やさしくある諦め 日記20220518
こうして散文的に書ける場があると、自分がその時々に思ったことを書き置いておけていいですね。
テイカーとギバーについて。
なんだか、やさしさについて考えることが多くて、前にネットの記事か何かで読んだ「テイカー」「ギバー」という言葉について思い出したのでメモです。
何の用語なのかしっかり調べたことがなかったけど、テイカーは搾取者、ギバーは被搾取者というイメージや文脈で語られることが多い気がする。
ギバーは決して、ただ搾取されるというニュアンスではなく、「他人のために自身のリソースを分け与えられる人」というニュアンスもあるので、社会性という点ではコミュニティからも重宝される人間だと思う。
テイカーも、悪いばかりではなく能動的に動作してそれが社会全体の利益になることはそれなりにあるようにも思う。
ここまでは印象での話だったので、改めて調べてみたところ、組織心理学であらわれた言葉のようです。
テイカー:自分本位で、自己の利益のために他人から搾取する人間
ギバー:他人本人で、自己を犠牲にしてでも他人に与える人間
マッチャー:その間で、もらった分だけ恩返しする人間
・正直自分はあからさまなマッチャーだと思っていたのだけれど、結構真っ直ぐに話してくれる人々と話す中でギバー寄りなのかもしれないなと思った。限定的ギバーとでもいうものかもしれない。
・恩や利益を与えられていなくても結構自己犠牲的に頑張ることが多い。ただ、その精神は贈与や美しさに基づいたものではなく、そうした方が精神的に好ましいという本能によるもの。
だから、優先するものを軸にどこに属していますか?と聞かれたらもしかしてテイカーであるとまで言えるんじゃないの?と思う。
・ただ、たまたま世の中の利害と私の快・不快が奇跡的に一致しているので、見た目には穏健なギバーに見えているのかな、という感覚もある。
・自己中心的ではあるので、同じタイプの人間に鼻が利き、結構他人を搾取するタイプから自然に距離を取っていたりする。感情含め。
・人間の感情って、搾取されるんで気をつけた方がいいです。色々な人間に出会ったけど、確かに存在します。感情テイカー。
分かりやすいのでいうと、「私が泣いてるんだから一緒に悲しんで」というやつです。世界の中心にお前がおるんかい!!!
・もちろん、人が亡くなったとか、そういう人間に対して祭りに誘う、みたいなのはちょっとデリカシーないなというか、そっちはそっちで感情テイカーではあるなとおもうんですけど、だからってじゃあ世の中の祭りに行くの全部やめてよ!っていうのも違うよねって思って。
あくまで自分の感情と他人の感情は別のもので、同じ感覚を共有しえないという何かしらの体験がないと、そうなりがちな気がする。
・その点で言うと、私は他人の感情に同乗(誤字じゃないです)もしないし、「相手が悲しいと思っている」という事象に対しての感情で「この人のこと好きなのに悲しんでいる、なんとかしてあげたい」と思うか「まあ割とどうでもええな」と思うかという軸が自分にしかないので、「優しいね」と言ってくれる人はたぶんその人が私に優しい人なのだとおもう。いずれにせよ他人に何か変われと思うことをかなり前に諦めているので、感情の起伏が薄れているともいえる。
・こういうことを書いているとだんだん整理されてきて、結局のところ私ってやっぱりマッチャ―に属するんじゃないの?と思いながら、後付けの枠に人間を分類していくのが難しいなと思いました。平凡~~!
・いいのよ、平凡で。少なくとも、喋りたいとか遊びたいとか言ってくれる友人がいるうちはそれなりに自分のコミュニケーションを省みながらきちんと付き合っていきたいなと思っている。気難しくて理屈っぽいところもありますが今後ともどうぞよしなに。
・全然関係ないけどジャンケツ降格したのでまたひと頑張りしてジャンケツ1に戻りました。銀の間ではコンスタントに勝てるようになってきた。親が豪運連荘してても2-3位には居残れがち。金の間はまだ安定しないし、特に半荘戦になると強い人は本当に振り込まないし強いですね。運でなんとかプラスにしている感じがして、もっとちゃんと勉強しようと思う。
・その反面、すこし勉強してみたらなんとか戦えるようになってきた。というか、分かったつもりで分かっていなかったおりる、ということに関してもう少しピーキーにしてみた感じです。降りるときは降りるし突っ張るときは突っ張るけど、残りのスジが少なくて無筋を切るときは大覚悟が必要。
・あとダマの場合もかなりあるよなっていう意識になれたので、とくにドラが出ていないときの7~8巡目辺りとかは結構警戒するようになりましたし、点数守るときは結構オリ寄りの選択を取るようになりました。
・初心者に麻雀を教えるときって、多分ルールとか役とかあって忘れがちだけど、戦術としてサッカーと同じで攻めと守りがあって、守りの方もちゃんと教えてあげたほうがいいのかもしれない、と思いました。自分が初心者だから。しばらくはやっぱり「面子をつくる!」っていうことに一生懸命になりすぎて、少し上手い人とやるときの放銃率が半端じゃない。全ツッパマン。そうすると麻雀が怖くなっちゃうかもしれないので、できれば「自分の手がそろっていないのに相手が攻めてきたときに守る」という選択肢もあるのだよ、ということをお伝えした方がいいかもなと思う。
・こういうことを書いていると、「教育とは選択肢を与えること」という言葉を思い出すな。誰の言葉なのかいつ覚えたのか全く思い出せないけど……。やり方とかは自分で調べて、でもいいんだけど、そもそもそういう選択があるよ、こういうときには実はこういうことをしてもいいんだよ、という余地を与えるのが教育なのだなと思う。
・真面目な話になっちゃうけど、学校の勉強がつまらないときに、どうしてつまらなくて、どうやったら面白くなるかをしっかり考えられると強いよな、と思う。社会において座学だけじゃなくて、すべての物事がそうであって、自分で面白くしないと大抵のことは組織のしがらみに飲まれて面白くなくなってしまう。面白くないものを面白くしたり、それをきちんとプレゼンできる能力というのがカリスマ性の正体なんじゃないかと最近少し思っています。
真面目な話ばっかりすな~~!!友達のためにディアラバを買いました。吸血鬼と恋愛してくれ。
おわり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?