どうせ手術だし、骨を使い切ろう
「病院で診断されたときはショックのあまり、気絶しかけたんですが、倒れたときに痛すぎて意識が戻って気絶できなかったんですよ」
まったく慣れてしまうもので、数ヶ月しないうちに難病診断もポケットジョークとなり、周囲の会話の潤滑油として使用している。そんなにウケをちょうだいしてはいない。そっちの方が重要である。
さて「実は片方でなく両方とも壊死していた」という難病トリックが前回の診察で明かされ、右は人工股関節手術、左は再生医療の治験、これを同時に行うことが決まった。少なくとも今、痛みが出ている右股関節の骨とは早晩、お別れである。
杖生活も長くなり、普通に収録、生放送現場に行くことが多くなってきているわけであるが、一件「東京閾値tracks」というロケ番組だけは毎回、いまだにリモートでの参加を余儀なくされていた。何せこの番組はAmazonオーディブルの音声コンテンツでありながらも「ゲストゆかりの土地をスタッフが共に歩きながらインタビューしていく」という内容である。もし初対面のスタッフがいきなり杖で現れ「さあ!」と歩きはじめればゲストが困惑するばかりでなく、大前提として杖の「カツン、カツン」の音が邪魔でしょうがない。そのまま放送すればリスナーが「あれ?もしかして巨大なメタルコオロギに尾行されている?」と誤解されかねない。また、こんなことをいえばメタルコオロギなる生き物が普通にいるものと誤解されかねない。いずれにせよラジオで杖をカツンカツンさせてはならぬし、メタルコオロギなどいてはいけないのだ。
したがって俺はロケの時はディレクターのスマホ画面上での存在となる。冒頭のインタビューの時はまだいいが、いざロケに出発すると音声は繋いだままポケットに終われる。ポケモンに成り下がる。ふざけるな。遠く離れた自室の部屋にいる俺の耳に、ディレクターのポケットの衣擦れ音だけが届く。音源としてマニアックすぎる。
こんなことが続くと次のような考えが浮かんでくる。すなわち「どうせ人工股関節になるのであれば、いっそ壊死した骨は使い切ってやろうか」と。どうせ捨てる雑巾なら最後に色々なところを掃除してやろうという『あたしンち』的発想が骨頭にも適用される。早速、次の東京閾値tracksのロケ収録より実行に移す。
幸いこの時のゲストは個人的にも繋がりのある方だったので、下手に気を遣わせることもなく、「カツンカツン」音だけ気をつければ無事に収録は終えることができた。ただし、同時に足も終わった。
終わりかけの足で一日二万歩も勾配のある街を歩き回ったのだから、致し方ないが、ひどい痛みである。骨を使い切る前に、こっちの気力が尽きてしまう。回復するべく、目に入った足裏マッサージへ入る。いわゆる整体だと姿勢的に難儀であるのもそうだが、一方で別の興味があった。足裏マッサージは押す箇所によって体のどこが悪いのかわかると聞く。となれば果たして壊死した股関節部分に該当する足裏部分を刺激したらどんな感触がするのかを知りたかったのだ。
こうして六〇分後、その足裏マッサージの店を出る。
「足裏マッサージ店に行ったんですが、腰に効く部分とか、膝に効く部分とか押されると痛かったんですが、いざ股関節周りに効く部分を押されたら、無痛でした。まったくの無痛。壊死しているので足裏が無視してるんです」
これをどう笑える話にできるかどうか。そちらの方が重要である。