凡愛 日記2024年8月27日

・最近思想的な話ばかりしていて申し訳ないのだけれど、10代・20代の若い方のポストを拝見することが多々あり、結構みんな思い悩んでいるのだなあと思うので、それに関連した話を日記として記す。(重ッ……)

・かくいう自分も10代のころは人並みには思い悩んでいたように思いますが。

・幸いというか、対人関係で悩むことはあまりなかった。いろいろな要素があるが、
 ・キャラクターとして「読書好きでおとなしいが、委員長とか人がやりたがらない役職はやるし、いても悪口とかを言わないしまあノリはいい人畜無害系地味女」に落ち着いた
 ・幼馴染(家が近く通学班が同じでゲームをしたりしていた)にわりと明るい運動部の男子が多かったので、女子から割と男子と同化して扱われていた
みたいなのが大きかった気がする。

・改めて明文化すると乙女ゲーの人間みたいだけど、実際は中3まで鬼ごっことサッカーにいそしみ、神社で走り回っていたのでご安心ください。

・一方で、アイデンティティや自分の価値についてはそれなりに悩んだ。もともと勉強は嫌いではなかったけれど、高校に上がった途端、自分のはるか先を歩く人間たちが現れた。自分は「凡」だったのだと気づくにつれて、成績に支えられた自己肯定感が崩れ去ってしまい、自分が主人公などではなく「その他大勢」であるという感覚を覚え始めた。

・ある意味、一般的な思春期の悲哀かもしれない。今でも自分は、「凡」であるし決してこの世界の「主人公」ではなく、どこかにいる主人公を迎えるためのモブの一人だと感じることがある。

・自分の為に回っていると思っていた世界が、実は自分ひとりのものではなく、世界が広がるにつれて、自分よりも良いものを持った人間が増えていく。悲しいことに、自分を主人公にしてくれていた両親にも、彼らの人生がある。私は、この世界で個として生きていかなければならないというとてつもない悲劇。

・子供のころに、ここまではっきりと考えていたわけではないけれど、自分自身の思春期の根源はこんな感じだったと思う。どんどんと凡人になり下がる自分に、どうにか価値が欲しくてもがいていた。

・手っ取り早く、あまり人がやらないことに手を出した。例えば、演劇部に入ったけれどとにかく人がいなかった裏方として作業をした。勉強では身の丈に合わない目標を立ててとにかくそれにいそしんだし、その割には高3になっても公園でサッカーをしたりした。

・どれも、「自己肯定感」の代替としてではなく、心底楽しかった。それと同時に、「心底楽しければそれでいいんじゃないの?」と思うことが増えた。

・毎日楽しく生きること、そのためには正味、誰か他人から認められる必要はないのだと、いつの間にかそういう気持ちになっていた。

・その後、大学に入り地獄のような演劇サークル(ふつうに稽古がきつすぎる)に入り、自分が何を面白いと思うのか、何を楽しめるのか、限界はどこなのか、などを突き詰める中で、だんだん好き嫌い・趣味嗜好がはっきりとし始めたのだと思う。

・自分は創作が大好きで、いつも空想の世界を作りだしたいと思っているから、それに役立つと考えたものはすべて好きだし楽しむことができた。

・ずっと、自分は「凡」だけど、完全に同一の個体は存在しないし、完全な上位互換も存在しないと思っている。

・なぜなら私は、私の人生を生きていてその人生を面白いと思っているから。

・例えば、私と全く同じような生き方をしていて、自分より頭も良くて運動もできて、一般的に見て美人で、性格も良い人間と出会ったら、そこには羨望や嫉妬よりも、ただ興味深さが出るように思う。

・その人が人生をどう歩み、何を考えているか。何を大切にして、どんな風にこれからを過ごしたいか。そんな話を何十時間でも聞いてみたい。それから、もし聞いてくれるのなら、私がどんなことを考えて生きてきたか、どんな本が好きでどんな人間になりたいか、そんな話をゆっくりしてみたい。

・こうやって文字に起こしていると、心が凪の聖人みたいだけど、そんなことはないです。

・自己肯定感を自分で上げ過ぎているからこそ、そこを抉るような一言や、自分が好ましいと思っていた人から厳しい言葉を投げられるとこっそり落ち込んでいる。まあ公演中に落ち込みを見せるということはご法度なので、あんまり人と話しているときに如実に「落ち込んだ~」という態度はしないのですが、、、

・そう考えると、私はVCですらオンなのだなあと思う。

・だからこそ、すごくテンションの低いところや、ちょっとした愚痴、落ち込みを見せられるような友人は貴重で、あまり雑に扱ってはならないなあと思いまする。


・まあ、長くなったんですが最終的に思ったのは、「他人から価値を認められることを価値にするのは一般ピーポーにはつらいよん」って感じです。

・あなたの人生は、あなた自身がいかに空虚に感じていても、誰かにとっては歩めなかった別の道なので、それを是非恨み節でも、面白い話としても、お涙頂戴でも構わないので大事に持っていてあげてください。
と、ありきたりではありますがそんな感じで。

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