コーヒー業界はヘンタイの集まり
先日、旅行中に「自分キモッ!!」ってことがあった。
それは食通の友人とディナーを楽しんでいた時のこと。
僕も実は「食通です」と言い張りたくはないが、食を味わうという行為が趣味である。
それは この味がこうだ、このハーブと素材の味がこうやって絡み合うから口の中がこんな感じの物語なんです。
なんていう話をしたい。
そんな変な友人とのディナーはだいたいご飯を食べながらご飯の話しかしない。
ひたすら味について話し合う。
それが楽しいのだ。
それを俯瞰してみたら、とてもキモいなって思った。
ほんとは常に全ご飯たちと向き合いたい。
味わいながらいろいろな想像を膨らませたいという願望は常に持ち合わせている。
でもそんなことは基本的には理解されないので、理解してもらおうともしないし、そもそもそれについて言わない。
だから、食好きと過ごす時間と孤食はめちゃめちゃ楽しい。
そしてコーヒー好きというやつらは、それに似たようなことをしている。
コーヒーっていう黒い液体の中でそれをやっているのだ。
毎日その液体と向き合ってあーだこーだ言っている。
つまり基本的にはヘンタイの集まりってことになる。
だからこそ理解してもらえないって潜在的に思っている人が多いのではないかと思っている。
ゆえにシャイな人が多い気もしてる。
本当はこのコーヒーの美味しさについて語りたいことが山ほどある。
けど、理解されないのを知っている。
だから、シャイになってソコソコのサービスになってしまうのではないのだろうか。
このコーヒーの世界はわかる人にだけ、わかればいいって自分たちの世界に閉じこもろうとするコーヒーマンもいる。
そういうやつらを僕はキモオタと呼んでいる。(声を密かにした)
ここで皆んなに知って欲しいのは、そんなヘンタイなコーヒー好きのやつらも少しは頑張ってコミュニケーション取ろうとしてる。
だから逆に利用してやって欲しい。
コーヒーについてわからないこと、メニュー選びに悩んだら聞いてあげるとそのヘンタイは喜ぶ。
実に気持ち悪いだろ?
そんなヘンタイの集まりがコーヒー界である。
だからこそヘンタイであることに胸を張ってカウンターに立っていたい。
「普通のコーヒー再定義革命」は全人類ヘンタイ化計画とも言える。
こだわらなくても美味しいものが飲める世の中を作って、逆に「美味しくないと満足できない」こだわりを作る。
今日はそんなヘンタイどもの生態を少し見せたいなって思った。
でも、キモいからって離れないでね。お願い。
Kota Noguchi
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