【未来小説】楽子の未来小説
今秦 楽子
「アカデミー作品賞ですよ、ことり合戦!」
電話の向こうから男の言葉が届いた。
「杉田です。ノミネートです、
ノミネートですよ」
「え?」
無造作にテーブルに置かれたiPhoneが
その時、鳴った。
着信は編集者の名を知らせて。
ここは山の傾斜を背にそそり立つビルの一角。
わたしたちの事務所兼自宅には
作家の彼と愛犬とが居た。
「は?」
「え?」
窓からさす明かりは壁を白々と照らして。
彼に目を配らせて「やったね」
と合図した。
以前、出版した作品が映画になり、
そしてそれがアカデミー賞のノミネートに
入ったという。
映画化の話が出てから約4年。
話題が話題を呼んで全国上映にもなっていた。
この作品はわたしがはじめて発表した小説で、
ありし日の親子の姿を描いたものだった。
好みのわかれるストーリーだけれど、
親子の愛がそこにあった。
あの頃を思い起こしてみる。
この作品を契約したころのわたしは
我が子を失い、途方に暮れていた。
頼りだったのが彼のこの言葉だった。
「一緒に会社やろう、俺と楽子ちゃんとで
ニコイチだから。全てうまくいくから」
そんな言葉に誘われ
生まれ育った土地を離れる決意をした。
それは家族と離れる重大な決断だった。
赤と白のグラデーションに乗る
豪華なイチゴたちをスプーンすくう娘に言う。
「ママのこと許してくれる?」
「何を許すの?」
「ママの子で生きづらかったやろ?」
「ママが沙都のことでしんどくなっていくんは嫌やったよ、沙都のせいだと思って」
「沙都ちゃんに責任はないよ。ママの責任でママがしんどくなっただけやから」
「沙都ちゃんは今幸せ?」
「どっちかっていったら、今? そうかな?」
「ママも、楽しく生きなあかんなって思って。
長崎で楽しく暮らして行くから
沙都ちゃんも楽しく暮らしよ」
「……うん……わかった」
娘とは最後にこんな会話を交わした。
「これは持って行きます、これは処分で、
あとテレビは持って行きます」
「はい、このぐらいでしたらお見積もりは
予算内でご提供できると思います」
引越し業者と相談しながら、
彼とはじめる暮らし、
新しい会社への期待に胸を高鳴らせていた。
わたしは
故郷から全く外に出たことがなかった。
家族、友達、仕事仲間、
この町のすべてがわたしを支えてくれた。
それらへの感謝を捧げつつ
執着を手放すのだった。
「今日からよろしくお願いします、buzzさん」
「こちらこそ、です。
ポンくん共々よろしく。」
こうしてはじまった新生活は出版社から届く
書籍の山の荷解き作業からだった。
この山を手売りすると意気込んで
送ってもらった。
町の書店をはしごして、店主に配って回った。
この時はこの書籍たちが
華々しく飛び立つなんて思ってもみなかったの
だけれど。
出版社に、発注の電話が鳴り始めた。
Amazonで作品の人気が出始めたとともに
とある番組で紹介されたのがきっかけだった。
「この物語は、親が娘に対する愛と娘が親を
思う物語で……」
動画の中で思った以上の評価を称えている
コメンテーターの発する一言一言に
耳を傾けながら彼と笑いあう。
嬉しいニュースは続いて入るようになった。
「重版」の二文字が出版社より打診された。
「先生、サイン会を催したいのですが、
福岡まで大丈夫ですか」
「大丈夫です、都合つけます」
編集者と博多での待ち合わせにも彼に
同行してもらった。
「楽子ちゃん、
サインに添える座右の銘は考えた?」
「そうしたら『楽しか勝たん』
って書こうかな、楽子だし」
「それいいなー俺も使おうかな」
「buzzさんはもっとスタイリッシュな名言
書くじゃん、いっぱしの作家なんだから」
サイン会慣れしているbuzzさんはわたしを
リラックスさせるように
こんな言葉をかけてくれた。
福岡だけにとどまらず、広島、大阪、名古屋、
東京と出版社はサイン会を計画してくれた。
愛犬を預けて彼と飛びまわる日々。
その土地のおいしいものを食べながら
出版社と彼と今後の方針を語る。
「ぜひ次回作を。主人公の歩んだその後を
描いていただけないでしょうか」
「今、ストックとして短編を何本か
もってるんですが、新作ですか」
「はい、読者からの反響が大きくて」
「どんな反響ですか」
「同じような背景を持つ方であったり、
ムスメの沙都と同じ境遇の学生さんだったり。
その後が気になるとの反応があって」
「なるほど。
ほぼ実話を基にしたフィクションなんで
そんなに時間は進んでないんですけどね、
そうですね、考えてみます」
あちこち飛び回りながら、
自分の置かれた立場がガラッと変わったことに
戸惑う。
以前は書きたいから書いて、
書きたくなければ書かないで、
気ままに作品と向かい合っていた。
けれど、これからは読者の要望も汲みつつ、
自分らしい作品を届なければならない。
となると書き上げる自信が少しずつ
削がれてしまうのではないかと心配になる。
事務所に戻ったわたしは、
また窓からの景色に空想を張り巡らせ
MacBookに向かい合った。
彼も肩を並べて
なにかPCを叩いている。
こうして二人創作にふける時間がなによりも
素敵でありがたい。
虚から作られ物語は
わたしの指から紡ぎ出される。
とめどなく物語は進む。
二人のタッチするキーボードは無心に音を
立てていた。
「一旦休憩」
不意に彼が言葉を発する。
夢中になりすぎて、
目の前の景色がぼんやりオレンジ色に
なりかけているのに気づく。
「熱中していたね、夕飯の支度しようか」
「buzzさんも、集中して疲れてるでしょ、
ピザが食べたいから宅配ですまそうよ」
「お、ピザいいね」
わたしが夕食を作ったり彼が作ったり、
たまに宅配をとったり。
気ままに二人この事務所で作業をする。
作業の合間には事業計画と
その実行も行いながら、
忙しく過ごしていった。
彼の作品は以前から人気を博していた。
時々わたしとぽんくんで留守を預かり
彼はメディアに露出するため出張する。
そこでは新しい作品を発表して。
お互い、切磋琢磨していい作品作りに
いそしむ。
お互いが、いたわり合って生活して。
安心する空間。ほっとするそのひとときが、
なによりも幸せで
今まで自分が求めていたものなのだと
気付かされた。
家庭も失くし子供も巣立った、
そんなわたしに与えられた幸せ。
わたし自身を認めてくれるのは
彼と愛犬なんだ。
「杉田です。先生、売れ行きが好調で、
もう一度重版かけるのですが、
文庫カバーでの増刷になります」
「よろしくお願いします」
「それと検討段階なんですが、
ある映画会社から映画化の打診をうけまして
一度ご相談のため、お伺いしたく存じます」
日を追うごとにわたしの作品は
わたしの手を離れずんずん成長してゆく。
書籍に映画に。わたしの願っていた「共感」。
読者や観客の元に魂となって入っていく感覚。
それに身震いを覚えた。
「アカデミー作品賞ですよ、ことり合戦!」
電話の向こうから男の言葉が届いた。
「杉田です。ノミネートです、
ノミネートですよ」
あれから4年こうした未来が待っていた。
(了
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?