人生帯 日記20241011
・ふと 死について考えてしまうのと同じくらい、他の人にとってはどうでもいいようなことが、生のための命綱になったりすることがあるなと思う。
・魔がさす、という言葉で語られる衝動が、自分に無いとは言い切れない。
できる、という状況になったとき、やらない保証がどこにもなくて、例えば自宅に楽に逝ける薬があったら、毎日見ていたら、ある日ふとそれを使ってしまうかもしれないと怯えると思う。
それをしないのは、あるいはそういう要素を探さずにいられるのは、ふらっと居なくなったりしないのは、目隠しをしてくれる誰かや、手を引いてくれる誰かや、あと私の強すぎる責任感と強すぎるメンタルゆえです。
・そんな重く重要そうな話ではなくても、例えば勉強を続けるか辞めるかとか、何かをすべきかどうか、みたいな岐路にいるときに道を決めるものはいつも何気なく存在している。
・本人に知らせたいとか、恩を感じているとかではなく、ただ昔一言言われた言葉だとか、忘れてしまっているような小さなお土産とか、そういうものが自分を今の位置に繋ぎ止めているんだと感じることが増えた。
・幼い頃万博で、どこか東南アジアの国のパビリオンに行き、お土産物屋にあった数百円の工芸の小箱を買ってもらった。その中に、小学生のころ実は信じていた恋愛のお守りだとか、なんか綺麗な石だとか、それを買ってくれた両親の気持ちとか、以前noteに書いた思い出のガムの包み紙だとか、そういう捨てるに捨てられない物を詰めてあった。
・三十歳を超えてもそんなものを持って、馬鹿みたいかもしれないけど、それを大切なものだと思っていた幼い日の私を大切にしてあげたくてまだ捨てられずにいる。
・それで、今日は、人生が幼い日からの連続性を持つ物であることを認識して、いままでたくさんのものを与えてくれた人たちがいるから生きていきたいなと思った。いつも冗談半分で、どの友人より長生きして全員見送ると言っているんだけど、今日は本当に、心からそう思った。みんなで長生きして、そんで最後はみんな幸せに愛された記憶で終えられるようにしたいね。
・こんなこと書いてたら涙が出てきた。自分の感情に振り回されて悦に入るのは一番恥ずかしい。
・最近嫌なことや上手くいかないことが多くて、やりたいこともできずずっと苦しい思いをしてきたけど、大事にしたいものを大事にできないなら、ちゃんと整理整頓しなきゃだめだな。
・こういう表舞台では仮面に隠してしまうようなことを、ちゃんと言葉にしておいておくことは恥ずかしいし、ホスピタリティの高くない行為だし、まあ人から見れば浅い話かもしれなくて恐れもある。
・以前、私自身を殺すのは私の責任感だろうなと日記に書いていたのだけれど、今まさに己の責任感に追い詰められて殺されそうになっていたので、少し自省したり他人に頼ったりしていたところです。
常人に理解し難いほどの責任感や当事者意識で生きていて、それを分かっているからこそなるべく人に手を伸ばさないようにしている。
・別状はないのでご安心ください。
・こんなややこしい話してどうしたんだいと感じつつ、日記だし許してよ、と誰かに言い訳しながら思ったままに綴っています。 今日の日記、おわり。
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