【物語と哲学　3】『天より授かりしもの』「私とは何か」

　ほとんどの「物語」には、「意図」があります。作者が何かを伝えたいという意図、そして作者が問いを共有したいという意図。意図やテーマを把握し、自分なりに考えることは、「哲学的思考」の最初の一歩になると思います。

　ここでは、物語を題材に、哲学的思考の練習をしてみたいと思います。作品を取り扱う以上、≪ネタばれ注意≫ということになります。

　第3回は『天より授かりしもの』を取り上げます。

テーマ　私とは何か

作品紹介
　1995年、アン・マキャフリーによるファンタジー中編。逃亡した王女と少年の二人の物語は、「天賜(ギフト)」によって意外な展開となる。(ここでは赤尾秀子訳、2004年出版の創元推理文庫の訳書を参照する)
　王女ミーアンは、植物を育てる才能を持つことにより疎まれていた。宮廷から逃げ出した彼女は森の奥深くの小屋だったが、世間知らずなので何から手を付ければいいかもわからない。そこに、ウィスプという少年がやってくる。彼の背中には、いくつもの鞭跡があった。二人は力を合わせて暮らしていくが、宮廷の使者がやってくることにより少年は豹変してしまう。

過去を切り離す

「でも、ここにはわたしの天賜(ギフト)がこめられていて、それが緑の植物をはぐくみ、わたしが育てたものはなんでも茂らせ、わたしが調合するものにはかならず薬効を持たせてくれるの。だから、ここでも庭をつくるつもり」
「レディ……いえミーアン、あなたにそんなことができるんですか？」ウィスプは感じた疑問をすなおに口にした。
「煙突にはお手上げだけど、植物のことならまかせてちょうだい」ミーアンはきっぱり言って立ち上がった。(pp.32-3)

　ミーアンは王女であるとともに、珍しい才能の持ち主でもあります。彼女にとって前者は捨ててもいい属性であり、後者は誇るべき特徴です。彼女は、自らの属性を選択しようとしています。

　ウィスプの仕事ぶりに、ミーアンは目を丸くした。部屋が見ちがえるほどきれいになっているのだ。古いテーブルはつるつるにみがかれ、ぐらつかなくなっていたし、その下に置かれた丸椅子ふたつも修理され、まるで新品だ。火がちょろちょろと燃えて、鍋からはおいしい匂いがただよってくる。(p.36)

　ウィスプが指をふった。「ぼくたちはミーアンとウィスプです。過去はぼくたちひとりひとりのもの。ぼくはあなたになにも質問しなかった。あなたもぼくには質問しない」(p.49)

　ウィスプは特別な能力ではなく、技術によってミーアンを支えます。二人は過去から切り離され、「今できること」を提供し合う関係となっていきます。
　果たして、過去の身分や人間関係から解放されたことにより、二人は「本当の自分」になっていると言えるでしょうか。人は、そのようにして自らのありかたを選び取っていけるのでしょうか。

姿を取り戻す

　と、そこで人生二度目の衝撃を受けた。手押し車を押していたのは、彼女の知っているウィスプではなかったのだ。おなじように細身ながら、長身の青年、青い瞳に怒りを燃え上がらせている青年だった。(p.103)

　町にはミーアンの情報提供を求める兵士がおり、彼女がアナスターシア姫であることがウィスプにばれてしまいます。そしてウィスプもまた、幻視の天賜(ギフト)によってミーアンを欺いていました。お互いに「偽りの自分」によって接していたのです。そして、ミーアンが男爵との婚姻を断ったことが、ウィスプ逃げ出すことの原因となっていたのでした。二人は元々、知らないうちに関わりがあったのです。

「(略)あの小屋で、わたしはわたしでありたかった。それにはミーアンという名前しかないと思った。わかってくれるでしょ？　家出した少年にはウィスプという名がぴったりのように」
　彼が小さく笑った。暗闇のなかで、それはミーアンの知っているウィスプ、彼女が頼りにしているウィスプの笑い声だった。(p.116)

　ウィスプは「姫」を憎悪しており、ミーアンの正体を知り態度を変えます。しかし彼は、小屋で過ごしたミーアンのことは全く嫌っていなかったのです。ミーアンは姫としての自分についても語り、「ミーアンとして」ウィスプに受け入れられることになります。
　私たちは天賜(ギフト)を使うことはできません。けれども肩書や見た目の印象は、変えることができます。「本当の私」に対して身分、名前、姿などは、どれほどの影響を与える要素なのでしょうか。そもそも「私」とは、どのようなものなのでしょうか。

天より授かりしもの (創元推理文庫)