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ムーンショット目標と落語文化




『ムーンプリズムパワーメイクアップ!』

よりも

『ピンプルパンプルパムポップン!』

に馴染み深い世代のさや香です。

(なぜか、1学年下の友人たちはみんな“セーラームーン世代”だと言い張って聞かない・・・サバ読むなYO!)





ところで、セーラームーンやクリィミーマミの世界線に及ばずとも、2050年には“ウソみたいな現実” が実現する可能性があることをご存知だろうか。


2020年より『ムーンプリズムパワーショット目標!』ならぬ、『ムーンショット目標』というものが掲げられている。(←あれ。なんか面白くなかったね。てへ。)


特に興味深いのは、この『ムーンショット目標』の発信元が“内閣府”であるというところ。


ドリカムもびっくりなくらいの “未来予想図“をごく自然にさも当たり前のように、御国のエラい機関が堂々と公言しているのだ。


スピルバーグの映画なのか、鉄腕アトムの漫画なのか、星新一のショートショートなのか・・・そう錯覚してしまうような科学技術全開のSFファンタジーな未来をつくっていこうね!っていうか、つくるからね!と言わんばかりの主張を全面的に押し出している。

都市伝説でもなく、陰謀論でもなく、国がまっとうに公表しているのだ。

しかし、国が掲げるものにしては名前がファンシー過ぎて、リアリティが薄まる要因であるような気がしている。なんかもう、この目標計画のネーミング自体がすでに中二・・・← やめとけ。

ちなみに、この『ムーンショット』という言葉は、ジョン・F・ケネディ氏の米国アポロ計画に由来しているとのこと。



さて、そんな『ムーンショット目標』は大きく9項目に分けられている。

目標1.2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現

目標2.2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現

目標3.2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現

目標4.2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現

目標5.2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出

目標6.2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現

目標7.2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現

目標8.2050年までに、激甚化しつつある台風や豪雨を制御し極端風水害の脅威から解放された安全安心な社会を実現

目標9.2050年までに、こころの安らぎや活力を増大することで、精神的に豊かで躍動的な社会を実現



人間は“数字”に説得力を覚える生き物なので、“2050年”など具体的な数が明示されていれば、その後に続く説明内容も具体性を含んだものとして感じるようにできている。

そんな効果のせいなのか、それなりにイイ感じに丸め込まれているような気がして否めない。笑

おつむの弱いさや香には、抽象概念が多すぎてピンとこない。

既視感のある過去には感情移入しやすいが、未知の未来には一過性の好奇心がそそられるのみにとどまることが多い。

そもそも人は変化を嫌う心理が働くから「世の中変わりますよー!」と言われて、素直に「あいよー!合点承知の助!」とは言い難いものなのだ。

だからこその、ユビキタスネットワーク社会の構築によりテクノロジー文化に徐々に慣れさせておいてからの、ムーンショット目標なんでしょうね。




わたし自身のことを言えば、未知のものにはワクワクするから頭から突っ込んで楽しみたいタイプだし、波乗りジョニー並に、豆腐屋ジョニー並に、変化の波にも柔軟に乗ってゆきたい傾向にある。

しかしながら、このムーンショット目標による懸念点がある。

テクノロジー社会が極められて、より一層個々人の生活が便利になる予感がする一方で、効率化ばかりに視点が向き、無駄が全て削ぎ落とされてしまうのではないかということ。

この世に“必要悪”があるならば、“必要無駄”もあるのではないだろうか。

効率化ばかりを大切にすることで、そこに本当の豊さを得られるのだろうか。


【ムーンショット目標9】
2030年までに、こころと深く結びつく要素(文化・伝統・芸術等を含む。)の抽出や測定、こころの変化の機序解明等を通して、こころの安らぎや活力を増大する要素技術を創出する。



ここに“落語文化の未来”に関わるヒントがあるように思う。


“抽出・測定・解明”など、お堅い行政機関下の学者や専門家たちがいかにも好みそうな言葉だなぁと感じる。


いずれは、落語もシステマチックで数値化した評価価値で測られるようになるのかもしれない。

そして、その数値評価により、“こころの安らぎや活力を増大する要素”のみを“新たな落語”として創出されるようになるのかもしれない。

でも落語ってそんな単純に画一的に評価できちゃう文化なんだっけ?

ひとつの型にあてはめたり、ひとつの基準で測ったりできるような、そんな薄っぺらい世界ではないはずだ。

厚みがあって複雑極まりない世界を、ムーンショット型研究開発制度においては、どのように測定してゆくのだろう。そして、どのようにして“有益な新落語の創出”を実現させるつもりなのだろう。

国をあげての人為的な時代変化が、今後の落語文化にどのような影響を与えていくのか、その経緯を見守ってゆくというささやかな楽しみが増えてしまった今日この頃。


さて、ここまで読んでくださったそこのアナタは、『ムーンショット目標』についていかがお考えでしょうか。ぜひ、ありのままの思いの丈を教えてくださいませ。


そして、このnoteをウン十年先の未来の人々が読んだときにどう思うのかなぁ・・・とかも気になっているところ♪





※本記事は2021年10月27日付の内閣府HPの内容を元に書きまとめています。一個人の見解で述べております。『ムーンショット目標』並びに『ムーンショット型研究開発制度』についての詳細は内閣府HPを参照してください。











そろそろフィナーレか!?第3回心灯杯!












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