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この男、見覚えがある。区長だ。

 骨頭壊死という診断がくだってから、最寄りの外科クリニックでは手に負えぬということで、まるで餞別のように松葉杖を貸与してもらい、以降はどこゆくにしても、かつん、かつんと、灯台守がカンテラ片手に響かせがちな音を町中にさせながら、歩き続ければ、だんだんとふてくされてくる。

 健康のためにランニングを日課とし、何やら役所に提出した書類に不備が見つかれば進んで電話して訂正に向かい、スピッツの草野正宗のラジオ番組を毎週聴き、要る要らないに関わらず夕飯時になると、やたらと水菜を刻み出す、宮沢賢治がなりたかったであろう「そういうもの」に限りなく接近していた私が、まったくどうして、かつん、かつん、とアスファルトを傷つけながら歩かねばならぬのだ。

 一度、ふてくされてくると、厭世的になる。松葉杖で歩いている横をランナーが颯爽と通り過ぎるだけで「なんだちくしょう。画数多いな」と、ランナーを通り越して「颯爽」という概念に怒りをぶつける始末。このままではいかんと、スピッツでも聴いて癒されたろかと思えば「だからもっと遠くまで君を奪って逃げる」「走る 遥か この星の果てまで」とヒットソングが軒並み煽ってきやがる。思わず耳塞いで、走り出したくなる。だが、走れない。ダメではないか。

 では堂々と塞ぎ込んでいられるほど「大の大人」に時間的な猶予は与えておらず保健所でもらった「難病申請」の書類を、遠く離れた江戸川区役所まで提出しにいかねばならない。足の病気で、自由に動けないのに、提出は自分で行わねばならない。なんだ。カフカが作った制度なのか。

 バスに揺られること30分。江戸川区役所にたどり着く。区役所で降りる人々は割合、杖の方も多く、のちにまた書くが「優先」の「優先」が目配せで発生する。(実際、俺は最終的に立っていた)。

 大抵の手続きは最寄りの事務所で行われるので、区役所自体はほぼ初めてではなかったか。ところが目の前に聳える庁舎には強烈な既視感を覚える。婚姻の際に寄ったのだろうか。など思いながら申請書類の窓口はどこか訊ねる。「障害・福祉課」だそうだ。そうか。

 向かう途中、壁に設置されたモニターで男が「区民の皆様」とスケールのデカすぎる二人称で、何やら語りかけている。こんな二人称が許されるのは区長だけであろう。ということは、区長だ。

 この顔に見覚えがある。というか、私はこの区長に会ったことがある。どこでだ。そう、ここでだ。思い出した。

俺が区長の立場ならこんな風貌の男、大嫌いだ。

 私は一度、この江戸川区役所で区長に感謝状を渡されている。児童福祉施設の名称を考案したためである。著書も渡していた。あの時は来賓室のような絢爛な部屋に通されへどもどしていた。その次来た時。私は松葉杖で足を引きずり「障害・福祉課」の窓口に向かっている。激動。昭和専用の形容詞と思っていた「激動」が、ここにも適用される。

 何とも燻った感情と燻った表情を持て余し、ほとんど燻製のまま書類を提出し、説明を受け、最後に署名と、捺印をする。捺印をしたら、窓口の方が「あら、上手ですね」と小声で呟いた。

 急に、とんでもなく心が癒されるではないか。流石に、泣きそうになる。なんて嬉しいことを言ってくれるのだ。足がダメになってから、スピッツすら届かぬほどに感性が錆びていたわけだが「捺印が褒められる」で軽くなるのか。人生の意味はバスの揺れ方でなく、ハンコの捺し方にあったのではないか。など、結論を間違えながら帰路についた。

 この話を知人のディレクターにすれば「それ、バカにされてんじゃん」と言われる。流石に泣きそうになる。泣いた。

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洛田二十日(らくだはつか)
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