コミュ鏡 日記20241006

・noteは、記事を書こうとするともともと置いてあるテキスト(プレースホルダー?)が時間帯によって変わるのがすごいと思った。条件で分岐しているのだと思うのだけれど、「テキストを記入」で済むところに「こんばんは、お疲れさまです」的な文言が、しかも同じような時間帯でもある程度ランダムに表示される。
正直いらない労力だと思うのだけれど、この機能を入れようとなるチームの和気藹々さというか、丸さ・あたたかさのようなものが伝わってきて、製品への愛着を持たせてくれている。

・同じような例で、Discordのアップデート報告もいつもユーモラスだ。それが許される企業風土だということが、外から見たときに企業への好感度を高め、ミスやバグに対する許容値を広げている気がする。

・というか、製品の向こうに「人」がいるということを思い出させるのがいいのかもしれない。よく営業をする時も、目標を「顧客体験」におくと良い(自社製品でできないこと点について他社製品を紹介したりしながら、相談できるポジションに入っていく)と言われる。実体験としても、メールや文章ではお堅くミスを指摘し厳しく追求する人でも実際に打ち合わせをすると腰が低くこちらの状況を飲んでくれたり、妥協点のすり合わせくらいはできたりすることが多い。

・逆に、自分もある体験として、製品の向こうの人が杓子定規に機械的に答えれば答えるほど、相手に対して攻撃性が募る。良い例が携帯電話の解約で、電話を受けている人は悪くないのだけれど、20分も30分も待たされた上、紋切り型の引き留め文句とアンケートをされると、「いや、通話代かかってるんです、やめます」と冷たく回答したくなってしまう。

・以前、クレームだぞ!これは!!と思いながら電話して、(届くべき書類が自宅に届いてなくて、追跡のため一度電話したときにシステム障害で追跡番号が分からないとなったため、持ち戻りになってしまっていた)最初は火炎轟々そっちの不手際だろ!とおもっていたのに、窓口担当者があまりにも丁寧な「人間」だったので、怒りどころかその企業に対して「やるやんけ」の気持ちになったことがあった。営業でよくある「ピンチはチャンス」というやつで、最初の怒り体験を丁寧に消化されたことで、逆にファンになる体験を自分でしてしまった。

・なんか仕事論の話になってきてもうええわいという感じだな。すいません。
まあ、ともかくAIやシステムが台頭するこの時代において独自性で売るのであれば、杓子定規でない丁寧な対応を心がけたいねって気持ちになりつつあります。

・万事に対して、鷹揚で丁寧な人物でありたい。身近に、ちょうどよく毒を吐くくせにちゃんと鷹揚な人物がいるので、ずるいねと思いながらそうありたいねとも思ってしまいます。

・それはそれとして、そういうところがいいね真似したい!と思ってなかよくするわけではなくいっしょにいて全部が面白いから、結果的に仲良くなるという方針は変えずにいたい。(急な話題カーブ)

・実はあまりに眠りが下手すぎてそういう外来を受けに行ったんだけど、前評判が悪くて怖かったところ、自分が丁寧に接していたらすごく丁寧に話を聴いてきっちり説明をしてもらえた。
話し方が少し独特かつ、落ち込んでいる人にはちょっと説教くさく思えるかもだけど、頑張ってなんとかしたいという気持ちには寄り添ってもらえた気がして嬉しかったりした(なにより、あなたの状況は今めっちゃ大変なんですよ、って認識してもらえて、ようやっとると思ってもらえたのがありがたかった)。

・会話の形って、自分が変えられるところも多少あるなと思った。 まあ変えるのも労力がいるから、たいしたことない相手にやりたくないのも然りですが……。

・余分なことを考えないのは難しい。今日は全部忘れてみます。

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