【宮戸川】 を 聴・き・逃・し・て・るっ!!!
「聴きたい演目を頻繁に聴くことができるのーー♪✨きゃっきゃ!」
みたいな、頭ん中お花畑なnoteを〝引き寄せの法則〟なんていう〝あざとワード〟を使って書いてみたんだけど・・・
その逆の現象が起き始めている!【宮戸川】をちょいちょい聴き逃している!!!
一大事である。国家転覆の一大事である。←
先日の『六連会』で、柳亭信楽氏が【宮戸川】を掛けられたそうだ!
というのを後から知る悲劇。涙
しかも・・・
↑このnoteで「次は【宮戸川】を聴きたい!」と叫んだ、その日の夜に掛けられてるというねっ。
なんというニアミスっぷり!くぅっ。
そして、昨年三遊亭司氏が【宮戸川】を演られていたのも後から知って、うあーーーっ!って夜空に叫んだよね、ワタシ。うん。
この【宮戸川・後編】っていうのは、高座に掛ける人も少なくて、わたしもまだ拝聴したことなくて、めちゃくちゃレアな演目なのだ。くそぉっ。
さらに、極め付きは志ん輔師匠の動画。
昨日、志ん輔師匠の記事を書きまとめていて、始さんとの師弟共演動画を拝見していたら、、、
始さん、ちょっと前に【宮戸川】演ってらっしゃったご様子ではないか!
ぬぅおーーーっ!!!
始さんの【宮戸川】なんて聴きたいし、観たいに決まってるぢゃんっ////
ふたたび夜空に叫ぶよね、コレ。
なぜ、わたしが【宮戸川】にこんなにも御執心なのか。
それは、、、
“超絶かわいい演目”だから♪
若い男女のアオハル全開な甘酸っぱさを描いた演目なのである。
特筆すべきは、この演目が“新作落語”ではなく“古典落語”だということだ。
今、似たような“新作落語”をつくろうとすれば、たくさんつくることができるだろう。
しかし、江戸時代(ギリ明治時代)の“甘酸っぱさ”が令和の今にも語り継がれていて、その“甘酸っぱさ”が今の時代にも通用するということに大きな価値があると思うのだ。
風俗や文化というものは、記録として残されることが多い。
しかし、『アンネの日記』のように“価値観”や“感情”が後世に伝えられることは少ないような気がする。
たしかに【宮戸川】は作り話だが、その当時の若者の“みずみずしいときめき”をきちんと伝えている。
・・・って、もっともらしい言い方をしてみたけど、ただただかわいくて、胸キュンできるから好きなだけ♪ ←
聴き逃していると思うと、ものすごく聴きたくなるのが人間の心理というもので・・・
わたしがCAさんだったら、迷わずこう叫ぶ。
「誰かーーーっ!このなかに、【宮戸川】を掛けられる落語家さんはいらっしゃいませんか!?」
と。