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長崎物語④

「まだ行ったことなかったんだね、ぜひ紹介させて」

「え、眼鏡橋つれてってくれるの」

「うん、もうすぐ2月でしょ、特別なんだから」

 路面電車を降り、智典は美都の手を取り道路を渡る。目の先には中島川が横断している。美都が思わず智典の手をぎゅっと握り返した。

「あれが中島川ね」

「うん。浜町からすぐなんだね」

「歩ける距離だよ」

 中島川にかかる袋橋が見えて来た。

「ここら辺りから下向いて歩いてね。その代わりちゃんと手を繋いでいるから」

 智典の指示に従って美都はうつむいたまま歩を進めた。

「ちょっとここから石段になってるから気をつけてね」

 美都は恐る恐るブーツから届く石の感触を確かめ気をつけて智典ココという場所まで歩む。

「顔を上げてごらん」

「わぁー、きれい」

 美都の感嘆の間に川と共に時間も流れる。ちょうど日が差して水面にメガネの影がすっと水鏡になって言われる通りの眼鏡橋が美都の目の前に現れた。美都は袋橋のたもとに立っていた。足元には石畳の歩道が続いていた。

 空は澄み護岸壁の積まれた石石はひとつづつ表情が違い、人々がその手で築きあげた、優しい印象を受ける。川面には飛び石の隙間から落着する水しぶきがそろそろと水の流れを物語っている。川には鯉がスイスイと泳ぐ様子も橋の上からもうかがえる。観光客はここから眼鏡橋をバックに写真を撮ったり、飛び石を渡ったり。皆、自由を過ごしている。

「やっぱり、今日もここを書きたいな」

「いいよ、俺もちょっと散策してくるわ」

 そう言って智典は川面の方へ階段を降り、護岸壁の一つ一つを眺め歩いて行った。

 美都はリュックサックから簡易の椅子とスケッチブックを取り出した。


(確かここの辺りっぽいけど……あった)


「はい」

 智典は美都にコンポタージュの缶を頬に当てた。 

「日が陰って来たけど寒くない?」

「大丈夫。あとここを色塗ったら終わろうと思って」

 気づけばさっきまで出ていた太陽は大きな雲に覆われ、少しひんやりとして来た。歴史あるアーチも一つトーンを落とす。

「あそこのベンチで飲んだらいいよ」と智典はさっきの護岸壁へ下る階段の上にあるベンチを指差す。

「あったかい、智ちゃんありがとう」

 智典も缶コーヒーのプルトップを引きズルズルと一口含んだ。

「あの眼鏡橋、美しいでしょ。本当はね、もしかしたらなくなってたかも知れないんだって」

「え、」

「1982年にね水害があったらしいんだよ、300人ぐらいの死亡、行方不明の犠牲者をだしたんだって。大きな災害だったんだ。この眼鏡橋も崩れちゃったんだよね」

「そうだったんだ……」

「でもそこが長崎なんだよね、復興事業があって元の通りに、そして治水工事で中島川にはバイパス水路も造られたから同じような降水量にも眼鏡橋は耐えうるようになったんだって」

「あの橋が、ひとつずつ、ひとつずつ組み上げられたのってすごい。本当、眼鏡橋は長崎市のほこりなんだね」

「日本最古のアーチ型の石橋って言われてるんだ」

「うんうん」

「でね、見せたいものがあるんだ」

「え、何?」

 そう言うと智典は美都の手を引き護岸壁へ続く階段をゆっくり降りた。

「ここ、ここ見て」

「あ、ハート」

「そう、ハートストーン。護岸工事の時にはめ込まれたんだって。水害の犠牲者を悼んでるのかな」

「智ちゃん、こんなロマンチックなことするんだ」

「そう、俺、決めたんだ。この眼鏡橋のように、いつまでも美都ちゃんの隣にいるから。美都ちゃんは一人ぼっちじゃないからね。安心してよ」

「……智ちゃん」

 美都の頬に一雫の涙がツーっと降りた。智典はその冷たい頬に温かい唇を重ね、美都を抱擁した。

「ずっとそうだからね」

 芒塚を源流にもつ中島川。風を受けても水面はピンとしわを伸ばしたシーツのように川面を張ってメガネがギラギラさせる。もうすぐ春節。護岸の上をゆらっと黄色いランタンが揺れていた。




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