日本という国の始まり その8
金印の説明のおり、もう幾度となく説明したので、ご存知の方は、耳たこでしょう。
金印、それは江戸期に福岡の志賀島で出土した、所謂『漢委奴国王』金印紫綬です。
読みは明治の学者で筑波大学初代総長・三宅米吉先生の発案で「かんのわのなのこくおう」と読まなければテストで丸をくれません。爾来今日に至も、憲法9条と同様、恐れ多くも改正など出来ませんでした。
しかし、どうみても、「わ」とは読めません。委員会の「委」です。
そうなんです、「い」です。
詳細は、また後にするとして、正しくは、
『かんのいのなかの国王』なのです。
太古、日本は「倭」と史書に表記され、中国人の発音は「い」国です。
また、「奴」は「な」ではなく、「なか」ないし、「なが」と発音されていました。(正確にはnag)
詳しく知りたい方は私のYouTubeを参照下さい。
徳島県人なら、
これが、何を意味するか、よく解ると思います。そうです、徳島県の東部、東南部の事です。那賀郡、ないし、長の国です。後漢書に、日本の極南界とあります。つまり、日本の一番端にあり、南の境目にある都市こそ首都だというのです。(神武東征以前は徳島が一番端だった)
講演のおり、採算、阿南市が古代の帝都だとお話しして来ました。そのうち、一部上場企業のコンビナートが掘り出されるだろうと、予言していましたが、的中し、2018年の新聞記事に「『日本史上、最古最大』の加工場群が出土した」事が載りました。
日本の古代国家を「わ」と言ってる間は、
日本の古代史を理解出来ないでしょう。
日本の古代国家は『い』なのです。
平安文学、仙覚和尚も言ってるではありませんか。
天竺の発語は『あ』であるが、
日本の発語は『い』であると!
そうなのです、
アーリアはみなAで始まり、
日本はみな『い』で始まるのです。
(abcde.…、 いろはにほへと)