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【小説】七割未満 24
華やかな場所に戻り、インタビューが続く。こういうのはやっぱり苦手だ。
「プロ側にソフトが提供されることに関して不公平ではないかとの意見もありますが、辻村六段はどのようにお考えですか」
場の温度が、少し下がるような質問が飛んできた。ただ、予想の範囲内だ。
「人間とコンピューターの間にある最大の不公平は時間です。読みの深さは人間に少し分があると思っていますが、量に関しては圧倒的な差です。同じだけの量を読むのにかかる時間が違う、それは人間とソフトとでは別の時間を生きているとも言えると思います。その差を埋めるには、人間が事前に時間をかけるしかないと思います。ソフトは何億手も読むと言われていますが、もしプロも何億手読む時間があれば、プロ棋士側が圧勝すると思います。ソフトに量的なアドバンテージがあるのならば、人間側に時間的なアドバンテージが与えられてしかるべきと考えています」
質問した記者は何かを言おうとして、言葉を飲み込んだようだった。記者というのは自らの想像したストーリーに適さない応答に対しては不機嫌になるものだと、最近学んだ。
ちなみに、俺の答えは皆に考えてもらったものである。インタビューも研究済みだった。
俺の祭りは終わっていく。そして、日常の戦いは、普通に続いていくのである。
二か月がたち、状況は大きく変わった。電将戦はプロの一勝三敗一引き分け。つまり、俺以外誰も勝てなかった。
引き分けというのも変だけれど、イベントの性質上持将棋のあと指し直しというのは難しかったから仕方がない。あとは、皆負けた。驚いた。それだけ上位のソフトが強かったということだろう。
正直なところ、どう受け止めていいのかよくわからない。もしソフトが人間より強くなっても、それに勝つために努力したいと思うだろうか。
ただ、強さというのは測りにくいものだ。インタビューでも言ったけれど、時間が十分にあればプロが有利だ。早指しならば全くかなわないかもしれない。ルールによって結果はまったく異なるだろう。だから、根本的に「将棋が強い」なんてことは、どうやって測ればいいのか、いつまでたってもよくわからないままだろう。
多分、俺のところに再び話が来ることはない。役目は終わった。
最近は、別の役目が増えている。それは、つっこちゃんを守る、というものだった。三段リーグに入り、にわかに注目を集めるようになったつっこちゃんは、一般のマスコミからも取材されるようになった。けれども、彼女はそういうことが大の苦手なのだ。だから三東先生などと相談して、できるだけ周りの人間が話をして、彼女には負担がかからないようにしよう、ということになった。俺は「研究会のパートナーとして」色々なところで話をする機会が増えた。
電将戦で唯一勝った棋士と研究会をしていた、というのはストーリー的には大変使いやすいらしいけれど、実際には俺の果たした役割なんてちっちゃいものである。一番偉大なのは三東先生だし、同世代のせっきーやファミリアの存在も大きいし、俺なんておまけみたいなものだ。何より事態はそんな悠長なものではなくて、つっこちゃんは確実に将来ライバルになる存在なのだ。
そして今日は、それが現実になる日かもしれないのだ。三段リーグ最終日。つっこちゃんには、昇級の目がある。
「やっぱり来ていたんですね」
控室に入ってきたのは、三東先生だ。この瞬間、世界で最も緊張している人間ではないか。
「そりゃあね」
「行けそうじゃないですか」
「そんなにすんなりとは、普通いかないよ」
そうは言うけれど、選ばれし人間というのは運をも味方につけるものだ。まったく無名で、古い全集だけで勉強していた少女は、自転車で東京までやって来た。師匠と出会い、俺らと出会い、強くなって、この日を迎えた。女性初の四段と言うけれど、そんなのは彼女にとっては通過点だろう。
一局目は候補の三人が皆勝った。つっこちゃんは三番手で、上二人が負けない限り昇段はない。ただ、最終日に自力の二人が確実に逃げ切るなんてことはそんなにはないのだ。
待ち時間はとても長かった。そしてついに、一番手が勝ったとの知らせが来た。これで、二番手になれるかの勝負。競争相手が負けて、つっこちゃんが勝てば昇段だ。
三東先生がいよいよそわそわして、泣き出しそうな顔になっていた。俺は思わず、声をかける。
「つっこちゃんは、そういう星の下に生まれてきた気がします」
「え」
検討の手を止めて、俺は王将をつまみ上げた。それを見ながら、話を続ける。
「将棋界のことなんて知らずに飛び込んできて、三東さんのところにたまたま行って。それでこんなに早く駆け上がってきて。全然強そうに見えないし、弱気だし、内気だし。でも、勝っちゃうんですよ、彼女はいつも」
そして、第二報が入った。金本勝ち。これで、相手次第。
五分が経ち、十分が経ち。時間が渋滞してるんじゃないかと思った。二十分が経過した。
第三報が、ようやく来た。競争相手が……負けた。
俺らはすぐには感情を表現できなかったけれど、将棋の事なんてよく知らないと言っていた記者が三東先生の肩を叩いた。
「よかったですね」
「え……ええ」
俺も、この偉大な師匠を称えないわけにはいかない。
「三東さん……やりましたね」
「辻村君……やっちゃったね」
ぎこちないけれど、師匠は笑っていた。俺自身も多分、珍しいぐらいの笑顔だろうと思う。
「……あのさ、辻村はさ、きっと映画だとかは嫌いだよね」
今日は、つっこちゃんの昇段祝賀会があった。今はその帰り道、皆川さんと二人駅まで歩いていた。少し前を歩く皆川さんが、振り向かないままに話しかけてくる。
「え、何でですか」
「べつに誰とでもいいんだけどね、観に行きたい映画があって、みんな都合が悪いらしくて、まあ辻村とでもいいかなとか思って」
「いいですよ」
「え」
「行きたいです」
「ちょっと、なんで乗り気なのよ」
「映画とか自分では行かないから。たまにはいいなーと思って」
「じゃあ、そのついでに買い物とかご飯とかもせっかくだからする?」
「いいと思います」
「……そう」
皆川さんが一瞬振り返ったので、二人は横に並んだ。そういえば昔、二人で服を買いに行ったことがあった。あの頃もこんな感じだったけれど、随分と変わったような気もする。
思えばいつの間にか、誰かといることが普通になっていた。学校の友達なんて誰もいないのに、いろんな人と関わって、共に過ごして、付き合ったり別れたりして。そしてずっと変わらないのは、皆川さんはいつでも俺の味方で、そのことに俺も安心しているということだった。
七割以上の確率で、ずっとそんな関係は続いていくと思う。
「皆川さん、もし僕が名人をとったら……」
「えっ」
「欲しい帽子があるんで買ってください」
「ばか。辻村のばーか」
また、皆川さんが半歩前に出る。揺れる髪を、しばらく眺めていた。
完
【あとがき】
『五割・一分・一厘』のスピンオフ小説、『七割未満』をお送りしました。この作品は将棋文芸誌『駒.zone』で連載していたものです。将棋文芸誌をつくるに当たり、核となる小説があった方がいい、と思ったのが始まりでした。『五割・一分・一厘』は冴えない棋士が天才少女に助けられる話でしたが、次は天才の苦悩を書きたいと思い、辻村君を主人公にしました。彼はある棋士をモデルにしているのですが、その棋士はなんとその後ずっと勝率七割前後を保っています。そして、最近タイトル戦にも出るようになって、いよいよ一流棋士の仲間入りをしようとしています。辻村君もこの物語の後、きっと同じような活躍をしていることと思います。
実は当時、かなり悩みながら書いていました。三東先生や月子さんと違い、辻村君の悩みはそれほど特殊なものではありません。ただ将棋を題材にした、ありきたりな話にはなっていないかと思ったのです。でも、まずはどういうわけか皆川さんの評判が良くて、だんだんと辻村君を中心とした「若者たち」の物語が出来上がっていきました。今回再掲するにあたって読み返したのですが、当時思っていたよりもいい作品だったかな、と思っています。
最近将棋小説も多く出版されていますが、私は私なりのペースでまだまだ将棋小説を書いていこうと思っています。そして、月子さんや辻村君の物語も、もう少し書いていってもいいかな、と考えているところです。
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