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産後うつから3年。今だから話せる辛かった話。

産後うつから3年。
辛かった正社員ワーママの時の話をします。

2人目出産後10ヶ月。
フルタイムで復職。

久しぶりの職場では「待ってたよ」と歓迎してくれた。
余裕のある育休時間とは違うハードな環境に不安だったけどやっと見つけたホワイト企業。
新築で購入したタワマンのローンもあるし、都心では正社員で働くことが当たり前。友達もみんなワーママを頑張ってる。
「私も頑張らなきゃ」そう自分に言い聞かせて毎日の仕事と育児をこなした。

完全母乳で育った息子は保育園でミルクを拒否。
お茶と少しの離乳食でお迎えの17:30まで過ごせるのか?不安だった。

そんな私の心配をよそに息子は体調も崩さず保育園生活に順応した。

しかし心配していた息子ではなく私が2週間に1回38度を超える発熱をした。
原因は乳腺炎。乳腺炎にならないために食事の量を減らした。
その度に仕事を休んだ。

復職して2ヶ月。今度は長男が発熱。また私も発熱。
復職してからの4ヶ月はまともに出勤できた月がなかった。

職場は理解がありいつも休ませてくれたが、少人数で回している職場に散々迷惑をかけていることに私の精神的ストレスは増えていった。

「明日また発熱したらどうしよう。」「明日は絶対に休めない日だ」
そう思うと夜も寝れなかった。

そもそも息子は復職後も3回は夜泣きをし私の睡眠は細切れ。
今寝ると寝坊するかもと思うと4時ごろから起きていることもザラだった。

そんな中、旦那はいつも横でいびきをかいて寝ていた。
1人目の時は夜泣きに対応してくれることも多かったが、2人目は添い乳が当たり前になったせいか起きることは一度もなかった。

夜中までハードに働く旦那に定時で帰宅する私が夜泣きの対応を頼ることはできなかった。

夜泣き以外の育児もほぼワンオペ。
復職し夜も寝られず体力的にかなりきつい日が続いたころ
「限界だから少し育児に協力してほしい」とお願いした。
旦那は「もちろんやるよ!」と口ではいうものの一つ一つ指示しないと気がつけないADHD。
いちいち指示をする方が大変になり全てを自分で抱え込んだ。

そんな時、事件は起きた。
コロナ真っ最中の緊急事態宣言中。世の中ではテレワークが当たり前となり、お店での飲酒も制限された。
そんな中、旦那は接待を繰り返し真夜中に酔って帰宅する日が続いた。

緊急事態宣言で飲酒を制限されている中、ワンオペで少しでも早く帰宅してほしい家族がいるのに、そこまでして接待に行く必要があるのか。
それが会社の命令ならそんな会社辞めた方がいいと思った。

私は友達と会うこともできない。
乳腺炎で発熱を繰り返し体重は10kg減り食欲もない。
夜泣きで起こされ、睡眠もほとんど取れない。
子どもが発熱したときは私が仕事を休み精神的ダメージを負う。

夫も親なのにあまりにも不平等だと思った。世の中に逆らって接待に行くくらいなら早く帰ってきてほしいと心底思った。

毎日酔って帰ってくる旦那に私は言った「こんな時に接待しなきゃならないの?普通の会社は接待禁止だよね?そもそも8時以降営業してお酒提供するお店あるの?会社の経費は出るの?」
旦那「みんなやってるよ!取引先が行くと言ったら断れないだろ!」
そう怒鳴られた。そしてその日もいびきをかいて寝ていた。

そんな日が続きストレスは重なり、起きられない日が増えた。
気力を振り絞りなんとか仕事は行った。

その時いつもいつも考えていたことは「逃げたい」だった。

仕事からも育児からも旦那からも逃げたかった。
そんな私を支えていた唯一の支えは子どもだった。
この子たちのために頑張らなきゃ…

すでに限界を超えていると感じた私は2週間前に上司に退職の相談をした。

とても理解のある職場であり、体調が落ち着くまで休職や時短、テレワークなど様々な案を出して私を引き留めてくれたが、とにかくこの場から逃げたい一心だった私は全てを断り退職すると伝えた。

すると、今まで優しかった上司の態度が一変し私を攻撃するようになった。

「退職するからには後任を自分で探せ」と言われたからエージェントとやり取りをしていたら
「そんなに早く辞められたら困る」と求人を出すことを止められた。

しまいには「今年度の採用にかかる予算取りをしていない。」と遠回しに今年度は辞めてはいけないと言われた。

退職を相談したのが9月。来年度の4月まで辞められないとなるとあと半年もある。
半年も頑張れる気がしない…私の精神は限界を超えていたが、辞める立場でわがままは言えない。
残された職場の大変さもわかる。
全て私が悪いのだからと限界を超えながらも仕事を続けた。

その日も上司による私への攻撃は続いた。
「結局いつ辞めるの?」「辞められる方のこっちのことも考えてよね」そんな嫌味を言われ続けた。

すると…
急にオフィスの扉を勢いよく開き支店長(女性)が入ってきて行った。
「⚪︎⚪︎さん、体調悪いんだって?大丈夫?体調悪い時は遠慮なく早く帰っていいんだからね!私も昔自律神経崩したことがあって。完治するのに2年はかかったから。悪化したら本当に厄介なの知ってるの。仕事なんてなんとでもなるんだから休める時は休んで早く帰って。」

そう言われた瞬間、私の中の何かが音を立ててプツっと切れた。

涙が止まらず…震えが止まらず…
この状況に流石の嫌味を言っていた上司も私を早退させた。

それから丸2日間仕事は休んだ。ほぼ泣き続けた。勝手に涙が出てきた。

最後の力を振り絞って心療内科へ行った。
待合室でもずっと泣いていた。
診察室で医者に今までの経緯を話した。

そこで診断された病名は
「自律神経失調症」

医者は言った。「とにかく今は休息が必要です。診断書を出すので仕事は1ヶ月休んでください。出勤が難しければ電話でも構いません。とにかく休んでください。ドクターストップです。」

次の日、私は診断書を持って職場へ向かった。
その時もずっと泣いていた。

自律神経失調症と診断されたこと、家庭と仕事の両立が難しいこと、少しばかり上司から言われた嫌味も支店長へ伝えた。

支店長は言った。「今は頑張ってはいけない時よ。戻ってきてほしいけど身体と家庭を優先して。まずは休んでその後どうするかはまた考えましょう。仕事のことは気にしないで。」

優しい言葉に私はさらに泣き続け、そのまま帰宅した。

それから数日。ひたすら家でぼーっとしていた。1時間に1回は泣いていたと思う。
その時の育児や家事をどうこなしていたか…記憶がない。
多分ご飯は作っていたと思う。

そして1ヶ月後、そのまま退職を決めた。職場への挨拶は医者からストップをかけられたため行かなかった。
すると数日後に荷物一式と上司からの手紙が届いた。
内容は「今まで一緒に仕事ができて楽しかったです。どうか身体を大事に。」と書いてあった。

ストレスの一つであった仕事がなくなり、涙は出なくなった。
ただ、もう一つのストレスである旦那は相変わらずだった。
ハードな仕事は続けている。飲み会も多い。むしろ私が仕事を辞めて症状が回復すると思ったのか接待は増えた。

この頃、私は旦那に対して「強い怒り」を感じるようになった。
どうして私は仕事を辞めなくてはならなかったのにこの人は自由に仕事をしているんだろう。
もう少し旦那が仕事をセーブして育児に協力してくれたらこんなことにはならなかった。
なぜ私ばかりが犠牲になるのだろう…と常に思っていた。

旦那の帰りが遅くなるたび、酔って帰るたびに怒りをぶつけた。

そんな私に旦那は「仕事なんだから仕方ないだろ」と反論した。

それまでダブルインカム正社員で働いてきたおかげでそれなりに貯蓄はあった。
おかげで都心にタワーマンションを購入し不自由はない暮らしだった。
それが私が仕事を辞めたせいで収入は減った。
後々聞くと旦那は「私の収入が減った分自分がもっと頑張らなくてはならない」と思っていたらしい。

仕事を辞めて1年は傷病手当がもらえた。
その後半年は失業手当がもらえた。
2ヶ月で30万くらいコンスタントに収入があったのでしばらくお金のことは考えずに済んだことが救いだった。

仕事を辞めて半年後、コロナも落ち着きだし、久しぶりに友達と会えた。
辛かったことを話すとスッキリした。

ただ、旦那の「今日も接待で遅くなる」のLINEが来るたびに怒りが湧いた。
なぜ私がこんな状態の時まで育児を押し付けるのか。
早く帰宅してくれないのか。
もっと旦那と協力して育児がしたかった。
収入は少なくても早く帰宅してくれる旦那さんと協力して育児をする友達が羨ましかった。

そこで私は旦那に転職を勧めた。
旦那は新卒から1社でずっと働いている。
この転職時代になぜこんなブラック企業にこだわる必要があるのか。
旦那のキャリアならもっと楽に収入を増やせる職場があるはず。と思った。

私の怒りは旦那の会社へ向かった。
旦那は重い腰をあげビズリーチなどの転職エージェントへ登録して話を聞いたらしいが、年収が下がる求人ばかりなのと今までの会社への恩があるからと結局転職はしなかった。

旦那の接待が続いたある日。
私はまた涙が止まらなくなった。
旦那が接待から帰宅した23時。
「ごめん。もう無理。」と言って子どもたちを任せ家を飛び出した。
携帯電話しか持っていなかった。
旦那からは何度もLINEや電話がきたが、とりあえず今は帰れないと伝え、1人カプセルホテルに泊まった。

次の日には海が見たくなり湘南の海へ行った。
ひたすら歩いた。ひたすら泣いた。

そして少し落ち着きを取りもどし帰宅した。

そんな私を見かねて旦那は「仕事をセーブする。」と初めて言ってくれた。
その後は週に2回、20時には帰宅した。
ただ、それ以外の日はいつも通り夜中まで仕事をしていた。
私が求めていたこととは違った。
私は協力して育児がしたいから早く帰宅して欲しかったのだが、ADHDの旦那にそこまで考えた上での仕事をセーブするという指示を出すことは難しい。
ただ、旦那が頑張っていることはわかった。
これ以上は求められないことはわかっている。でも心は悲しかった。

そしてさらに事件は起きる。
年長に上がった長男に発達障害の診断がおりた。
元々育てにくいとは思っていたが旦那や友達に相談しても
「男の子なんだからこんなもんだよ」
と言われ私も考えすぎかな。とズルズルしてきたが、保育園での数々の失敗談を告げられた。

・給食のパーテーションを割ってしまう
・話を聞かなくてはならない場面で大声を出してしまう
・発表会の練習中に先生の水筒のお茶を撒き散らす
・お昼寝中のお友達の上を走り回り、怖がらせてしまう
など…

発達障害であるのでは?と薄々感じていたが実際に面と向かって先生に言わるとキツかった。
先生の前で大泣きし、ひたすら「すみません」と誤った。

何度言ってもできない。
発達が遅れている息子に対し、私は常に叱っていた。
「何回も同じことを言わせないで!」
「もう⚪︎歳なんだから!」
「お兄ちゃんなんだから!」
全ては障害のせいだったのに…私は自分を責めた。
そして、息子を可愛いと思えない自分が心底嫌だった。

仕事を辞めても症状がなかなか改善しない私は休職から1年後、抗うつ剤を飲み始めた。
夜も寝られないので睡眠導入剤も飲んだ。

すると、今までグルグルと余計なことばかり考えていた頭の中がスッキリした。
というか考えられなくなった。
「今日の飯は何食べようかな」
「仕事なんてしなくてもいいや」
「お金なんてどうにかなる」
「掃除サボったくらいで誰も怒らない」
そんな風にラクする考え方ができるようになった。

2年間服薬し、その間に週3回の短時間パートも始めた。

いろんなことが上手くいくようになった。
まだ正社員に戻れる気はしないけど、少し働きたくもなった。
発達障害の息子に大声を出すことも減った。
旦那に怒りをぶつける事も無くなった。
とにかくイライラ、モヤモヤ、不安が無くなった。

2年間安定していた私は急に
「薬を辞めたい」と思った。
医者に相談したら「今が辞めどきです」と後押しされ
抗うつ剤を断薬することに成功した。
まだ、漢方とお守りの睡眠導入剤は手放せないがこの一歩は大きい。

そもそも完璧主義の性格なので、息子の障害や家事の手抜きができず旦那と衝突することもあるが、鬱や自律神経の症状は落ち着いている。

私が立ち直れた要因は
①すぐに仕事を辞めた
②薬に頼った
③お金の心配が少なかった

からだと思う。
このどれか一つでもかけていたらきっと今この世に私はいないだろう。

そして私を苦しめた原因の一つであるある旦那には、結局感謝している。
旦那と結婚したせいで鬱になったかもしれないが、どんな時も私を否定しなかったし認めてくれた。お金の心配がないよう投資や仕事をしてくれた。

旦那は敵ではなく味方。
これからも色んな壁があるだろう。
その度に一緒に乗り越えていきたい相手だ。


最後に
これを読んでくださったあなたは今、育児と仕事にとても辛い時だと思う。
正直、私も今でも思い出すと心がキュッと締め付けられるし、書いていて久しぶりに思い出し涙も止まらなかった。
けど、絶対に辛い時期から抜け出せる時が来る。
抜け出す方法は様々だけど、まずは1人で抱え込まないでほしい。
誰でもいいから辛い思いを吐き出してほしい。
心療内科の先生でも友達でも両親でも。
こんな私でよければDMでもコメントでもください。
同じように悩んでる方がいると思うと苦しいです。助けたいです。
どうか今辛くて苦しんでいるママが少しでも楽に、早く抜け出せますように…

らく

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