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記事一覧
【小説】二割ちょっと
リバウンドしたボールが、ころころと転がってくる。吸い込まれるようにそれは、僕の手の中に納まった。
チームメイトと目があった。明らかに「パスをよこせ」という顔だ。でも、彼にはマークがついている。僕はその場で両手を構え、ゆっくりとシュートを放った。
ボールはきれいな弧を描いてボードに当たり、そしてゴールの中に吸い込まれていった。
敵も味方も、呆然としていた。ただ僕だけが、このゴールを当然
【小説】七割未満 24
華やかな場所に戻り、インタビューが続く。こういうのはやっぱり苦手だ。
「プロ側にソフトが提供されることに関して不公平ではないかとの意見もありますが、辻村六段はどのようにお考えですか」
場の温度が、少し下がるような質問が飛んできた。ただ、予想の範囲内だ。
「人間とコンピューターの間にある最大の不公平は時間です。読みの深さは人間に少し分があると思っていますが、量に関しては圧倒的な差です。同じ
【小説】七割未満 23
世間ではかなり大きなニュースになっているらしいけれど、俺にとってはそんなことは関係なかった。指せば指すほど、この戦いの難しさを実感することになる。
掟糘は、いつも同じ手を指してくるわけではない。ただ、矢倉のあの局面にすれば、必ずあの手を指してくるのだ。
本番、どうなるかはわからない。けれどもこの指定局面だけは、どうしても答えを出さなければならなかった。いつも皆が集まれるとは限らない。今俺
【小説】七割未満 22
俺はなんてだめな人間なのだろう。
帰り道、空を見上げても曇っている。月も星も見えない。
いろんな人に笑顔を向けた。初タイトルに挑む川崎さんに。初タイトルを獲った木田さんに。そして三段リーグに入ったつっこちゃんに。社交辞令ができるほど大人になって、そういうところは成長したのに、俺だけが何もない。
この一年ほど、ずっとこんな感じだ。将棋界ではいろいろなことが起こるけれど、自分は蚊帳の外だ
【小説】七割未満 21
「よっ」
「え」
連盟の初心者将棋教室、初回。一か月ごとに講師が変わるので、申込者の数は棋士個人の人気を反映すると言われている。俺には特にファンがいるとも思えず、ちょっと心配だったのだがそこそこ人は集まった。
ただ。
「みっちゃんの仕事ぶり見てみようと思ってさ」
「沖原さん……」
受講者の中でもひときわ目立つロックな格好。元同級生、沖原さんがいたのである。
「それに将棋にも興味
【小説】七割未満 20
「あの……辻村先生……」
研究会が終わり、魚田君と関川君はすでに帰宅した。何でもテストが近いらしい。残ったのは俺とつっこちゃんで、何とつっこちゃんの方から声をかけてきた。
「なんだい」
「あの……これ、どうですか?」
そう言って、つっこちゃんは左手を突きだした。そこにはかわいい腕時計が巻かれていた。そういえば今までは、三東先生のものと思われる男物をしていた気がする。
「いいね、似合っ
【小説】七割未満 19
以前先輩に連れて行ってもらったカフェで、ジンジャーティーを頼んだ。特にそれが好きとか気になったとかではなく、本当にたまたま頼んだのだ。そしたらすごくおいしくて、マスターの女性にどこで手に入れられるのかを聞いた。すると、彼女の方がすごく喜んでいた。
と、なぜか、そんなことを思い出しながら目が覚めた。
「あ、ごめん。勝手にいろいろ使った」
そう、それはジンジャーティーの香りだった。皆川さん
【小説】七割未満 18
ラムレーズン支部の指導を終え外に出ると、雨が降り始めていた。
この不思議な名前の支部は、その名の通りラムレーズンを愛する人たちが集まって作った支部である。俺の師匠が師範となっているものの、実際には弟子たちが交代で指導に行っている。今日は、ラムレーズンのクッキーを大量に食べた。
「はあ」
思わずため息が漏れた。ここ数日ずっとこうだ。情けない。
バトル・サンクチュアリ二回戦。俺たちはベ
【小説】七割未満 17
「辻村……」
ひどい顔をしていた。悲しそうなことはもちろんだけれど、髪はぼさぼさ、目元にはあざができていた。
「けがはないの?」
「してるかも。でも、ここまでは歩いてこれた」
突然呼びされた。住宅地の公園で、彼女は待っていた。
「勘違いしないでよ、彼氏じゃないから。今は付き合ってないはずの人」
「そう」
「大事なところだから」
「女の子を殴るやつは関係なくくずだよ」
少しだ
【小説】七割未満 16
いよいよ一回戦。関東若手チームは、奨励会チームとの対戦である。
負けるわけにはいかないのだが、楽な戦いとも言えない。三段といえばプロと遜色ない力を持っているからだ。
大将戦は、川崎対磯田。磯田三段は、新人戦でプロに何勝もしている。俺も三段リーグで負けたことがある。ちなみに名前が「瑠宇徒」と珍しいことから、将棋ファンからの認知度も高いようだ。
副将戦は、辻村対岩井。岩井三段は14歳。若
【小説】七割未満 15
バトル・サンクチュアリ。
この名前を聞いて、将棋の団体戦だとわかる人がいるだろうか。
橘さんいわく、「12人参加だから思いついた」そうだが、まったく意味が分からない。
とにかく、『将棋宇宙』企画の大会が決まり、俺は川崎さん、皆川さんと一緒に「関東若手チーム」として出場することになった。
「いやあ、それにしてもすごいなあ」
目の前でうなっているのは若竹四段。関西若手チームの一人で
【小説】七割未満 14
ジャガジャーン、というギターの音。アンコール三曲目、今度こそ最後の音だろう。
拍手の中、手を振りながら帰っていく三人。汗だくだった。
「ねえ、どうだった? どうだった?」
隣で沖原さんが目をキラキラさせている。それも当然、ライヴに誘ってきたのは沖原さんなのだ。
「良かったよ」
「でしょー」
今日の沖原さんは変な英語の描かれた白いシャツに襟が豹柄の白いカーディガン、赤いチェック
【小説】七割未満 13
「おおっ」
ファミリアが声を上げた。俺も上げたかった。
目の前のつっこちゃんだけが表情を変えていない。読みぬけがないか、しっかりと確認しているようだった。その点に関しては俺が保証する。もう、逆転はない。
自玉に詰みがないので、勝ちのつもりだった。しかし、角を二枚捨てる筋で詰めろ逃れの詰めろがかかってしまった。まったく予想していない手順で、逃れようがなくなっていた。
「負けました」
【小説】七割未満 12
最初、知らない人かと思った。よく見るとどこかで見たことがあるのだが、どこで見たのかがわからなかった。
「あ、今日はかぶらせてもらうので、よろしくお願いします」
爽やかな声でそう言われて、ようやく分かった。対戦相手の黍原さんだった。端正な顔つきに長く伸ばされたちりちりの髪。非常に格好いいのだが、髪の方は借り物である。イベントなどではよくふざけてかぶっているのは知っていたが、まさかテレビ対局で