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雄略朝の帝都は徳島か? その2

先般、徳島みづほ古事記講座が、ホテルみづほのホールでありました。
三回連続でスピーカーを頼まれたので、今回も一時間程度熱弁をふるってきました。

で、なかなか登録者数が増えないYouTubeの数を稼ぐために、本来ツーリングと木工細工のチャンネルに、禁じ手の徳島古代史を割り込ませての動画アップをしています。

歯牙にもかけてもらえなかった邪馬台国阿波説が俄かに脚光を浴びています。半面、辛辣な批判にさらされてもいます。しかし、考えてみれば仕方ありません。日ユ同祖論や神代文字など、ありもしない事を語っている方も多くて、噴飯説とも呼ばれております。江戸時代の池辺先生や、明治の島田泉山先生あるいは斉藤普春先生に申し訳なく思います。

今回の講義は、前回に引き続き、同じ題目ではありますが、内容は全く違います。基本的には太古の阿波は日本そのものであるという点は、阿波説の諸氏と同じなのです。が、大化の改新までもが阿波での出来事だったとする噴飯説がいかに出鱈目であるのかという点を、動員率をもとに語っています。

文学チックもいいですが、たまにはそろばん片手に数字をなぞり歴史を検証するのもいいのではないかと思った次第です。

貼っておきますので是非見てください。


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