落語の魅力を15個あげてみた。
「可愛いさを求めてるだけなら
私じゃなくてもいいんじゃない?」
2021年10月発売の日向坂46の新曲『ってか』のサビの歌詞。
その昔、『可愛いだけじゃダメかしら?』という強気なタイトルのかわいいドラマがあったんだけどな。
原作漫画のタイトルは、なんと『いけいけ!バカオンナ』笑
ハイ。バカでも可愛いければ、女の子はそれでいいような気がしてます。←
バブルの女の子たちはアイキャッチ効果だけでジュリ扇を振っていたというのに、令和の女の子たちはきちんと“中身”までみて欲しいんですね。
もうっ、複雑で欲張りな乙女心♪
ってか(!)この曲、秋元康氏が作詞してるんですけどね!←
「落語でなくてもいいのでは?」
と、吟遊先生に訊ねられたことがある。
「ただ笑いたくて、“人間臭さ”を堪能したいだけならば、それは落語にこだわらずにコントや漫才でも良いのでは?」という意図なのだと思われる。
そもそも彼は、「落語を演るにあたって、なぜ着物を着なくてはならないのだろうか。私服でも良くね?」という価値観を持っていたと記憶してる。
確かに着物を脱いで、新作落語を演れば、“お笑い”との境目がぼやけてしまうような気がする。コントや漫才と一括りにされてしまいそうな気がする。
もちろん、コントや漫才のような“お笑い”も好きだ。
『ルミネtheよしもと』や『よしもと∞』などのお笑いライブに足を運ぶこともある。
当たり前に寄席芸人も好きだ。
東京ボーイズ、宮田陽・昇、コント青年団、ロケット団など、メディアへの露出が高い“アイドル芸人”よりも、いぶし銀のお笑い技術はレベルが高いと思う。
でもやっぱり、、、わたしのなかで落語は“特別”だ。
さて、せっかくの良い機会なので、ここで初めて“なぜ自分がこんなに落語に夢中なのか”を掘り下げてみることにする。
が。
そのまえに、『わたしが感じる落語の魅力』を以下に列挙してみたいと思う。
噺家さんが丸腰で挑んでいるから。
前座修行を経た人たちの芸であるから。
古典芸能でありながら自由度が高いから。
“笑わせる芸術”でかつ歴史が古いから。
大好きな江戸時代に栄えた文化だから。
着物や寄席に触れることで非日常の空間を堪能できるから。
噺家さんの声の響きが神がかっているから。
雑学や教養、歴史や言葉を学ぶことができるから。
想像力を鍛えられる脳トレに繋がるから。
笑うことでNK細胞が活性化して元気になるから。
落語の古典演目が単純におもしろいから。
噺家さんのマクラにも演目にも人間味が凝縮されているから。
生きるヒント・ビジネスに役立つメソッドが満載だから。
365日必ずどこかしらで高座を聴くことができるから。
演者と客がいてはじめて成立する特異性のある芸術だから。
ここまでで15個があがりました。
しかし、これは“わたし個人”が思う魅力でしかありません。
落語ファンの数だけ、演目の数だけ、噺家さんの数だけその魅力があると思います。
さらに、わたし自身が潜在意識下で思っている落語の魅力も掘ってゆけばもっと出てくるのかもしれません。
これで、、、
「おもしろさを求めてるだけなら
落語じゃなくてもいいんじゃない?」
なんて、吟遊先生に不意打ちに歌われなくて済みそうだ。
そろそろフィナーレ!第3回心灯杯!
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