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手術日、人工股関節になる直前まで食い下がる

担当医師に切り取った骨頭をくれないかと懇願して以来、一ヶ月近く病院に行っていない。出禁ではない。手術日が決まれば、あとはすることがないのだ。

何週間も病院に行かないと、難病手術なんて嘘なんじゃないのか。など、おさるのジョージくらいうかうかしてしまう。うかうかしていれば、前日にはしっかり連絡があり、入院である。ジョージは逃げきれなかった。

担当医師の先生は右足と左足、両方の外科手術を同時に行うという。
右は壊死しているし、終わっているので、やむなく人工股関節。左は壊死しているが、完全には終わっていないので俺の骨髄細胞を移植する再生医療。

「右と左を間違えるといけないのでね」と医師は俺の右腿、左腿に同じような記号を書く。
「間違えそうではないですか」
「や、まあ、大丈夫ですよ」

準備が整い、車椅子に載せられ、俺は運ばれていく。行き着く先は、手術室だ。

骨頭壊死の診断から四ヶ月。
いよいよこの時がきてしまったのだ。
ふと医師と目が合う。
命を預ける執刀医に何か伝えるなら、今しかないのだろう。手術のこと、家族のこと、頭に浮かぶ。俺は俯きながら、口を開く。

「やっぱり、その、骨頭、欲しいんですよ」

まさかの食い下がりを見せた。
なんせ俺はこの時を、待っていたのだ。
オペ直前の、本来であれば命の、一生の約束を交わすべきこの瞬間に、俺は先日、ちゃんと理由も説明された上で却下された願いを再び口に出してやった。医師は流石に信じられぬという表情をしている。

無論、俺もさすがにわかっている。だが、決して俺は骨頭が倫理ごと壊死してはいない。ちゃんと妥協案も携えてきたので、安心してほしい。

「いや、大丈夫です。難しいことはよくわかっています。なら、せめて写真を撮ってくれませんか。どんな色をしていたのか知りたいので。そして、できれば、重さを教えてください。骨頭の重さを」

『つばさをください』の歌詞かと見紛うほどの情緒豊かやな願いではないか。無視された気もする。覚えていない。

さて、手術室には今回の外科手術に携わる医師、看護師、含め一〇名以上もいた。イメージの3倍いる。俺の骨頭のためにありがたい限りである。

オペ台に載せられ、諸々の説明を受ける。
噂に聞く全身麻酔も口元にあてがわれる。
最初は少しずつ、少しずつ入れていくのだそうだ。本格的に麻酔がはじまればものの十数秒で意識は完全に途絶え、一瞬で手術は終わるという。なるほど、確かにもう頭は陶然としはじめている。心が弛緩する。口元がゆるむ。俺はうるさくまだまだ喋る。

「手術室前に人工股関節の小箱がたくさんありましたよ。あんな感じなんですね。」

「いっぱい使うんですよ。ちょうど今日届く日なんです」

「今日使うのはどれですか?」

「ああ、完全滅菌しているから、移植直前に開封しなきゃならんので、見せられないんですよ」

「じゃあせめて色を、色を教えてください。何色の人工股関節が入るのかを」

「…80gでしたよ」

急に、会話が繋がらない。
こっちは色を訊いているのに何でこの先生は数字を答えているのだ。土壇場の頓狂は勘弁していただきたい。だいたい一体、何の重さだ。好きなひき肉のグラム数か。

「骨頭。切り取った骨頭、80gでしたよ」

手術は終わっていた。
80gとは、医師が切り取った俺の骨頭の重さだ。どおりで身体が動かず、右股関節あたりがめちゃくちゃ痛いわけだ。

まったく、本当に、一瞬で終わった。

後日。回診にいらして、「これくらいでしたよ」と言っている時の写真である。

そしてこんなタイトルの日記であるが、タイトルの意味でいえば、ここからが本編である。


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洛田二十日(らくだはつか)
いつもいつも本当にありがとうございます。