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サブスクのひとたち。(3129字)

世間の言うところ大型連休最終日。箱根あたりに一人旅、なんて計画を少し前だったら実行していたかもしれないが、今じゃそんなことをしようなんてまるで思わなくなってしまった。動画配信サイトにくびったけである。

結局のところ連休の殆どを配信中の海外ドラマに費やしてしまった。
今夢中なのは『ケヴィン』だ。コメディタッチの刑事ドラマで、個性豊かな署員たちの軽妙洒脱な掛け合い、鮮やかな伏線回収、本筋の合間に挿入されるさりげない恋愛模様、引きのあるラスト、どれを取っても不足なく、それでいて一話22分というコンパクトさ、これもまた絶妙。あと一話、もう一話、立て続けに観ているうちに、気づけば三つの夜が白んでいた。

世間的にも連休最終日。

正直、後悔は全くない。今思えば、箱根への小旅行だって「大型連休」という言葉に急かされただけで、実際のところでかい風呂だったら近くにスーパー銭湯があるので十分だ。楽しいかどうか保証されていないものにわざわざ高い金を払って出向くよりも月額700円で「楽しさがある程度保証されたもの」をぶっ通しで観る方が休日の使い方としては有意義ではないか。

『ケヴィン』も初日から観始め、今や最終シーズン。主人公のケヴィンは上層部の謀略により誤認逮捕させられた署長を救うべく、黒幕の弱味を握っているマフィアと司法取引しなくてはならないわけだが、この黒幕が一体誰なのかいよいよ明らかになるのだ。シーズン1から引っ張られ、引っ張られ、ここまでたどり着いたのだ。

さあ、今ケヴィンがついにアジトの扉を蹴破って、向こうの黒幕らしき人間がゆっくり振り返り、「ピンポーン」。

荷物がこのタイミングで来るかね。舌打ちになりそこなった舌先の口蓋へのソフトタッチと共に立ち上がると、足元に散らばるスナック菓子の袋やらペットボトルの空き容器、ブリーフケースからはみ出した書類、カップスープの残骸、などなどを蹴散らし、さらにそれらをひとまとめにしたゴミ袋の山々を崩さぬよう、横ばいになって玄関へと進む。

「ご苦労様です」

「いつもご利用ありがとうございます。今月はなにぶん量が多いもんで、残りもすぐに持ってきます」

「これだけじゃないのですか。まあ、分かりました」

受け取った荷物はそのまんま玄関先に投擲。そんなことよりケヴィンだ、ケヴィン、逸る気持ちを抑えつつ、行きと同じく横ばいになって自室へと戻る。鼓動でゴミ山が崩れるかどうか気になった。

少し前から再生。

ケヴィンがついにアジトの扉を蹴破って、向こうの黒幕らしき人間がゆっくり振り返り、

「にしゃああ」「ぎゃおらああ」

一時停止。

今度はなんだ。窓の方を見る。

ペルシャ猫が二匹、アパートの塀の上で威嚇しあっている。首輪をしている。なら向かいのボロ屋に住んでいる婆さんの飼い猫に違いない。法規上の決まりでもあるのかどの街にも必ず「猫婆さんの家」はあるが、運悪く目の前に越してきてしまったのだ。二度もクライマックスを邪魔されたものだから、負けじと「じゃああ」と威嚇する。二匹は別段恐れ慄くこともなく、ただ興ざめした様子で首を傾げ、塀から枇杷の木に飛び移り梢を揺らし、消えた。

しかし妙だ。刑事ドラマを観たあと、大抵瑣末なことになんらかの意味を見出したがるものだが、妙だ。

猫婆さんは猫を家の外に出さない。全部家の中で世話している。そのためカーテンは猫々の爪による積年の拷問の果て、細切れ肉のよう。結果、外からでもなかを確認することはたやすい。婆さんが起居するところ以外は全て猫砂で埋め尽くされているのか、尿で固まり色の変わった箇所が点々と続いていた。その中を三十は超える猫どもが、互いに重なり合うように寝転び、かと思えば突然ピンボールのように弾きあったりしていた。

その猫が、外にいる。

そういえばここ最近、窓の鍵を執拗に開けようとする猫を怒鳴り散らしている婆さんの姿を見ていない。

窓が空いている。さっきの猫は、ここから出たのだろう。

大丈夫だろうか。安否を確認しなくてはならない。普段の俺ならこんなこと絶対にしないが、今の俺は精神的にはほぼケヴィンだ。またしてもゴミ山とゴミ山のクレバスを慎重に進んで外へ出る。

三日ぶりの陽光に多少たじろぎつつ、向かいの玄関前へ。「田村」と書かれた表札の隣で錆びていた呼び鈴を押す。手応えがない。

思い切って軋むスライド式の門扉を開いて、玄関扉のすりガラスの向こう。猫どものゾンビ映画のように群がりガシガシと爪をガラスに這わせていた。明らかに飢えている。

ケヴィンなら扉を蹴り破るだろう。

もちろん俺も試みた。そのせいで足首が痛い。縁側に回り、猫が開拓した窓から様子を伺う。激臭が鼻をつく。家全体に染み付いた猫の臭い、だけではない。生ゴミが腐ったような臭いも。「にしゃあ」先ほどの猫が気づけば足元にいた。ついて来いと言わんばかりに尻尾を振りつつ、中へと入っていくので、俺も続いた。

「存命の田村さんを最後に見かけたのはいつでした?」

浴槽で死んでいた猫婆さんの遺体を発見したあと、やってきたのは警察ではなく何故か大手ペット用品会社勤務の、よく喋る男だった。

「一週間前くらい」とだけ伝えると、手元のタブレットに何やら入力し「逃げた猫は二匹でした?」など頓狂なことを訊く。「ええ。あ、でも一匹は俺が婆さんの家に入った時、一緒に帰ってきました」男はふんふんと頷き、「マイナス一匹」とだけ入力すると、「ご協力ありがとうございます」

タブレットをカバンにしまい、やにわ相好を崩し滔々と喋り出す。

「いやうちもペットのサブスクサービスを始めてはや十年経過しますが、ご高齢の方がユーザーの場合はこうした死亡による自動解約も多くて、何が困るって放置された猫が死んだり野生化したり色々問題起こすもんですから、その始末費用がかさむとこっちも痛手で、本当に助かりました」

一方的に手を握られる。猫のサブスク、なるほど、どうりでペルシャやらアメショやらブランド猫ばかり飼育していると思った。

「それと、いつも、観てます」

帰りしな、男は小声で言い残し去って行った。

「存命の田村さんを最後に見かけたのはいつでした?」

次にやってきたのは、不動産屋の男であり、全く同じことを訊かれたので、全く同じことを答えれば、やはり同じタイミングで堰を切ったかのように滔々と喋り出す。

「ほら、空家を放置する資産価値と地価が下がるでしょう?提携している老人ホームから施設に入りたくても入れない待機老人の情報を提供してもらって、自由に住まわせているんです。」

知らなんだ。あの猫婆さんは不動産屋が空家を埋めるために月額を払ってまで利用していたサブスク老人だったというのか。

「結果として猫屋敷になってしまったわけですか、お気の毒に」

「いや空家を放置している状況を回避できればそれで良いんです。ただゴミ屋敷となるとこっちも困りますがね」

そういうと不動産屋は意地悪そうな笑みを浮かべ、俺を見遣る。

「冗談です、僕も毎週観ていますよ。今週『ケヴィン』に次いで国内視聴ランキング2位ですってね」

そう言って不動産屋も去り入れ替わりで、
「残りもすぐに持ってきます」と言っていた業者のトラックが俺の家の前に停まる。

「適当に放り込んで置いてください」

業者の男たちに指示すると、パンパンに膨らんだゴミ袋を玄関先へ勢いよく放り込んでいく。先ほど逃げ出したもう一匹のペルシャが食えるものはないかと物色しにきている。悪いが生ゴミは含まれていない。先ほどの不動産屋も勘が悪い。『ケヴィン』を観ているならお前が楽しみにしている「ゴミ屋敷ドキュメント」の住民のゴミがサブスクサービスで持ち込まれていることくらい分からないものだろうか。

いつもいつも本当にありがとうございます。