どっちが好き?上方落語と江戸落語。
『日本史でどの時代が好き?』と訊ねられたら、奈良時代と江戸時代。
あ。明治時代もちょいと捨て難い。
江戸から明治への過渡期がたまらなくワクワクするのだ。
『文明開化』と呼ばれるあのあたりの時代。
ざんぎりアタマを叩いちゃう時代。
開国とともに青い目の西洋文化が徐々に流れ込んできた時代。
夢と希望と固執と恐れと、複雑な胸中に日本中がそわそわしていた時代なんだろうなと思う。
コーヒーにミルクを注ぐ。
バスタブに入浴剤を溶かす。
水を入れたバケツで筆先の絵の具を洗う。
その瞬間に浮かぶグラデーションって、毎度幻想的で魅惑的だなぁと思う。
ミルクに血を混ぜる。
これはちょっと違うけども、ある意味合っているような気もする。
そんな勢いで日本にいろいろなモノがやってきて、新と旧が、和と洋が、まるで太極図の陰陽のようにまぐわる時代を経て、新しい文化を産み出して今に至る。
興味深いのは、そこから脈々と繋がっている“今”もまた急激な変化にさらされているということ。
“時代が変わる”という点において言えば、文明開化期もパンデミックの現代も似ている。
黒船にせよ、流行病にせよ、外からやってきた勢力が見えない扉をこじ開けて、日本と世界をつなげたわけだ。
『文明開化』よりもちょっと前の時代。
古き良き日本が濃縮されて、これ以上濃縮できないと言わんばかりにその文化が極まったころ。
その頃、江戸では落語が大流行していたそう。
歌川広重や葛飾北斎の浮世絵がもてはやされていたのと同じ頃。
江戸落語は『座敷噺』から始まったと言われている。
化政文化や老中水野忠邦の天保の改革前後には、江戸には寄席が100軒も200軒もあったとか。
かたや、関西の上方落語は江戸での盛り上がりよりも、少しはやく賑わい始めている。
さすが商いの町として、大阪・京都が栄えていたことがよくわかる。
当時は上方で流行っていたものが、少し遅れて江戸に入ってきていたんだろうな。
芸術においても、元禄文化と化政文化は約100年のタイムラグがある。
そんな上方での落語は、青空のもとで、『大道芸』として始まっている。
室内でお座敷芸として展開していった江戸落語。
道端で大道芸として広まっていった上方落語。
個人的には、両者は似て非なるものだと思っている。
『落語・講談・浪曲』というジャンル分けでも良いけども、『上方落語・江戸落語・講談・浪曲』と分けた方がより的確かもしれないと思っていたりもする。
それくらい、それぞれが独立した芸術種別として扱われて相応しいのではないかしらと思う。
高座に掛けられる演目が異なる。
→ 中には似ているものや同じものもある。上方から江戸に流れてきた噺もある。
階級制度も異なる。
→ 上方にはお茶子さんという方がいるし、真打制度がない。色々と違う。
上方落語は見台を使うことがある。
→ 講釈師の釈台に似た台を使って音を出す。さすが大道芸の名残。
上方落語は関西弁。
→ 言わずもがな上方落語は関西弁。関西弁や江戸弁をフルに活用すると雰囲気が出るから、3割増しで上手く聞こえるとか。 ← ※個人の感想です。
他にも違うことありそうだけど、ざっと思いつくのはこのくらい。
それでも、こんなにも違うものなのだ。
落語ファンの方々、他に何か相違点ありますかね?
あれば是非に教えてくださいませ。
さて、そんな似て非なる上方落語と江戸落語。
どちらが好きかと訊ねられれば「どちらも好き!」と答えるけれど、耳馴染みがあって、自身の生活文化圏で多く見られる江戸落語の方がちょっぴり優勢かもしれないな。
しかしながら都内においては、上方落語は拝聴の機会も必然的に少なくなるので、たまに聴くことができると、新しい言語&文化に触れたときのような感動があり、ちょっと得した気分になります♪
皆さんは、上方落語と江戸落語、どちらが好きですか?
また、両者をどのように捉えていますか?
よければ教えてくださいね☆
そろそろフィナーレ!第3回心灯杯!
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