ頼んでいい? ママもいる?」
そんなところはわたしの知る沙都の一面。それはわたしの胸の綻びを一つ一つ繕った。
♢4
タクシーに乗り込み目的地まで沙都と同乗する。
「ホテルモントレーまでお願いします」
わたしは運転手に行き先を告げると運転手は快く返事をしてドアを閉めた。
夜の長崎の道はライトに輝き、年末というのに車はすっと流れた。大波止を越え出島に差し掛かる。石垣がオレンジ色にライトアップされキラキラと光るのを沙都は車窓から綺麗だとつぶやいた。赤い信号が光を放ち、いつまでもこの時間が持てたらなんて、思ってはいけない感情がわたしを支配した。タイヤから凸凹とした感覚が伝わる頃、石畳の道路が目的地が近いことを知らせた。タクシーのドアが開き、沙都はようやく長い旅からの解放を味わった様だった。
ホテルのドアを開きチェックインの手続きをしている間、沙都は携帯をスクロールさせながら長椅子に座る。その動作もスムーズでいつまでもわたしに着いてくる子供ではなかった。
通されたツインルームはヨーロッパの雰囲気が味わえる、可愛らしい家具が整えられていた。白い空間に黄土色のカーテンやベッドライナーが心を落ち着ける。白熱灯の優しい灯りがわたしの心も優しくさせる。落ち着いた頃、わたしはコーヒーを飲むためにポットを準備した。沙都は早々にベッドにダイブしてブーツを脱いだ。かつてのお惣菜パーティ以来のホテルステイ。わたしたちは女子会の様な時間を、このホテルで味わう。
♢5
「ただいまー」
「いらっしゃい、沙都ちゃん」
ドアを開けるなり蟹の湯がかれた匂いに包まれながら、文生がキッチンんに立っていた。文生は家の中を銘一杯片付けた様で、家の中がすっきりしている。
「こちら文生さん。こちら沙都」
わたしは沙都に文生さんを紹介し、沙都は文生にお邪魔しますと頭を下げた。文生は冷凍していた蟹の爪をパスタにするとクリームを煮込んでいた。沙都にポンの世話を頼んでわたしたちで昼食を調える。文生が湯がき上がった麺をフライパンに落とすと、手早く揺すりながらパスタは完成した。冬の豪華な蟹クリームパスタは、わたしたちの住む1Kを華やかにした。
「沙都ちゃんはギターするんでしょ。俺も実は学生時代にアコースティクギター触ってたんだ」
なんて沙都に合わせた会話を文生が振る。文生はあのコード難しいよね、と指づかいを空で見せながら沙都の愛想笑いを誘う。そんな風景が優しい。話題についていけないながらにわたしも微笑する。沙都の好きなアーティストを文生も知っているらしく、意気投合したふたりは会話を弾ませていた。文生は沙都にもわたしにもポンにも平等に無償の愛を注ぎきる。あぁ、わたしは幸せの中にいるのだと花が咲いた文生の部屋はポッとオレンジ色の空気に包まれた。窓の外を見ると街路樹が揺れ、洗濯物が踊っている。ポンは沙都の足元に前足を放り出して伏せている。
「いつでもなんでも困ったら、相談乗るからね」
「ママもいつでも相談に乗るよ」
人見知りの性格の沙都なのに笑って首を縦に振った。部屋のスペース上文生は民宿に泊まり、沙都とわたしはとどまった。
文生は体調が思わしくないからお出かけは水入らずでしておいでと遠慮した。それに甘えて私と沙都はドライブやテーマパークへ出かけては親子の時間を取り戻した。
♢6
「沙都ちゃん、帰りママ博多まで送って行こうかな?」
「いいのん?」
沙都はぱっと顔を明るくさせて返事した。
「大阪まで遠いから、せめてものお土産だよ」
「嬉しい」
ひとり旅はやはり中学生には心細かったのだろうか、無理をさせたなと思いながら自動券売機で博多までのチケットを購入っする。駅中のセブンイレブンで飴やお菓子やジュースやらカゴに放り込んで。まるでふたりで長崎まで旅行しにきた親子の様に日常のひとつとして買い物をしている錯覚に陥る。ひと時も長く沙都と離れたくない私の思いつき。もっというなら長崎に一緒に住めたならば、なんて叶わぬ願いを揉み消した。沙都のこの旅ではことごとく「大阪の暮らしがいい」という言葉が飛び出す。全否定されながらわたしの夢は打ち砕かれたのが彼女の旅での収穫だった。ただ沙都の無邪気に子供の役を演じきって全力で母親を頼ることに幸せしかなかった。
♢7
博多まではあっという間だった。沙都は車窓を眺めている。その雰囲気はひとこと掛けるのもためらうほど大人ぶっている。沙都には沙都の世界があること。それを引いた感覚で見守ることがわたしには必要だと、寂しさを感じながらもそれこそが愛なのだと沙都の向こうに流れる田畑の刈り取られた山吹色の稲茎たちはキラキラと微笑んでいた。
博多で乗り換え乗車口まで送る。それまで沙都は沙都の世界にいたかと思うと、急にこう言った。
「ママ、ハグしていい?」
そう言ってしっかりとわたしの体を包み込みギュッと抱きしめてきた。わたしはこれは沙都からの卒業証書として受け取った。ママありがとう。ママお疲れ様、と。身体中から電流が走る様な高揚感に包まれ、沙都ちゃん頑張りよ。沙都ちゃん応援してるからね。彼女の耳元で博多駅の雑踏に負けない様に大きな声で呟いた。沙都はいつまでもわたしの子。そして沙都は沙都なんだ。
新幹線の座席に腰かけ窓からこちらに手を振る沙都。出発のベルと共に長い尾を引きながら流れ去る「のぞみ」。その影をいつまでもいつまでも手を振ると、じわじわと涙が追いかけてくる。滲んで見えるホームでは「のぞみ」の先端が駅舎の外の光に溶けるまでの儚く長い時間がスローモーションの様に流れてゆく。
♢愛のものがたり⑨あとがき
ご覧いただきありがとうございます。沙都とのストーリーは一旦終わりです。大人びた沙都と比例して支配やコントロールが愛ではないことに気づく京子もまた成長を見せています。文生とのストーリーがまた始まります。ご期待ください