祈り 日記20241029
・日々結局のところ忙しく過ごしている。最近は、意外と頼まれごとの割合が多く、自分がやりたいと思うことと別方向で新しい楽しみを見出すことも多いので嬉しい限り。
・東京駅から半蔵門線に乗ろうと思って看板通りに行った結果遠回りっぽい道を通ってしまうのもう何回やったんだろう。っていうかアレ正規ルートなのかな。日本橋口側に出たのも良くなかった。なら素直に東西線に乗ったり、そもそも丸の内側に出て移動すればよかったのに、ぐるっと東京駅を一周した気がする。
・家から出ない日には10歩とか示してるアプリの万歩計が今日はすでに7000歩超えた。帰宅したら10000歩になる。
・これが人が1日に歩いた方がいいと言われてる歩数って驚愕です。もう足がししゃもと化しているんだが……。
・物理的な歩みの話はさておき、精神的な前進について。いつも、自分の歩みを止めないことを最優先に生きている。時々回り道したり戻ってみたりはするけれど、いつもどちらかには進んでいる。
・これは決して、自慢や自尊の類ではなく、そうしなくてはいられないという半ば強迫的な気持ちによるものなので、同じ道を歩むことは非推奨なのだけれど、そうはいっても歩くことが辛い日もある。
・趣味は楽しくあるものではあるけれど、成長に楽しみを見出す限り壁にぶつかり登ったり、遠回りしたりする苦しみからは逃れられない(ちなみに登攀を苦に思わない人間もいることは観測済みだが、比較的稀有な例だと思われる)。
・そう言う時、私は壁の先が見えなくても無限に遠回りをすることを好む人間であり、そしてまた、単独の道を行くことを恐れずにはいられる(逆に言えばブレーキの無い)人間であるように思う。
・時に間違った道を進み、通られたことのない草の根を踏み分けると、時折前を通ったであろう誰かの足跡を見つけたり、踏み締められた道に歩みやすさを感じ、また王道に合流したりする。
・私が歩むこの一歩が、誰かの歩む道になればいいなと思う。見えない未来の、貴方の歩む道が少しでも平坦になるように、半ば祈りのように粛々と歩を進める。迷った人や、曲げられなかった人が、私の踏み締めた道を怪我なく歩めるように。
・道が未来にも過去にも繋がっている、それを今日はつくづくと感じ、過去の足跡に思いを馳せ、未来の誰かのために祈る日だった。
・と、いうようなことを7000歩歩く間に感じ、いつかの自分がまた読み返して指標にするように日記に残しておこうと思って醸造された文章が、上記になります。
・その後仕事場で、旧友に会い急遽晩御飯を食べに行きました。自分の話をしすぎてしまったかもしれないというありがちな反省をまたしてしまった。それはそれとして、友人の近況を知られたことと、相変わらず優しく強い人だったことがうれしく、なんとなく心がしゃっきりした。
・そんで夜は知り合いのTRPGを観戦した。いつも雑談をしている人たちが全然別の人間と話しているのをただ聞いているのはすごく新鮮だ。自分に対するものとは少し違うコミュニケーションだけれど、それがみんな平坦で変わりが無いのがすごい。人間ってもっと揺れるものだと思っているのだけれど、友人たちはみなあまりブレが無く、柱が太いんだかそもそも無いんだか。
・総じて面白かったり、優しい人が多いのでどうにも自分ばかり益を受けているようで頂けないのだけれど、まあ付き合ってくれるからにはそれなりにこちらからも何かを提供できていればいいなと思う。
・今日の思想、おわり! では、また。
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