終考 20241015
・最近インドアに遊ぶことが多いのでなんとか精神を保っているけど、なんか未来のこととか考えたら崩壊しそうだから一旦籠りモードに入っている。
・俺だ……
・普段は前向きだし底抜けにポジティブなのだけれど、だからこそ終わりについて考えた時はいつも「自分が最後に逝くからみんな心配せず楽しく生きてくれ」と思っている。
・この間TRPGをやっていたとに、お互いによく知る同卓者から、「らくだのキャラって、めちゃくちゃ他の人間大事にしてるのに直接それを表現しないよね」と言われて、そうかも〜とおもっていたのだけれど、なんとなくその事象の大元が、このツイートのような内容に依るような気がしてきた。
・まあ単純に私が、人を褒めたり愛を伝えたりする言葉の語彙が少なかったり、すぐに出てこなくてもなんとなく許されるコミュニティにばかりいて、反射神経が鈍いというのも大きな理由ではあるのですが……。
・それはそれとして、なんとなく自分からの愛というのをきちんと伝えることは相手に荷物を背負わせることだと考えていて、そうしないのが相手にとって負担が少ないんじゃないか、と感じることが多い。
自分が何かの拍子にいなくなるとき、自分の存在があまり大きなもので無くありたい。
誰かが去っていくとき、そこには埋めようのない穴があいてしまうと今まで生きてきて感じているので、そんな穴になってしまうくらいなら、風のようにすれ違い、その瞬間に良い香りが一瞬するような、そんな存在でもいいんじゃないかと思ってしまう。
・そうはいっても、手首をガッツリ掴んで離さないように捕まえてくれたり、時折訪ねては様子を見る孫のようなコミュニケーションをしてくれる人もいて、それだけで充分ありがたく、自分としては相手が望むように、きちんと大事にしたいなと思う。
・少し気持ちが弱っているので、柔らかい気遣いや自分のことを考えてくれたのかなと思うようなちょっとしたメッセージに救われている。人とのコミュニケーションが持つビビットな色が少し目に痛くて、薄めて丁寧に塗りつけた水彩のような言葉を読んでいたい気持ち。そういうときには、短歌などがちょうどいい。
すすき揺れる 仙石原は終着点
ひかる穂と叔父のたましい
・過去に作成した短歌。仙石原のすすきを見に旅行に行っている先で、叔父の訃報が届いた。ちょうど自分は、仙石原一面に揺れる背の高いススキの中で、まるでそこが魂の通り道のようだと思っていた時分だったので、驚くとともにただ安らかに、何も不安なく魂の行き着く先があるといいなと思った。
・叔父も父も(兄弟なので)少し似たところがあり、二人とも本当に、子どもたちを何より大切に思っているような行動ばかりするくせに、いざそれを言葉にしようとするとふざけたりして、なんとなく自分のルーツを感じるような人々である。
・なんか〜 そうですね、みんなのこと大事にしよう。大事にするというのは、自分本位な考えで勝手に我慢したり考えを抱え込んである日突然コップの水を溢れさせるようなことはしないで、きちんと向き合って話して、まなざしを向けるということのような気がする。
・30年も生きてきて、まだこんなことを言っているけれど、今この文章を書きながら叔父のことを思い出して(親戚一同で旅行するぞ!と言って旅程表をエクセルを駆使して作ってくれたりしたのとか、ずっと子どもがみかん好きだと思っててこたつにもってきてくれたりとかした)ボロボロ泣いて、目がパンパンになってしまったので叔父に責任転嫁しながら顔を洗って寝ます。
・無条件に愛されて育ったという記憶のおかげで、ちゃんと友達などを愛するカタチを教えてもらったなと思う。カタチだけ。中身を考えるのは、多分人生をかけての私のお仕事なのでがんばります。
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