【小説】七割未満 14
ジャガジャーン、というギターの音。アンコール三曲目、今度こそ最後の音だろう。
拍手の中、手を振りながら帰っていく三人。汗だくだった。
「ねえ、どうだった? どうだった?」
隣で沖原さんが目をキラキラさせている。それも当然、ライヴに誘ってきたのは沖原さんなのだ。
「良かったよ」
「でしょー」
今日の沖原さんは変な英語の描かれた白いシャツに襟が豹柄の白いカーディガン、赤いチェック柄のサスペンダー付き赤と黒が折り重なるイレギュラーヘムのス カート、ドット柄のファー付きブーツという出で立ちだった。かなり過激な格好に見えたけど、会場に来てみたら溶け込んでいた。
さきほどまで演奏していたのは、シカゴスプレーというスリーピースバンドだ。ギターボーカル・キーボード・ベースというあまり見たことのない構成だったけれど、三人のバランスが良くて、聴いていてとても心地よかった。
ライブハウスを出ると、辺りは真っ暗、上空には丸っこい月が光っていた。
「遅くなったね。電車はどれ?」
「何言ってんの、だべるところまでがライブですよ」
「遅いと親心配しないの?」
「……しないよ」
沖原さんは少しうつむいた。
「帰らない日もあるし」
「不良なんだ」
「そう。不良品」
自分だって家族のもとへ帰るわけじゃない。これ以上この話はしないでおこうと思った。
「辻村はさ……棋士で決まりなんでしょ」
「何が」
「しょーらい」
「そりゃあ、ね」
「いいなー」
沖原は喋りながらも、一直線にコトールコーヒーに向かっている。人の話を聞かないんじゃない、聞くことを省くタイプのようだ。
「みっちゃんは、意外としっかりしてるよね」
「意外とって」
「だって、いろいろと苦手そうなのに得意なもの見つけてるじゃん。私はわかんないからなー」
店内に入った沖原は、何やら呪文のようなものを唱えている。注文するだけで疲れてしまうため、こういう店はできれば避けてきた。
「みっちゃんはどうするの?」
「あ……同じのを」
出てきたのはソフトクリームの下にコーヒーが添えられているような飲み物だった。 いや、飲み物なのかこれ。
「あ、あそこ空いてる」
奥の席へと駆けていく沖原。俺はプレートを持ってその後を追う。
「……辻……村?」
「あ、皆川さん」
なんと、目の前に皆川さんがいた。今から出るところだったのだろう、バッグを手にして席を立ったところだった。
「だれ、知り合い?」
そして、空になったカップを捨てた後、こちらに向かってくる男性がいた。小顔で妙な形の淵なしメガネをかけている。
「あ、あの……弟弟子」
「へー……あ、見たことあるな。辻村……君?」
「はい。失礼ですが僕も見たことあるような気が……」
「ああ、俺は蔦原。囲碁棋士」
そうだ、蔦原二段だ。雑誌の若手特集で見たような気がする。
「そうでしたか。改めまして、辻村充です」
「あれだ……高校生棋士なんだよね」
「でした。中退しました」
「あら」
俺たちが話している間、皆川さんはそわそわしているように見えた。こちらを見たり、奥の方を覗いてみたり。
「あ、すみません。人を待たせてるんで」
「ああ、呼び止めてごめんね」
「皆川さんもまた」
「え……あ、うん。またね」
店を出る二人。ひょっとして付き合ってるのかな。
「ごめんごめん」
「誰?」
「姉弟子……えーと、将棋の知り合いと、囲碁の人」
「ふうん。めっちゃにらまれた」
「え」
「彼女かと思っちゃった。綺麗だよね、あの人」
「まあね。化粧濃いけど」
「うん」
沖原は、皆川さんが立っていた場所をずっと見ている。そんなに気になる感じだったろうか。
俺はと言えば、この店の雰囲気に慣れない。だいたい知り合いにあってしまうような店は俺にとっていい店ではない。
「さ、復習よ」
「え」
「ライブの感想を話し合うの。とことん楽しまなきゃ」
「はあ」
ライブにも感想戦があるとは知らなかった。しばらくこの店から逃れることはできなさそうだ。
【解説】
・シカゴスプレー
架空のバンド名を考えるのが好きです。あまり激しくなく、少しピコピコも入りながら音のしっかりとしたバンド……というイメージです。
・蔦原二段
囲碁棋士、初登場です。皆川さんと同じ誕生日という設定です。これは、当時話題になった某囲碁棋士と将棋の女流棋士との結婚をネタにしました。お互いに恋のライバルが出てきたのですが、果たしてラブコメっぽくなっていくのでしょうか。