優先席に座りたい陣内智則
いやあ、noteかあ。みんなやってるもんなあ。いっちょ書いたろうかなあ。
「noteをはじめた陣内智則」になってしまったが、これは大腿骨頭壊死症という足の病気を患った人間の日記である。
骨頭が壊死したところで、金を稼がねばならない。せっせと大手町の長い長い乗り換えをこなす日々である。
電車の中。以前であれば、杖をついている人間が近くにいながら、それに気づかずに優先座席に座っている者を見つけるたび「けしからんですな」と隣の人に話しかけていたが、今、自分が杖をつくようになってからわかる。
あれは杖側の圧倒的なアピール不足である。
あと隣の人に無闇に話しかけてもならぬ。
思い出してみれば、杖をついている人間は優先座席に座る人間の視界に入るか入らないかのところで、視点も吊り革の真ん中あたりに漂わせるばかりではなかったか。
いや、他の人は知らぬ。少なくとも今の俺がまさにそうである。
そのままピクトグラムになりそうな松葉杖姿であろうが、進んで座席前で「俺、優先されたいっす」とアピールすることは案外、勇気がいるものだ。
いざ立ったところで座っている人が気づいてくれぬ場合もそりゃある。
向こうは悪くない。ただタイミングが合わぬのだ。
飲食店で「すみません」と連呼しても店員に気づいてもらえない時とよく似た羞恥を味わう。そんなときは大体、「まあ今の俺が使っている杖は全体的に黒くて赤い反射板とかあるし、ぱっと見、戦闘中に使うとメラミの効果がありそうだし冒険者と思われてるな」など考えてやり過ごす。
だが、どうだろう。俺が「けしからん」と鼻息荒くしていたことを鑑みれば、今、俺に気づかず座っている人たちが、「けしからん」と俺のようなやつからの要らぬ誹りを受けかぬない。こんな自意識、公共の福祉に一ミリも寄与しないのだ。第一、杖を使用している者は不安定なのだから立っていないで座った方が周囲の安全でもある。さあ、いけ。「俺、座りたいです」と、むしろ口に言え。だが、やはりまだ出来ぬ。
そんな折にたまたま向こうが気づいて「あ、すみません。どうぞ」なんて譲ってくれたることがある。「あ、じゃあ」と、まるでそんなこと望んでいなかったけれど、好意を無碍にするのも不粋だし、せっかくなら座ろうか、なんて顔しながら座るのだから、いただけない。そんなやつは最果ての駅まで立っていた方がいい。
じゃあどうすれば良い。やはり、陣内智則になるしかない。毎回、乗車する際に
「あ、優先座席あるやん。俺、杖ついているしなあ。よっしゃ座ってみよ」。